Q-chan のアメリカ回顧旅行記
この旅行記は1997年にアメリカ東海岸を旅行したときの旅行記で NIFTY の ワールドフォーラム・エリア館(FWORLDA) 〔Cheers!イースタンクラブ〕 US東部/DC以北に連載したものです。
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Q-chan の
アメリカ回顧旅行記
(1)
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〔Cheers!イースタンクラブ〕の皆さんこんにちは。
GWのアメリカ旅行から無事帰国しました(実は帰国途中の機内で、ノートワープロを使って書いているので、正確には帰国する予定と書くべき?)。今回の旅行は「功なり名をとげた」名士とは程遠い私が、二十五年前ニューヨーク駐在員のカミサンとして住んでいながら、帰国以来まだ一度もニューヨークに行ってない家内を連れて行ってあげようと言う動機で計画したものでした。私も駐在員生活を終えて帰国後、何回も行ったとはいえ、今回は6年ぶりのニューヨークでした。
いわば、歴戦の勇士が、一戦終わったあと、銃後(今や死語だが戦場に行ったトーチャンを国で待ってるカーチャンとガキどもの環境を言う)を守ってくれたカーチャンに、一度は一緒に生活したことがある戦場を見せてやろうといったようなものです。
毎回かなり長文になりますが、御用とお急ぎのない方にお読み頂き、世の中にはこんな旅行をする人間も居るのかと笑って頂ければ幸いです。
懐かしのプロビデンスへ
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4月27日の日曜日の朝、起きると飯も食わずにパソコンに向かい、インターネットで目的地であるニューヨーク、プロビデンス、ボストンの最新天気予報を読み込みプリントアウトした。向こう5日間おおむね好天候で、気温も数日前に見た予報とほぼ同じなので、持って行く衣服などを変えることはないので安心。
渋滞を覚悟して早目に家を出たので、倅が運転してくれた三菱デボニアは、予定より一時間早く成田空港に着いた。断られてもともとと、指定されたカウンターに行くと、快く旅行会社から送られて来たメールとパスートを確認して、航空券をくれた。12時発の便なのに、9時にチェックインしているとのこと。
これは、幸先が良い。こんなに早ければ、シートセレクションも意のままと思い、Lカウンターの日本航空のエコノミークラスのチェックインに並ぶ。順番がきて、喫煙席の一番後を希望したら、既にその列はアサインされていまっていた。世の中は広い。私と同じ考えの人も居るのだ。しかたがない。喫煙席に座れるだけ幸いと思うことにした。ヘビースモーカーの私にとって、12時間禁煙は拷問のようなものだ。そのため、多少運賃が高くても日本航空を選んだ訳だ。
今回の旅行では、インターネットには世話になった。行く先々の観光ポイント、主要レストランとそこの名物料理などバッチリ入手しプリントアウトした。中でもドライビングデイレクションは、行く先々でレンタカーを運転しなければならない旅カラスにとって、極めて有益な情報である。
六年くらい前、サンフランシスコで車を借りた時、私の前に車を借りた女性が、カウンターにあるターミナルのキーを叩いているのをチラリと覗くと、どうやら道順を調べているらしいので、彼女が終わったところでやってみたら、何と出発地と目的地を入力すると道順と距離が表示され、そのデータはプリントアウト出来たのでたまげたものだった。それが日本の自宅のパソコンでできるようになったわけだ。しかも、インターネットのは地図付である。
車を駐車場に入れてきた倅も戻ったので、スーツケースを預け手軽になった私達三人は、二階の「ロイヤル」でお茶しながら時間をつぶすことにした。この「ロイヤル」は、空港スタッフ用のカフェテリアで、場所はAゾーン2階のいちばん端と辺鄙なところにあるが、一般客でごったがえす普通の店より広さもゆったりしていて、ゆっくりくつろげる。私も、今月初めハワイから帰国した家内を迎えに来た時発見したばかりの店なので、場所には自信がない。ブツブツ言う家内をなだめすかし、ターミナルの端から端まで行ったり来たりし、やっとたどりついた。
倅を帰し、しばらくロイヤルで時間をつぶして出国手続きを済ませ、免税店でピースを1カートン買って23ゲートに行った。ここはまだ喫煙コーナーが設けてある。嫌煙権が主張されて以来、喫煙者の肩身は日一日と狭くなった。吸えるとき吸わなければと言うさもしい根性になってしまう。
日本航空JL006便、ファーストクラス・ビジネスクラスから搭乗が始まった。次にファミリーサービス。格安航空券利用の我々は最後の搭乗である。飛行機につながっている廊下を歩いて機内に入ると、そこはビジネスクラスの席であった。仕事の出張のときはいつもビジネスクラスであり、横に六人の全日空のビジネスクラスに慣れた私には、横に七人JALはまだこんなに狭いのと言う感覚だが、国際線はエコノミーにしか乗ったことがない家内にとってはそこは無縁の場所。この前のコンチネンタル・ミクロネシア航空の座席の方がJALより広いから楽だったと言う。
約12時間のフライトで定刻やや早目にニューヨーク・ケネデイー国際空港に着いた。現地時間午前11時半。イミグレーションもさほどの混雑なく僅か十五分くらいで済んだ。ファミリーだと言ったら入国手続きは家内と一緒にやってくれた。税関告知書もファミリーなら一枚でOK。
税関を出たところで、接続便の荷物チェックインカウンターにスーツケースを預ける。係員が私のスーツケースにタグが着いてないが、お前持ってるか? と聞く。そんなの持ってる訳はない。第一成田でそれを付けたスーツケースは、既に私の手の届かぬ所に行って機内搭載ルートに乗っている訳である。私は多分輸送中にとれちゃったんだろうと言い、控えのチケットを見せると、係員は新しいのを作って付けてくれた。ニューヨーク通関で良かった。これがプロビデンス通関だったら、私のスーツケースはプロビデンスには来てなかっただろう。
彼は、親切に空港ターミナル間のシャトルバスのパンフレットとターミナルの見取り図をくれた。昔は航空会社別だったターミナルは、1から9までの番号順に変わっていた。バスの運転手は、ゆっくり分かりやすく次はターミナル8、航空会社は何航空、何航空、何航空と言ってくれる。もらったターミナルの見取り図によると、デルタ航空のターミナルの横に新しいターミナルを建設中で、現在だだっ広いインターナショナル・ターミナルを利用しているJALは、大韓航空、エールフランス、ルフトハンザとともに、来年(1998)夏からその新ターミナルに移る予定とのこと。
私と家内は、シャトルバスで9ターミナルに移動した。ここは三十年くらい前インターナショナル・ターミーミナルができるまでJALが居候していたターミナルで、私が初めてニューヨークに来たとき降りたところである。モザイク風の外壁の装飾も懐かしい。
アメリカン・イーグルAA4845便は、30人乗のSAAB340Bのターボジェット機。チビのくせに、地上走行はカミカゼタクシーなみに早い。離陸するや否や、大旋回。機は45度近く傾いた。家内はおったまげた模様。
機長のアナウンスによると、高度13,000フィートとのこと。約4,000メートルだから、普通のジェット機の半分以下の高さを飛んでいる。やがて下にニューロッシェルのグレンアイランドが見える。駐在員時代住んでたところだ。ニューイングランドから戻ったら行ってみたいと言う気もする。30分も飛んだだろうか。下にニューポートが見えた。プロビデンス側から橋を二つ渡るので、この景色は見間違う心配はない。明後日行くのだ。予報通り晴れてくれ。
再び大旋回の後、機は懐かしのTFグリーン空港に着陸。乗客の数が少ないので、荷物の出てくるのも早い。シャトルバスの停留所にはホリデーインのバスがとまっている。運転手はいない。何のためらいもなく、スーツケースをバスの荷物置き場に乗せ、運チャンが戻って来るのを待った。
やがて戻って来た運チャンにワーウイックのホリデーインに行くのだねと確かめると、ダウンタウンのホリデーインのバスで、我々が泊まるワーウイックの「イン・アット・ザ・クロス」には別のバスが来ると言う。スーツケースを降ろし、ピースに火を付けた。いっぷくした後、ホテルに電話して、ピックアップを頼んだ。
5分くらいで来たバスでホテルに向かい、チェックインを済ませてベッドへ直行。時計を見ると午後3時半、日本時間で朝の4時半である。ともあれ,ひと眠りしてから晩飯にすることにした。
- 続く -
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Q-chan の
アメリカ回帰旅行記
(2)
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ボストンは雨だった
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4月28日、ホテルの売店で新聞ボストングローブを買い、昨夜タッチの差で閉店となり晩飯を食い損なったレストランに行く。ビュッフェの朝飯を済ませ、空港へのシャトルバスを頼んだ。昨夜の晩飯は、ルームサービスですませた。
どうせ待たされるだろうと思ったら、すぐ出てくれると言う。乗客は家内と私の二人だけ。これじゃ荷物はないがチップをあげなきゃならないなと覚悟する。ホテルを出てルート95に乗る寸前、運チャンの無線が鳴り、何やらわめいた後道順が変わった。やがて、バスはホテルに戻り、待ってた客を二人乗せて再出発した。
空港ターミナルのバジェットのカウンターで名前を告げる。ラクシャリー級を予約してある。今日はタウンカーあるのかと聞くと、タウンカーで予約を受けてるからあるとのこと。所定の手続きを済ませ、アグリーメントをもらう。車は横の駐車場の2番にあり、キーは付いているとのこと。ラクシャリーは、何故か日本英語になるとラグジュアリーと濁る。おかしいなと思い、辞書でめったに見たことのない発音符号を見るとやはりラクシャリーである。アメリカ人に聞いたらラクシャリーと濁らないのが正解だった。しかし、世界に冠たる日本の自動車メーカーさんが、こんなことで間違うとは思えない。アメリカのどこかの地方で濁るのだろう。
2番に行くと、確かにアグリーメントに記載されたライセンスプレート番号のリンカーン・タウンカーはあったが、キーは付いてない。ターミナルに文句を言いに行こうとすると、オバチャンがやってきた。アグリーメントを確認し、キーを渡してくれた。諸操作の説明をしようとしたので、分かっているからいいよと断る。年式が変わってもこの十数年乗り慣れた車だ。
エアポート・アクセス・ロードを経て、ルート95に乗ると、あいにくの雨で、ほとんどの車はヘッドライトを点けている。私も点けようかとスイッチを探したらない。やはり人の好意はすなおに受けるものだ。車の運転が出来ない家内が、それじゃないの? とダッシュボードの左のロータリースイッチを指す。運転しながらチラリと見ると、おなじみのヘッドライトのアイコンがあった。何でまたこんなスイッチにしたの? この謎は後でわかった。
いつものように、片側3車線の中央のレーンを走る。15分も走っただろうか。ステートハウスも過ぎ、プロビデンスのダウンタウンも過ぎ、ポトカットあたりか。私の80メートルくらい前の一番左のレーンを走っていた車がいきなり道路を真横に右に走りだした。幸い、私の前の車は適正な車間距離をとっていたので、右に向かっていた車はその前を横切った。やがて一番右のレーンで後ろ向きになり、右後ろから来た車と正面衝突した。右後の車もこの光景を見ていたので、かなり減速しており死傷事故にはならなかった模様だった。
事故通報用の電話がないかと右を見ながら走行したが、なかなか見つからない。まあ時差ボケの日本からの旅行者が通報することもないだろう。
ボストンでは、最初にボストン・テイー・パーテイーの船を観、水族館に車を停めてそこから出ている戦艦マサチューセッツへのフェリーに乗り、オールドタウン・トロリー・ツアーのバスでアメリカ独立戦争にかかわる歴史的な建物などを見学、次にジョン・ヘンコックの展望台から今まで観てきた場所を上から観なおし、最後に美術館に寄って、ニーダムに住む友人の家を訪問すると言う欲張った計画だった。時間があれば名門女子校のラドクリフの前で家内の写真も撮りたい。映画「ラブストーリー」のヒロイン、アリ・マッグロー扮するジェニーが、ライアン・オニール扮するオリバー・バレットと知り合った図書館のある女子の名門校である。私は、ハーバードもMITも何回も行っているが、ラドクリフにはまだ行ったことはない。
日本出発前、その友人と電子メールで相談したら、水族館のあたりは道路工事をしているから、最初美術館に行き、そこに車を停めて路面電車で水族館に行った方が良いとアドバイスを受けていた。
この雨では観光は諦めざるをえない。風も強く、台風なみである。雲もかなり低く、ジョン・ヘンコックの上の方はかすんでいる。美術館があるから心配ない。「ミュージアム・オブ・ファイン・アーツ」、まるまる一日かけても観きれないものがある。
美術館の駐車場に入ろうとすると、番人が今日はクローズだと言う。何やらフラワーアソシエーションとか言う団体の集まりで貸し切りだそうだ。あいやいや。これで予定が狂った。とりあえず、ジョン・ヘンコックの駐車場に車を入れ、展望台にのぼった。
二人分の 31.25ドル 払って、展望台に入る。入り口のお姉さんに、「外が見えるでしょうね」と聞くと、後ろを指さす。私はそこはくもりガラスなんだろうと思っていたが、真っ白に見えるのが外の景色だった。ちゅうちょすると、中に展示物もあるし、折角来られたのだから是非ご覧になってくださいと言われる。私は、前に三回観ているが家内は初めてだ。入ろう。
外はかなりの強風で、時々雲が切れ景色が見える。一回りすると、ほかにも五人か六人の客が来ていた。今日のように外が見えない日が多いのだろうか。展望台の各所に好天なら見える景色の写真が配置してある。アメリカらしいところは、その写真に点在しているマークを指で触れると、そこは何と言う場所だとの説明が表示される。私は、これから夕方までどこで過ごすのが良いか、それで探し「ミュージアム・オブ・サイエンス」という博物館に行くことにした。小一時間たって帰ろうとエレベーターを待つと、来たエレベーターから子供の団体が降りて来た。タイミング良し。この騒音は時差ボケの体にはこたえる。
博物館では一般公開のほか、その時々で特別展示を行っているらしい。今日は「レオナルド・ダビンチ」で本邦初公開とのこと。それらを観るかどうかで入場料が異なる。私は、「レオナルド・ダビンチ」と「オムニ・シアター」の両方を頼んだ。今度は、時間の指定をされる。博物館に入ったのが1時過ぎなので、「レオナルド・ダビンチ」が 2時、「オムニ・シアター」が 4時と記入されたチケットを貰った。 入場料は一人 14ドル。
すっかり予定が狂ったが、これでやれやれだ。とたんに空腹を感じた。博物館のカフェテリアに行く。ひとまわりして、家内はスパゲッテイー、私はラザニアを選んだ。それぞれミートボール3個を付けてもらった。二人で 18 ドルの昼食。
昼食で 2時の「レオナルド・ダビンチ」は遅刻したが、次のショーがすぐ始まるから待てと言われる。もったいつけたショーは、約10分の映画で、期待はずれだった。かなりのスペースを割いた展示品も、自筆のノートなどがあり専門家には貴重なものだろうが、私と家内には猫に小判。
電気自動車も期待したが、ソーラーパネルが貼られた車が一台置いてあるだけで、これも期待はずれ。駐車場の車の中で仮眠をとることにした。
5時、まだ早いがニーダムに向かうことにした。博物館の出口を左折すればケンブリッジに出て、道も分かりやすいのはわかってたが、夕方で交通量も多く、信号がないので左折しにくい。右折してダウンタウンを通って美術館にさえ出られれば、あとは友人の書いてくれた道順通りで良い。
この右折が大失敗。どうしても美術館の前のハンチントン通りに出られない。ボストンは日本の城下町のように、侵入した外敵が迷うような道路になっているので、日本から侵入した私もこの罠にかかった。前にも同じ失敗をたことがあるが、今度は友人が送ってくれた地図に一方通行の記載があるので楽観していた。一時間以上同じ所をぐるぐるまわり、二度も同じところからターンパイクに入って余計な通行料金を払い、さんざん迷った結果、ニーダムのジョー・ピッツの家に着いたのは約束の6時半には間に合わず7時をまわっていた。
― 続く ―
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アメリカ回帰旅行記
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ちょっと早すぎたニューポート
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4月29日、昨日の台風がうそのような快晴である。リンカーン・タウンカーにニューポート関連資料を積み込み、マリオット・ホテルに朝食をとりに行く。これから行くニューポートとは逆方向だが、このホテルは私が過去二十年近く、プロビデンスに来たときは必ず泊まる定宿である。ここの朝食につくポテトの味を家内にも味わってもらいたかった。やはり、5年のご無沙汰は長かった。シェフが代わったのだろうか。ポテトの調理方法は変わっていた。
プロビデンスのマリオットを後に、ルート95を南に、ルート1、ルート4、ルート138と、通い慣れた道を約一時間、一本目の橋にさしかかった。窓を開けて海の香りを楽しむ。まだ寒い。ペリー提督の銅像があるワシントン広場を左に見ながらベルビル・アベニューを東へ。左右にマンションが点在する。最初の目的地はヨット博物館である。
ニューポートには十回近く来ているが、仕事の延長で自由がきかず、ヨット博物館は今回が初めてである。福岡の中学でヨット部員だった私にとって、かねてから行きたいと思いながら意を果たせなかった所である。博物館のあるフォートアダムスに行く道では、すれ違った車は二台くらい。いい空気、いい景色、いい車、大渋滞の日本のGWとは大きな違いである。
博物館に着くと、残念、5月15日からだった。外から写真を撮りすごすごと引き返す。次の目的地は「ホワイトハウス・タバーン」。現存レストランでアメリカ最古と言う由緒あるレストランで昼食をとりマンションを観て、ゴージャスな気分で明日のアトランテイック・シテイーでの一攫千金を期待すると言う計略。そうは問屋がおろさなければ、小売屋があるさ。ちょっと気になるのは、インターネットで仕入れた情報だと、火曜日は「ホワイトハウス・タバーン」は昼食はやってないと書いてあったことだ。
ダウンタウンの駐車場に車を停め、「ホワイトハウス・タバーン」に向かったが、ドジなことに、インターネット情報のプリントアウトも、その店の電話番号を書いたメモを車に置きっぱなしだ。手元の地図に印がつけてあるから探せるだろうが、電話で昼飯をやってるかどうか聞くのが望ましかった。日本と違って公衆電話に電話帳が無いのは不便である。
「ホワイトハウス・タバーン」は地図通りの場所にない。通りの店で聞くと、この次を右に曲がればあると言う。その通りに行くと、車を停めた駐車場のところに戻ってしまった。あとで考えれば車に行き、電話番号のメモを持ってくれば良かったのだがブツブツ言う家内にカッとなり、時差ボケも睡眠不足もあり、正常な判断力を失っている。「アメリカズ・カップ・アベニュー」の道路標識をバックに写真を一枚と言う計画もすっかり忘れていた。
こんなことで、一時間近く無駄にしてしまった。しかたがない。そこに見えるマリオットにでも行くか。2時を過ぎてしまったので、レストランはクローズ。やむをえずバーでサンドイッチを食べることにした。
バーで、ツナ・サンドを頼むと、そのお姉さんは気がきく。「シェアしますか?」と来た。「その通り。いつもアメリカの食事の量は多すぎるからね」と、一人前を二人で食べるよう注文した。来たサンドイッチは、適量で、二枚の皿に盛られ、サンドイッチの回りはフライドポテトで埋めつくされていた。これ全部たいらげたら、カロリーオーバーだ。
ジンジャエール、サンドイッチ、ポテト、コーヒーと腹に詰め込むと、先程までのいらいらも多少は和らぐ。ワシントン広場のペリー提督の銅像をバックに家内の写真を撮り、駐車場に戻り車を始動し、マンションが点在するベルビル・アベニューに戻った。
これらのマンションは、今から百年から二百数十年くらい前、1748年から1895年の間に、主にニューヨークに住むアメリカで成功した実業家が、夏の別荘として建てたものだが、彼らの貿易は、我々が戦後の日本でやった貿易とは桁が違う規模で、儲けもボロの上に超が幾つもついたものらしい。南北戦争が始まったのが今から136年前の1861年だから、中には奴隷の売買で儲けた人も居たに違いない。
あるマンションでは、従業員は40人、年に四ヶ月しか来ないご主人の家族はせいぜい六人、パーテイーのときは客が35人くらいと言う規模。と言うことは、80人の料理ができる設備が必要となる。キッチンと食器置き場、ワインセラーの総面積だけで、現代日本の中産階級の住む4LDKの一軒分はある。
さすがアメリカでも、この規模の別荘を維持できる子孫は少なく、かなりの数のマンションは「プリザベーション・ソサエテイー」が管理、観光客に拝観料を取って見せたり、結婚披露宴や、企業のイベントに供したりしている。
現在、「ハンターハウス」「キングスコット」「エルムス」「シャトウスーマー」「ブレーカース」「ブレーカース・ステーブル」「ローズクリフ」「マーブルハウス」「グリーンアニマルス」が公開されているが、4月はこのうち「ブレーカース」「ローズクリフ」「マーブルハウス」しか公開されていない。
我々は、二人で $35の三軒分のチケットを買い、最初に「ブレーカース」に入った。既に四・五人の参観者が待っていた。やがて前のグループの参観ツアーが終わり、我々はガイドの案内で中に入った。
残念ながら、中は写真撮影禁止。ボウル・ルーム、ダイニング・ルーム、エトセトラエトセトラを見せてもらった後、二階に移動。ガイドは我々の中に足が不自由な人はエレベーターを利用できると言う。一人希望者が出た。エレベーターは、このマンションが出来たときからのもので、当初は水圧で上下する構造だったそうだ。シャンデリアのエネルギーも、当時は電気がたよりない時代だったので、電気とガスの二段がまえになっていたそうだ。
中の装飾は贅を尽くし、金に糸目をつけずヨーロッパのお城をまねして作らせたもので、家具もヨーロッパから骨董品を買い込んで来たものもかなりあった。
家内は、先年のイタリア旅行で観たヨーロッパのお城は、数百年前のものでピンと来なかったが、ここのは僅か数十年前まで実際に人が住んでた所なので、実感が湧くと言う。
出口の二部屋はギフトショップになっている。何か記念になるものはないかと探すがこれといったものは置いてない。私は、ニューポート・マンションのビデオテープを買った。
車に乗り、「ローズクリフ」に向かった。「ローズクリフ」から「マーブルハウス」にまわると、五時近くなっていた。六時半にはフロリダから会いに来てくれる友人が来るので、それまでにはホテルに戻らなければならない。本来なら、彼とはニューヨークであい、ニューポートではゆっくりしたかったが、その男は私の旅程のうち今日が都合が良いと言うので、ワーウイックのホリデーインに来てもらうことにした。
「マーブルハウス」ではガイドに頼み、一階だけ観てズラカルことにした。未練たらしく、庭に出て、チャイニーズ・テイーハウスで写真を撮り、ニューポートを後にした。 あれほど探してわからなかった「ホワイトハウス・タバーン」がちらりと見えた。
ホテルに戻り、ワイシャツに着替え、ネクタイを絞めた。今朝録音をセットしたラジオ付きヘッドホン・ステレオの録音の成果を見る。私は、海外旅行のときはいつもこれを鞄に入れて持って来る。都はるみや鮫島由美子のテープが入っている。別にブランク・テープを二本くらい持ってきて、旅行先のラジオの番組を録音する。交通情報などが入っているとリアルで、何年か後聴き直すとその旅を思い出す。
電話が鳴った。フロリダから来たマイク・バルデスが下に着いたところだそうだ。すぐ降りて行くからとロビーで待ってもらった。
マイクは、この地域はあまり詳しくないと言う。私は、このあたりは頻繁に来ているので、良いレストランは心当たりがあると言い、日本料理、イタリア料理、シーフードのどれにしよか? と聞いた。私は、ロブスターが食べたかった。彼が日本料理と言わないかぎりロブスターにはありつけるだろう。彼は、何でも良いが、シーフードがよさそうと言う。私は、「ワーフ・タバーン」と言うレストランの住所と電話番号を書いたメモを取り出した。
「前に来てかなり年数が経っているので、電話してみますから、ちょっと待ってください」と言うと、マイクは「私がやりましょう。車も私の車を使いましょう」と言って、電話の方に行った。
やがて戻ってきたマイクは「レストランはまだやってます。道順も概略分かりました。さあ行きましょう」と彼の借りている車に案内してくれた。ボストンに仕事の用事を作り、今夜はボストンに泊まり明朝7時の飛行機でフロリダに帰るとのこと。
マイクとは、昔の取引先の社長の紹介で知り合った友人で、6年前独立してフロリダにサーモスタットと言う電気部品を作る会社を経営している。今私が勤務している会社で製造しているサーモスタットを是非アメリカで売りたいと言っている公私混同の間柄である。
「ワーフ・タバーン」は、喫煙席は満席で、禁煙席に案内された。どっちみち、こちらでの食事は、アペタイザーが始まればデザートまでは禁煙だからいいだろう。私はメニューに生牡蛎があったので「日本では牡蛎はシーズンオフだが大丈夫か?」と聞くと、こちらではまだシーズンだと言うのでアペタイザーは生牡蛎にした。家内は茹で蛤を頼むと、ウエイトレスがこれは食べ方が変わっているので、その時教えてあげようと言った。
お互い、仕事がらみの話になると熱中し、そこに私の家内が居るのは完全に無視。メニューに「時価」となっていたロブスターを平らげ、デザートはパスし、コーヒーが来たところで、マイクは「奥さん、失礼しました。いつも私の家内も仕事の相手先との食事のときは会話から疎外されてしまうんですよ」と言い訳をした。私は「うちのカミさんは、慣れっこだから、気を使わなくていいですよ」と宥めた。
― 続く ―
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アメリカ回帰旅行記
(4)
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早起きしてアトランテイックシテイーへ
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4月30日、6時半のアメリカン・イーグルに間に合うよう、5時に起きた。天候は良好。昨日エキスプレスチェックアウトを頼んでおいたので、朝起きると部屋のドアーの下にホテルビルが来ている。一通り目を通して、ごまかしや間違いがないの確かめてホテルを出た。
6時10分前に空港に着くと、バジェット・レンタカーには既に担当者が居た。マイレージ (走行208マイル) を記入したアグリーメントを提示し、プリントアウトされたのを貰ってターミナルの二階出発ロビーに行く。過去何十回か来たこのTFグリーン空港、もう来ることはないかもしれない。展示されたヨットを背景に、セキュリテイーチェック・ゲートを背景に、写真を撮ってもらった。
SAAB340Bのアメリカン・イーグルAA4846H便は定刻の6時35分TFグリーン空港を離陸、7時30分ニューヨーク、ジョン・エフ・ケネディー空港に着陸した。この時間のフライトだから簡単でも朝飯は出ると期待して何も食べて来なかったが、ジュースが出ただけ。
今日は、空港からマンハッタンまでのタクシー代をうかせようとのセコイ考えから、ケネディーで車を借り、マンハッタンのホテルに荷物を置いて、すぐアトランテイック・シテイーに行く予定である。日本でバジェットに予約しようとしたら、ケネディー空港にはラクシャリーカーは置いてないと言われ、ハーツに予約を入れてあった。
アメリカン航空のターミナルのハーツの電話でピックアップを頼む。やがて来たシャトルバスに乗り込みハーツのガレージまで乗せてもらった。そこでは3人のエージェントが対応しており、待っている客は4人だった。これなら20分くらいかなと思ったのが大間違い。待てどくらせど順番は来ない。非常食用のセンベイを鞄から出してかじり、自動販売機のセブンアップを飲む。車は勿論リンカーン・タウンカー。スーツケースを積んだときは9時半を回っていた。
アグリーメントと地図をもらって車の方へ行こうとすると、ロビーに左右二台のモニターが置いてある。好奇心旺盛にその前に行くと、「ドライビング・ディレクション」だった。ここからマンハッタンまでは通い慣れた道。全然必要ではないが、折角のサービスである。モニターの画面の「スタート」に触れると今度は言語を選べるようになっていた。「日本語」に触れる。「ホテル」に触れるとリストアップされたホテルの中にハワード・ジョンソン・プラザ・ホテルがある。それを触れるとローマ字で道順が表示された。
SHINGO ni shitagae
I-678 NORTH/VAN WYCK sono mama susume
5.0 MI KITA LIE (I-495) WEST sonomama susume
8.0 MI NISHI MIDTOWN TUNNEL sono mama susume
NISHI 37TH STREET MIGI e susume sono mama susume
14.0 BL KITA 51ST STREET sono mama susume
8.0 BL NISHI 8TH AVENUE USETSU seyo sono mama susume
HOWARD JOHNSON'S shinkohoko HIDARI gawa
なるほど、13マイルと22ブロックか。もっと距離があるのかと思ってたが意外に近いんだ。混むだろうなと覚悟したバンウイックも順調で、北に走る。455のウエストに乗るはずが、それを見落としてしまった。しかたがない、トライボロ橋を渡るか。ラグアーディア空港、昔よく来たデポのあったアストリアを経て、トライボロ橋を渡る。この橋は、ニューヨークの区にあたるボロの三つを繋ぐ橋でこの名が付けられたと言う。10年くらい前、ここでえらい渋滞に巻き込まれ、橋を渡るのに一時間近くかかったことがあったが、今日はまあ順調である。マンハッタンの東側を走る高速FDRがやけに混んでいる。少し早めだが、90丁目くらいでFDRを出て一般道を走る。ケネディーを出てから1時間足らずで八番街のハワード・ジョンソンに着いた。このホテルは、入り口の手前が駐車場になっていて便利だ。駐車場に頭を突っ込み「チェックインだ」と言うと「車はそこに置いて荷物を出してください」と、パーキングのチケットをくれた。ポーターがすぐ来ないのを幸いにスーツケースをごろごろ引っ張り、レジストレーションに行く。
この時間だと、部屋も用意されて居る。日本だと「チェックインは3時からですが」と言われるところ、アメリカではそのへんは堅苦しいことなヌキである。昨夜遅く、今朝早かったので、予定を変更して少し部屋で仮眠をとることにした。中途半端な食事に時間をとられるのは勿体ない。空腹は、持ってきた湯沸かし器で湯を沸かし、「インスタント・おかゆ」でしのいだ。とにかく寝ることだ。その前に一仕事。明日の晩のミュージカルの予約をしなければならない。
「王様と私」をやってるニール・サイモン劇場のチケット売り場に電話した。良し、オーケストラの中央A109とA110が取れた。ついでに、行きつけの日本人経営のお土産屋さん「サカイ商事」に電話をする。この店がまだやってるかどうかで、買物の予定か違ってくる。残念ながら「この電話は現在使われて居りません」とのテープが応答。
11時半、再起床した我々は、駐車場から車を出してもらい、セコーカスへ向かった。八番街は北に向かった一方通行なので、一つ西のコロンバス・アベニューを南へ、標識に従って41丁目あたりからリンカーン・トンネルに入った。トンネルをくぐるとそのままルート3Wに乗れる。ジョー・ピッツの言うとおり、やがてセコーカスと書いた出口が見えたので一般道に出る。
ジョー・ピッツの話では、すぐ分かると言ってたが、それらしいものはない。うまいことに日曜大工があったので、そこに入り、道順を聞く。どうやらルート3Wを出るのが早すぎたようだ。「メドウランズ・パークウエー・エキジット」を出ろと教えられた。ついでに、店内を一通り見て、シャワー・ヘッドを一個買う。シャワーの輪を回すとシャワーの水の出方が変わり、マッサージになる奴だが、なかなか日本で売ってない。アメリカのを買って帰ってもネジ穴があわないおそれもあるが、最近はアダプタが売られていると言う話も聞いていたので、何とかなるだろう。
ルート3Wに乗り直し、教えられた出口を出ると、それらしいものがあった。ジョー・ピッツから、ここは幾つもの建物に分かれていると聞いていたので、間違わなかったが、その情報が無ければまさかこれがアウトレットとは思えない。とりあえず、一つの建物の駐車場に車を停め、パンフレットを貰った。それには、確かにアウトレットと書いてある。建物は全部で28個。夫々、車で移動しないとまわれない。日本からの観光客向きではない。どうりで、日本であまり話題になっていないはずだ。
アウトレットに行けばレストランかカフェテリアがあるだろうと思っていたがそれもハズレのようだ。幸い「ヒルトン・ホテル」(ツー・ハーモン・プラザ)があったので、そこで昼食をとる。寝不足の上、朝からセンベイと、おかゆしか食べていない。もう2時を回っている。
ヒルトンのレストランの窓からは、庭の岩の影に猫が一匹こちらをうかがっているのが見える。その先は大きな池のようだ。家内が「あれ海?」と聞く。「海のはずはない。多分池じゃないかな」と答える。後で地図を見ると、どうやらハッケンサック川のようだ。
食事を済ませ、アウトレットの建物一つだけに寄って、家内は倅と娘婿の衣料品を買う。もう4時だ。予定ではこの時間にはアトランテイック・シティーでスロットをやっている時間だが、まだニューワークより北に居る。
インターネットで調べた道順によると、ニュージャージィー・ターンパイクからルート206を経て、ルート30に乗るとアトランテイック・シティーで、ニューヨークからの距離は128マイル、時間は141分だそうだ。先程念のため、ヒルトンのフロントのお嬢さんに聞いたら、ここからはルート3からガーデンステート・パークウエーに乗るのが普通だと言う。
地元の人の意見を大切にしようと、ルート3のウエストに乗り車を進めると、すぐインターチェンジがあり、サウスだったのでそれがガーデンステート・パークウエーと思い、乗った。しばらく走ると、ニュージャージィー・ターンパイクを走っているのに気が付いた。走りながらチラリと地図を見ると、少し南でパークウエーとターンパイクが交差しており、そこまではターンパイクの方がニューヨークに近い東側を走っていることがわかった。結果的に少し近道をしたことになる。
ターンパイクは有料なのは知っていたが、パークウエーが有料道路だとは知らなかった。結局、アトランテイック・シティーまでに5箇所のトールゲートがあり、その都度35セントを篭に投げ込む。これでは小銭が幾らあっても足りないからトークンを買おうとしたら35ドルのセットしか売ってないと言う。
この道は、制限速度55マイル。私は、クルーズコントロールを70マイルにセットして走行した。片道2時間のドライブは、日本では私の住まいから東京に行くとき、混んでればそれくらいの時間はかかるので、苦にはならない。
やがて、パークウエーからルート30のイーストに移る。はるか先の地平線上に、蜃気楼のようにアトランテイック・シティーの街が見えてきた。点在する高層ビル、走るにつれてその姿が大きくなる。そして、一般道になるともう街全体は見えない。
6時半を過ぎていたので、まず明るいうちに著名なカジノ・ホテルの前で写真を撮ることにした。まず、「ショーボート」「タジ・マハール」「バリーズ」どこかでパンフレットを手に入れれば、もっと効率よく回れたのに、そんな気持ちの余裕はない。
ここには、カジノ・ホテルは「バリーズ」「シーザース」「クラリッジ」「グランド」「ハラズ」「マーブ・グリッフィンズ」「サンズ」「ショーボート」「トロピカーナ」「トランプス・キャッスル」「トランプス・プラザ」「トランプス・タジ・マハール」と12箇所あるはずである。おっ、あったぞ。と車を走らせると、建物の影になって見えなくなる。結局「シーザース」や「サンズ」を見つける前に暗くなってきた。どういう訳か、日本語の「カジノ」は英語では「カシノ」と濁らないようだ。アクセントは「シ」である。
今度は、どこかのカジノに入って、今夜のショーを決めなければならない。最悪インターネットで探した「バリース」のショーにしようと、「バリース」の駐車場に車を停めた。ここは駐車場だけのビルで、何階にもなっている。ふと気がつくと、私の車のヘッドライトが自然に点いたり消えたりしている。ライトのスイッチを見ると、ロータリー・スイッチの左側の目盛りが書いてある所になっている。そういえば、この車は今朝借りて以来ヘッドライトのスイッチにはさわってない。前の借り主がそこにセットしたらしい。自動点滅式か。このタウンカーは素晴らしい。昔、その社名がフィックス・オア・リペア・デイリー (毎日修理か修繕) の頭文字からとったと言う会社の製品とは思えない。この年式のものは、走行中現在の消費燃量と燃料の残量もガロン単位でも表示されるが、ニューヨークからの道では、燃費は 1 マイル当たり 19.5 ガロンと表示されていた。リッター約 7.8 キロである。私のデボニアは高速道路を連続で走っても、リッター約 6.5 キロである。タウンカーで一つ理解出来ないのは、イグニッションを切ってもラジオがオフにならない点である。多分放置すれば自然にオフになるのだろうが、私はその都度ラジオのボリューム・ボタンを押して消している。
駐車場の4階の空いているスペースに停め、その番号をメモして、カジノ・ホテルへの矢印に従って歩いた。
ガレージ・ビルから動く歩道があるわたり廊下でカジノ・ホテルのビルに移る。エレベーターでカジノのある二階に降りる。だだっ広いカジノの一角にショーのカウンターがあった。用意されているショーの一覧表をもらう。
表には上から12行の枠があり、一番左にカジノ・ホテルの名前、右に上演中と近日上演予定のショーが記載されている。昨夜だったら「バリーズ」の「ヒルトン」で「ガーシュイン・オン・アイス」をやってたのに。おっ「トランプ・プラザ」で手品をやってる。やめとこう。家内が言葉が解らなかったら面白味は半減だ。それに、あまり時間の余裕もない。結局、ここで7時半からやる「レジェント・イン・コンサート」に決めた。
カジノをひとまわりしてみようかと、時計を見ると7時10分。ラスベガスの経験では、この種のショーは遅く入るとろくな席に着けない。夜は長い、カジノには閉店時間はない。とにかくシアターに入る方が賢い。
案内のバーニーガールにドル札を二枚掴ませる。一番前の席に案内された。この劇場はテーブル席になっており、全席詰めこんでも80人がいいとこといった小さなものである。座ってステージの方を見ると、足しか見えそうもない。足から見上げるのも楽しいかもしれないが、我々今日は疲れている。家内も、「ここじゃ落ち着かないわよ」と言うので、席を後ろに移してもらった。今度は、メザニンの一番前といった感じのところである。
このショーの選択は正解だった。バンドはキーボード、ドラムス、ギター、ベースギターの四人編成だが、まともな音を出していた。コーラスガールは四人に黒人男性二人。いずれも外観良く、踊りもニューヨークのブロードウエー級。メイン・シンガーが四人、それぞれ著名なスターの物真似である。なかでも、マリリン・モンローの真似をした女性シンガーはたいしたものだった。容姿も声もモンローそっくり。何曲か歌った後、客席の60歳くらいの男性のところに行き共演。その男の名を聞き、ジミーと名乗ると、歌の歌詞にジミーを挟む。やがて、「マイ・ハート・ビロングス・トウー・ダディー」に曲目が変わると最後の「ダディー」をジミーに歌わせる。そのうちに、ジミーのオデコはモンローの口紅で真っ赤。やがてステージ中央の椅子に座らせられたジミーは観念してモンローの言うままきまま。何枚か脱がされた。
1時間20分のショーのフィナーレは、「アメーリカ、アメーリカ」で知られいる "America, the Beautiful" であった。出演者全員が唱い踊る中、アメリカに来てるんだという実感が湧いた。
ショーも終わり、ヒルトンで詰め込んだ昼食もすっかり消化したので、レストランのフロアーに移動した。あまり立派なレストランに入るとやたら時間を費やす結果になる。コーヒーショップに入り、私はステーキ、家内は海老ピラフを注文した。ここのコールスローは旨い。今回は一人前をシェアする代わりに、二人別々の料理をとり、シェアした。
食事を終えると10時を回っていた。カジノに降り、一回りした。テレビ画面に映る競馬もやりたかったが、時間がかかりそうなのでパス。スロットマシンのコインを買った。
今日は、渡米以来の疲労がたまり、冴えない。プロビデンスまでの航空券を安く入手したので、その差額をここのカジノの元手にするとのをすっかり忘れていた。時間もないし、スロットマシンの操作もあまり長い間やれば疲れるだろうと、ダイムを4ロールづつしか購入しなかった。一人分16ドル。本来ならダラーコインを購入する原資はあったのを忘れていた。
家内はあちこちのキカイを浮気して歩いていた。私は、一台のキカイで4ロール全部入れて、そこで無くなったら終わりにしようという作戦。一回にコイン三枚まで入れられる。勝ち分は、リリーズ・ボタンを押さないかぎり、キカイにクレジットとして保存できる。4ロール全部入れるのに30分もかかっただろうか。その間、菱形のジャックポットでベルが鳴るやつが何回か出た。全部終わったところで、横に家内が来たので「そろそろ帰ろうか」とリリーズ・ボタンを押した。キカイにクレジットされていたコインが、一度に下の受け皿に出て来た。それを家内と一緒に、紙コップに入れ、キャッシャーで換金。結局16ドルは62ドルになって戻って来た。てっきり全部すったと思っていた家内も紙コップにコインを持っており、14ドル受け取っていた。
時計を見ると、11時。初めてのアトランテイック・シティーに満足してニューヨークに向かって車を走らせた。復路は、やたら料金場の篭の不調が多い。35セント投入してもゲートの横棒は上がらない。その都度、車を降りて篭を覗くと、コインが横に引っ掛かっている。一度は、どうみても35セント以上あるわいと、引っ掛っているコインを拾ってみると、スロットマシンのコインが入っていた。小銭を用意するのは家内の役目としていたので、「ちゃんと、お金のコインと別にしておかなきゃ」と文句も出る。後でよく見たら、そのコインは「シーザース」のコインで、家内が持ってるはずはなかった。スロット・マシンのコインを有料道路の料金篭に入れたやつは別に居た訳だ。疲れたが楽しかった一日を終え、1時10分にホテルに戻った。
― 続く ―
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Q-chan の
アメリカ回帰旅行記
(5)
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ニューヨーク第一日はプラザの朝飯から
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5月1日、晴れの朝だが、眠れぬまま聴いたラジオによると、午後サンダーストームだそうだ。
今朝はゆっくりして良いが、車を返さなければならない。昨日借りた時間の一時間後の10時までに返さないと超過料金を取られる。使わない車に駐車場代と超過料金はもったいない。55丁目の六番街と七番街の間にあるハーツからは58丁目の五番街にあるプラザホテルまでは4ブロック、先に車を返して、プラザホテルのパームコートで朝飯を食うことにした。ニューヨーク滞在は、昨夜の稼ぎで豪華な朝飯からスタートしよう。
車のマイレージは丁度300マイル。インターネット情報だとニューヨークとアトランテイック・シティーは、片道128マイルだから、そんなものか。許容走行距離の120マイルを大幅にオーバーしたので、バッチリ180マイル分の走行超過料金 52.20 ドルを取られた。一日当たり料金の 52% である。ガソリン代はマイル当たり 0.29 ドルが規定だが、64.20ドルしか取られていない。
パームコートは、いつもは晩飯後、ショートケーキと紅茶を楽しみに来る所だが、今回はその機会が無さそうである。豪華な雰囲気で、おじさんがバイオリンを弾いているのを聴きながら食べたショートケーキは、私の糖尿病の進行に多大な貢献をしたに違いない。ケーキのサイズは日本のものの三倍はあるだろう。ここで朝飯を食う機会は今まで無かったので丁度よい。
駐在員生活最後の一週間、ニューロッシェルのアパートを引き上げて、帰国までの数日家族と一緒に滞在したバービゾン・プラザ・ホテルにも近い。バービゾン・プラザは古いホテルで、ドアーのペンキは上から何回も塗り足され、家内は一人でドアーを閉められなかったものだ。ハーツからの途中、バービゾン・プラザ・ホテルの前で写真を一枚と思ったが、バービゾン・プラザの位置を勘違いして、プラザに来てしまった。
家内は、ここでもしつこくホット・オートミルに固執、ワーウィックのホリデー・イン以来、ホテルでの朝飯はオートミルを食べ比べている。私は、典型的なアメリカンスタイルの朝食にした。オートミルに付いてきた茶色の粉を指し「これは何?」と聞く。私は知らないと言うと家内はちょっと舐めてみて「お砂糖」と言った。そういえば、オートミルにはミルクと砂糖をかけるもんだよ。家内は砂糖なしの塩味が好きだそうだ。
リッチな朝飯を済ませた後は、現実の世界に戻る。コロンバス・サークルから地下鉄の1番線に乗り、終点一つ手前の238ストリートで降りる。ここまで来ると、乗客もまばらである。地下鉄の車内で家内の写真を一枚撮った。目指すは「ローマンス」、女性用衣料品の安売り店である。ここには駐在員時代良く来た。昔は、ボタンの付いてないコートとか、何やら半端物が並んでいたような記憶があるが、今日来てみると、すっかりイメージチェンジである。
入口を入ったところに椅子が並べてあり、アメリカ人のおじさんが座っている。明らかに奥さんの買物をそこで待っている姿である。店を一回りした後私もそのおじさんのところに行った。ここに灰皿があれば申し分ないのだが、置いてない。ドアーの外に出て一服し、また椅子に戻った。幸い、まだ眠気は来ないので、ショルダー・バッグからノートを取り出し、これからの計画や、今までの旅程でどこまで旅行記に盛り込むかの構想を練った。
そろそろ買物も終わったかと、店の中を覗くと、家内はレジでカードを出しているところだった。自分のものと娘のものを三着か四着買ったらしい。買ったものを用意してきたソニア・リキエルの黒いキルテイングの袋に入れる。私が十年以上前にビバリーヒルズのロデオ・ドライブで買ったやつだ。
パンパンになった黒い袋のブランドが付いている面を内側に持ち「さ、行きましょ」と地下鉄の駅に向かった。地下鉄と言っても、ブロンクスに入ると路上に出て、高架線を走っている。駅は階段を上がるようになっており、うっかり出口側の階段を登り、また降りて入り口側を登りなおす。トークンは、コロンバス・サークルで乗ったとき5枚買った残りがある。一個1.50ドル、我々が住んでた頃は 25セント だった。
50丁目で降りるところ、めったにないことだが家内と話し込み、停まった駅を見るとタイムス・スクエアだ。「乗り越した」とそこで降り、階段を上がって逆方向のホームを探した。「1アップタウン」はすぐ見つかり、階段を降りた。ホームはかなり混んでおり、ヒスパニックや黒人が目立った。私には、昔オフイスから地下鉄に乗るのに、タイムス・スクエアとグランド・セントラルの間の一駅シャトルをよく利用したので、懐かしい駅だが、家内には異様な光景だったらしい。すぐ来た電車に乗り一駅目の50丁目で降りてホテルまで歩いた。
昼飯は、カップヌードル。お湯が沸くまでの時間、ニュージャージーの昔の同僚に電話をした。彼は、まだその音響メーカーに在職、アメリカ会社の社長をやっている。金曜日に会うのを楽しみにしていたが、あいにく日本の本社社長がアトランタの工場の創業15周年記念式典に来訪するのでそのアテンドをしなければならなくなったから失礼すると残念がる。先週、日本の私に電話をしたが既に出発後だったとのこと。彼は立場上よく日本に出張して来るので、またすぐ会えるだろう。「サカイ商事」に電話かけても出ないけど、まだやってるのかと聞くと、あそこは二年前に店をたたんだとのこと。それに代わるお土産屋はないかと聞くと、大陸商事とマキを教えてくれた。電話帳で大陸商事とマキの番号を調べ電話する。大陸商事はすぐ電話で連絡がとれ、五番街の45丁目と46丁目の東側でフレンチビルの中だと言う。マキは電話帳の番号で出た相手はマッサージだった。
ついでに、このフォーラムの C さんからの宿題、Hotel Milford の空港リムジンが無料サービスなのか電話で調べる。リムジンは有料で、ケネディーまでが 40ドル、ラグアーディアまでが 30ドル だった。部屋代は 185ドル から、ファクシミリ番号は (212)764-4477 である。今後の参考にと、バービゾン・プラザ・ホテルのファクシミリ番号と部屋代を聞く。ファクシミリは (212)481-7270、部屋代は 170ドルだった。今朝の朝飯で、超高級ホテルに泊まると、朝飯代もかさむのがわかった。次回は、このあたりが妥当か。
午後は雨の予報なので、メトロポリタン美術館に行くことにした。雲ひとつ無い空を見上げて、雨だと言うのを家内は信じない。それでもブツブツ言いながら傘は持って出た。
ホテルの前でタクシーを拾い、メトロポリタンと言うと八番街を北に走り出した。多少位置関係を知ってる家内は「セントラル・パークの反対側じゃないの」といぶかる。「五番街が逆一方通行だから、これを行ってセントラル・パークの中の道を行くんじゃないの」と安心させた。案の定、タクシーは86丁目かセントラル・パークに入り、五番街を南下してメトロポリタンに横ずけした。
入場料は 8ドル。65歳以上は 4ドルになると書いてある。ひとつからかったやろう。「アダルト、ワン、シニア、ワン、プリーズ」切符売り場のお嬢さんは私の顔をしげしげと見て、「ほんとにシニア?」と言う。「何歳に見える?」と聞くと「とても65歳には見えない」と言う。「オーケー、ユーウイン、ツー、アダルツ。来るのが二年早かった」と引き下がった。彼女は「二年後にまたおいでよ」と言った。
入場券は薄い金属のバッジだが、爪の部分が小さく、これで衣服につけてもすぐ取れてしまうだろう。私は、ジャケットの胸のポケットに入れた。入り口を入ると二階のヨーロッパ油絵のコーナーである。家内も、絵は好きな方だがイタリアで堪能して来ている。ここをくまなく見ては時間がいくらあっても足りない。この美術館のハイライト、一階のエジプト、ギリシャに行く。アフリカまで来たところでドッと疲れが出てきた。
レストランに行き、お茶することにした。かなり混雑していたがボーイが席に案内してくれる。二人とも莓を頼んだ。持ってきた莓を見て「二人別のものを頼んだ方が良かったわね」と言う家内。大型の莓にサワークリームの山、食欲をそそる姿ではないが、美味しい莓だった。何と言っても昼飯はカップヌードルだ。勝手を知らぬ日本人女性が一人テーブルに座る。大勢居るボーイは誰も相手にしない。暫くしてその女性はすごすごと立ち去って行った。私も疲れてなければ、「こちらのテーブルでご一緒にいかがですか?」とか「ボーイに案内されてから座らないと、注文をとりに来ませんよ」とか言ってあげるのに、その元気はない。
美術館も、ここじゃなきゃみられない物があるので、真面目に見学すべきだが、何と言っても疲れる。楽器、アメリカ・コーナーを観て引き上げることにした。外に出ると、雨は小降りになっている。タクシーをつかまえ、五番街を46丁目まで下る。フレンチ・ビルは五番街を南に、左側の洋服屋と洋服屋の間のアーチをくぐったところにある。エレベーターで「大陸商事」のフロアーに行く。
品揃えは「サカイ商事」よりやや高級品が多いような気もするが、これも時代の流れかもしれない。それでも、ペン式の香水など、昔「サカイ商事」で買ったものもあり、家内は幾つか買ったようだ。私は、ニューヨークの日系情報紙「OCSニュースはないか?」と尋ねたら、「旭屋書店にあります」とのこと。
旭屋書店の場所は、バンダービルト街の45丁目だそうだ。ついでに「寿司のテークアウトができる店はないでしょうか?」と聞くと、旭屋書店の向かい側に「竹寿司」があり、46丁目の五番街とマジソン街の間に「なにわ」があり、「なにわ」の方が安いと教えてくれた。何だ、昔の私の縄張りじゃないか。
傘をさしたり、つぼめたりしながら、まず旭屋書店に行く。OCSニュースは、明後日新しいのが出ると言うことだが、現在あるものを一部購入。ついでに、マンハッタンの鳥瞰図とアメリカ全土の鳥瞰図を買った。額に入れてリビングに飾ろう。会計をしながら「お土産屋さんで、マキと言う店を知りませんか?」と尋ねた。「マキは五番街の49丁目だったと思います」と教えてくれた。
五番街方面に歩くと、寿司屋さんがあった。てっきり「竹寿司」と思いこみ、にぎりを二個買った。テークアウトと言うより、日本のコンビニに売ってる寿司の姿である。これで、ホテルに帰ろうとすると、家内が「ちょっと、その店に寄るわ」と言う。ビタミン屋である。家内は、ビタミンCともう一つ何かの瓶を買った。日本より安いらしい。
ホテルまでは、ストリートを5ブロック、アベニューを5ブロックの距離だが雨も上がったことだし、夕方で車道も混んでいたので歩いた。
ホテルに帰り、湯を沸かし、寿司をパクついた。結構うまい。箸の名前を見ると「大吉すし」とある。なんだ「竹寿司」じゃなかったのか。
7時を回ったので、ホテルを出て劇場に向かった。七番街を渡り、ワンブロック上に行くと、ニール・サイモン劇場だ。入り口には黒山の人。家内を外に待たせて私は人混みをかきわけ、ボックスオフイスに行った。「キュートク、ケイワイユーツィーオーケーユー」と言うと、封筒の中から一枚の紙を出し「こちらにサインをお願いします」と言う。サインをするとチケットを二枚くれた。何だ、ここんちは、チケットに客の名前を印刷してくれないのか。A109と110を見て、家内は「並んでないのね」と言う。A110のゼロに斜線が入っているので116と見間違えたようだ。
劇場のお嬢さんに案内されて席に着く。オーケストラ (一階席) のど真ん中の一番前である。我々の前は半地下で、そこに楽団が居る。2メートルくらいでステージがあり、我々の席とステージの間の楽団の頭の部分には網が張ってある。丁度我々の前の2メートル四方くらいは、その網がない。「どうして、ここだけ網がないのかしら?」「さー?」その謎はすぐ解けた。やがて指揮者が現れ、そこに立った。網があれば指揮者の頭がぶつかる。
開演前から、タイ人僧侶の扮装をした俳優が左右二人ずつステージの左右の上の観客席に設けられたステージに上がって、開演を待っている。キャストは、王様がルー・ダイアモンド・フィリップス、家庭教師アンナがフェイス・プリンス、船長がジョン・カーレス。その昔、日本でも♪シャル・ウイー・ダンス、タン、タン、タンの主題歌「シャル・ウイー・ダンス」が大ヒットし、エトセトラ・エトセトラ・エトセトラが大流行した、リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタィンのコンビの名作「王様と私」のリバイバル公演である。映画では、ユール・ブリンナーとデボラ・カーが主演だった。
タップダンスもないし、華やかな踊りも無く、出演者の大部分が東洋人なのでブロードウエー・ミュージカルとしては異色のものだが、我々世代の日本人には馴染みの深いミュージカルである。四十何年前、昼飯を二三回抜いてその飯代で東京の映画館の上の方の席で見た私にとって、本場のブロードウエーで見ることができるのはこの上ない幸せである。
― 続く ―
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Q-chan の
アメリカ回帰旅行記
(6)
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「サクラ商事」の地図を発見
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5月2日、好天は続いたが、予報では明日の土曜日は雨らしい。屋外の観光と主な買物は今日のうちに済ませなければならない。博物館はこりたから、明日は予定外だが、ミュージカルのマチネーでも見るか。話に聞いていたタイムス・スクエアのミュージカルの安売りチケットを覗いてみよう。
ハワード・ジョンソンで朝飯を済ませ、タクシーでタイムス・スクエアに向かった。近くまで来たところで、運チャンに「タイムス・スクエアでミュージカルのチケットを売ってると聞いたけど、どこか知ってる?」と聞いた。「ああTKTSですね。47丁目ですよ、ほらあそこにTKTSと書いてあるでしょう」「有り難う、そのへんで降ろしてください」
七番街と斜めに来ているブロードウエーの交差した洲になっているところにあるTKTSは窓口は皆閉まっている。近くで宗教新聞を売っている男に聞くとマチネーのチケットは午前10時、夜のチケットは午後3時から発売とのこと。まだ9時すぎなので、五番街に出て「マキ」がやってたらひやかすことにした。
47丁目を東に2ブロック行き、五番街に出た。確かこのへんに日本航空があったはずだ。この時間、店はまだ開いてなくても航空会社のオフイスは開いているだろう。帰国便のリ・コンファーメーションもしなければならない。だが見つかったのは大韓国航空だった。「ちょっとうかがいますが、このへんにマキと言うお店があるはずなんですが、ご存知でしょうか?」英語で聞くと、日本語で「この先の左側にあります」と教えてくれた。ついでに、日本航空の場所を聞くと、場所はわからないが電話番号ならと番号を教えてくれた。
教えられた通り、マキの看板があった。中央部吹き抜けのぜいたくなビルの三階にあった。どうやらこれがトランプ・タワーらしい。開店時間は10時、あと10分だ。そこのソファーで待つことにした。品揃えは昨日の「大陸商事」よりやや多いが、高級品指向には変わりない。町で $10 で売ってた灰皿が 7ドル だったのでそれを一つ買った。家内は何やら二三点買い込み、ソニア・リキエルの袋に入れた。
再びTKTSに行くと、10時なのに閑散としている。モニターに今夜のチケットが表示されているのを見ると、殆どが 50% となっている。ただし、お目当ての「シカゴ」も「アニー」もその中には無かった。そこに居る人に、マチネーの発売は10時と聞いたがと聞くと、あくまでも当日分なので、マチネーをやる土曜日じゃないと売ってないとのこと。しかたがない。ホテルに戻ったら電話で安い席を予約するか。
タクシーを拾い、34丁目の「メーシーズ」に向かった。どうやら、倒産した隣接の「コルベット」の建物を買って広げた模様で、やたら売場面積は広くなり、分かり難くなっている。倅のスーツとシャツを買い、私も絹のジャケットとシャツを買った。絹のジャケットは、香港で見たやつはペラペラで着る気にならなかったが、ここのは普通のジャケットと変わらず、メード・イン・ポーランドで、何とブランドは SAVILE ROW だった。着てみると軽いので、これが 99ドルなら普段着に良いと思い買った。
友人への土産、パーコレーターを探すのは大変だった。まず「インフォーメーション」に行き、フロアープランを貰い、エレベーターで5階に上った。降りると、そこは売場ではなくカフェテリアである。かまわず進行すると自動販売機があった。そこでジュースを買い飲んでると、店の人が来て「ここは従業員用のスペースです」と言う。「売場はどこ?」と聞こうとすると既に立ち去っている。
ぐるぐる歩き、やっとハウスウエア売場にたどり着く。「コーヒーメーカーで電気式じゃないのはどこにあるか?」と聞くと、「アプライアンス売場です」と言う。そこに行って聞くと「あそこの鍋売場です」言う。聞くにも売り子の数が少ないのと、居ても誰かの応対をしているので、すぐ聞く訳にゆかない。結局、この店にはそのような物はないと言われた。
次に、ステーショナリー売場に行き、幅13センチ長さ20センチのメモ帳を探したが置いてない。このメモ帳はアメリカではかなり普及しているもので、私も長年愛用しているが、不思議に日本ではなかなか手に入らない。
パーコレータとメモ帳は諦め、外に出ると「ウールワース」があった。パーコレータもメモ帳もあった。このパーコレータは、コーヒーの粉と水を入れ、コンロの上で沸かすもので、沸かす時間によってお好みの濃さに調節できる原始的なものである。蓋の取っ手が透明になっており、コーヒーの濃さが見えるようになっている。電気式のものは自動なので濃さはコーヒーの粉の量で調節するしか方法はなく、しかもアメリカ製はすぐ壊れる。日本ではドリップ式が主流なので、この種のコーヒーメーカーはまず売ってない。我が家で使ってるのは、数年前日比谷のアメリカン・ファーマシーで仕入れたものだが、2,500円 だった。ここでは 12ドルである。さすが、ウールワース、箱に入ってない。お土産としての姿ではないが気心の知れた友人にあげるものだから心配ない。
この荷物なので、一度ホテルにもどる。日本航空に電話し、帰国便のリ・コンファーメーションをする。昔は日本航空とは言え、英語じゃなきゃ出来なかったが、今では日本語で応答してくれる。
どこかでラーメンでも食べて、自由の女神でも見に行くかと、タクシーで44丁目に向かった。確か昨日寿司を買った店でウドンをやってたのでラーメンもあるだろう。六番街の44丁目でタクシーを降り、五番街を渡ると左側に「アズサ」と言う日本料理店があった。ラーメンがあるか確かではなかったが、「大吉」のカウンターよりマシかとそこに入った。
これが、結果オーライ。注文をとりに来たお嬢さんと世間話をしていると、彼女は珍しい地図を持ってきた。曰く「サクラ商事ミッドタウン・マップ」。日本人が行きたい所が満載されたニューヨークの地図である。裏は「ダウンタウン・マップ」である。主な日本料理店、著名ブテイック、博物館など観光スポットが網羅されている。この地図があればニューヨーク初めての日本人観光客も迷わず行きたいところに行ける。ニューヨーク久しぶりの私にとっても、利用価値は高い。これは、お薦めなので、帰国後 PR することにしよう。
ラーメンの予定は「鰻丼」に変わった。家内は「トンカツ」。貰った地図の発行元の「サクラ商事」はそのレストランの隣である。今後利用価値がありそうなので、そこで地図を何枚か貰おうと、「サクラ商事」に入った。良いジャケットが置いてあったが、既に「メーシーズ」で買ったので手遅れ。家内は、フェラガモの靴を一足買った。
地下鉄でバッテリーパークに向かった。スタットン・アイランドに行くフェリーに乗る予定だったが、家内がフェラガモを抱えている。予定外なので、例のソニア・リキエルの袋も持って来てない。一般客が主なスタットン・アイランド行きより、観光客が主体のリバティーアイランド行きのフェリーにした方が安全かもしれない。
バッテリーパークで地下鉄を降り、バッテリーパークを右にフェリーの切符売り場に行く。売場は円形の建物の中にあるがそこに行くまでが長い。円形の建物の入り口も分かり難い。やっとたどり着くと 7ドル、62歳以上は 4ドル。やったね。今度はシニア料金で乗れる。ところが、良く見ると 4:30 PM で終わりとのこと。時計を見ると4時半を過ぎている。他にも失望している観光客のグループが一組。私は「代案はスタットン・アイランド行きのフェリーから自由の女神を見ることですよ」と言うと、彼女は「それはいいアイディアだ」と喜んだ。家内はトイレに行きたいと言う。私は、木で出来た大きな丸い台に腰をおろしピースに火を点けた。その台の上で昼寝をしている男も居る。家内が出て来る前に、トイレの入り口も「本日終了」とブロックされた。
再び、地下鉄の駅まで歩き、フェリーに乗り込んだ。切符売り場も無く、誰も切符を見せず乗船している。5時に船は出航した。スタットン・アイランドまで約25分。リバティー・アイランド、エリス・アイランド、その後ろに見えるマンハッタンの景色は素晴らしい。特にスタットン・アイランドに用事がある訳ではないので、アイスクリームを買ってマンハッタンを眺めながら食べ次のフェリーに乗った。今度は、切符 (トークン) 売り場もあり、一人 50セントだった。マンハッタンと連結する橋やトンネル同様、往復料金を片側で徴収するしくみだ。
バッテリー・パークに着いたらまだ外は明るい。折角ここまで来て、地下鉄で戻るのも芸がない話だと、こちらの人が「ビッグ・アップル」と呼ぶホップオン、ホップオフ式の、屋上に椅子がある赤いバス「ニューヨーク・アップル・タワーズ」のバスに乗ろうと乗り場を探した。着いたとき見かけたから、この辺にも来ている筈だ。パトカーが居たので聞くと、バッテリー・パークの北のステート・ストリートだと言う。そこに行き、人に聞くと地下鉄の駅だと言う。地下鉄の駅と言われても、ここには1番9番の地下鉄のサウスフェリー駅もあるし4番5番のボウリング・グリーン駅もある。駅としてはこちらの方が目立つ。
運良くそこにセキュリティーと書いた車が停まっていたので、そのガードマンに聞く。残念、この時間既に終わったとのこと。しかたがない、路線バスにするか。6番バスが来た。客を降ろすと、乗せてくれない。待っていた東洋人のグループも乗せてもらえない。バス停の注意事項を読むと、トークンかイグザクト・チェンジが必要、ビルとペニーは受け取れないとある。ペニー以外のコインを釣り銭のないように用意せよと言うことらしい。そんな小銭は持ってない。家内を待たせて、サウスフェリー駅にトークンを買いに行く。やれやれ、バスに乗るのに、パー・ファイブ2ホールくらいの距離を歩かされた。
やがてやってきたバスの運チャンは女性ドライバー、親切な人だった。乗る人がトークンや小銭を持ってないと、マイクで乗客に「2ドル小銭に両替できる人は居ませんか?」と声をかける。大体この観光客だらけのニューヨークで、ドル札を受け取れないと言うシステムがおかしい。そんなら、バス停にトークンの自動販売機でも置けよと言いたいが、ニューヨークでは路上の自動販売機は猫に鰹節、置ける筈はない。
次の目的地はパーク街の49丁目ウオルドルフ・アストリア・ホテル。6番のバスで50丁目あたりで降りれば良いかと思っていたら、間違えて40丁目で降りてしまった。タクシーを拾う。
ホテルに入り、地下に行くと、あるはずのところに「稲ぎく」がない。もう一度一階に戻り、フロントで聞くと、日本人のお嬢さんが日本語で「ご案内します」と先導してくれた。「なにぶん、古いホテルで、今でも地下に昔使ってた地下鉄の駅があるんですから」と言う。ここからグランド・セントラル駅まで地下鉄があったらしい。これは、私も知らなかった。
「予約してないんですが、二人お願いします」と言うと「暫くお待ちください」と支配人が応対してくれた。「改装したようですね」と聞くと「昨年、夏から十一月まで改装で閉めてました」とのこと。家内がトイレにと外へ出ようとすると「こちらでございます」とガラスのドアーを指した。
テーブルに案内され、メニューを見ると、嘗ての天ぷらの名門が、何でも屋になっていた。アラカルトの品種が増え、値段もかなり手頃になっている。私は好物のロブスターの天ぷら、家内はアラカルトの天ぷらと茶碗むしを頼んだ。それぞれ赤だしを頼んだ。ロブスターの天ぷらが 29ドル、赤だしが 6ドルといったところ。料理はご飯付きの値段である。
何年ぶりかの「稲ぎく」のロブスターの天ぷらに舌ずつみを打ち、ロックフェラー・センターを経て徒歩でホテルに戻った。どこかのライブハウスに寄りたかったが、家内は「明日もミュージカルでしょう」と言うので諦めた。
ホテルに戻り、明日の夜訪問する予定の、ニュージャージーの友人に電話する。奥さんが出て、電子メールで連絡したが、明日午後3時にご主人がホテルに迎えに来てくれる手筈になっていると言う。その電子メールは私が日本を発った後送信されたものらしい。3時ではミュージカルのマチネーは無理だ。考えて見ると、つもる話もあるし、パソコンの今後の展開も話したい。何とか彼ら三人(二所帯プラス一人) を NIFTY に引きずり込みたい。
― 続く ―
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Q-chan の
アメリカ回帰旅行記
(7)
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戦友に再会
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5月3日、予報通り雨の土曜日、ニューヨーク最後の日だと言うのにこれはないぜ。イントラビットも、グリニッチ・ビレッジも、ソーホーも、ヘリコプターも、雨ではどうしようもない。一変したと言うサウス・ストリート界隈にも行きたいところだが、気が重い。
ハワード・ジョンソンの朝飯もイマイチだったので、2ブロック先のスターバックスで朝食をとり、懐かしいデパートのブルーミングデールズに行くことにした。確か、ブルーミングデールズの近くにウールワースがあったはず。電話帳で見るかぎり、その近辺にウールワースの店はない。ウールワースのヘッドクオータースに電話すると「本日の業務は終了」とのテープが流れる。やむをえずウールワースの一店に電話したら、ブルーミングデールズの近くの店は何年も前に閉鎖したとのこと。リムジン会社に電話で明日の空港までの車の手配を頼んだ。
それにしても、アメリカの商売は厳しい。アメリカのフラッグ・キャリアであったパンナムが潰れ、ニューヨークの代表的ビルであったパンナム・ビルの上のパンナムの文字は消え、今やメットライフとなっている。名門デパートのビー・オルトマンも今はない。低所得層を対象にしたデパートのアレキサンダーズも潰れたし、ウールワースと張り合っていたWTグラントも今はない。日本の日本航空や、伊勢丹や、イトーヨーカ堂が潰れたに匹敵するようなものだが、日本で過去二十五年に潰れた航空会社は皆無、潰れたデパートは、失礼ながらマイナーな上野の京成や池袋の丸物くらいか。
スターバックスで私はビーグルとエスプレッソ、家内はココアとマフィンを注文した。二人で 6ドルの朝食、プラザ・ホテルの十分の一である。この店は日本のドトール・コーヒーのニューヨーク版のようなもので、アメリカにしては美味しいコーヒーが飲める。
雨のなか、タクシーに乗りブルーミングデールズに行く。私のショッピングリストは殆ど消えているが、良いのがあれば買いたい物の中にソフト・アタッシュが残っている。鞄売場を見たが欲しい物は無かった。ハウスウエア売場や家具売場を歩き、家内はご近所や友人の土産を二三点購入。そろそろビーグルが消化しきった。
廃墟となったアレキサンダーズの建物の脇でタクシーを拾おうとすると、鞄屋さんがあった。東洋人の店らしいが、おかみさんと思われるおばちゃんは昼食のヌードルと格闘中で、客など目に入らない模様。四・五軒先にもう一軒あった。こちらの方が高級品がありそうである。黒人男性の売り子は熱心だ。「ソフト・アッタシュを探している」と言うと、「これはいかがですか?」と持ってくる。値札を見て躊躇していると、今度はもう一つ持って来た。最初のやつは気に入ったが 320ドル は予算オーバーだ。もう一つのは 185ドルと値段は手頃だが、革はソフトでないし、高さが低くストックフォームが入りそうもない。
最初のを「これ 200ドルなら買うが?」と言うと、顎をレジの方に向けて了解のしぐさを示した。こいつは買物だ。おそらく日本にはこの類は売ってないだろう。あっても五万円以上はするだろう。
タクシーを拾って五番街の55丁目に行く。「サクラ商事」の地図をたよりに「めんちゃんこ亭」を探す。「木久蔵ラーメン」を注文。二人で 19ドルはアメリカにしては、高いと言えば高いが、日本なみか。久しぶりの醤油味に満足する。タクシーでホテルに戻ると2時半。雨のニューヨーク、どうやって時間をつぶすかと懸念されたが、私にとっては鞄が買えたのは成果だった。
3時5分前にホテルの前に出て待つと、やがて南から来たトヨタ車を運転する友人が手を振る。二十五年前、ニューヨークで一緒に戦った戦友の一人である。現地で音響メーカーを退職し、電気製品の修理業で独立して成功、今では日本人会の副会長をやっている。今まで何回かニューヨークに来たが、来ればゴルフと言うことが多く、彼はゴルフより魚釣りが好きなので、一緒にゴルフをやることは無く、最後に会ってから十年は経つ。今も、最近の鯖釣りで腰を痛め、医者通いをしているとのこと。
久々の再会を固い握手で喜びあい、彼の車で彼の家に連れて行ってもらった。当時独身だった彼は、ニューロッシェルの私のアパートにも来てくれたこともあり、家族連れの会社のパーティーでも一緒だったので、家内とは前に何回も会っている。
彼の奥さんとは初対面だが、電子メールを交換している間柄なので、何年も前からの知り合いのような気がする。初めて聞く話だが、我々が働いていた音響メーカーのアストリアのデポにアルバイトに来たのが縁で結婚したそうだ。さすが、成功者、立派な家に住んでいる。上のお嬢さんは慶応大学の湘南キャンパスに留学中、下のお嬢さんはアメリカの軍の看護学校に在学中で、今年の夏はハワイで研修があるとのこと。この広い邸に夫婦二人で住んでいる。
今回の旅行の出発前、インターネットで入手したもろもろの資料を見せ、3月一ヶ月分のログと、アメリカでの NIFTY へのつなぎ方、私が一昨年連載した「見聞録」とそれに書き込まれたコメントを入れたフロッピーを渡す。インターネットのヤフーから入手した「ドライビング・ディレクション」は夫妻も初めて見るもので、気に入った模様。入手方法を説明した。
その、ニューヨークからアトランテイック・シテイー、ニューヨークからフレミントンへの道順から、話はファクトリー・アウトレットへと進展した。私が、フレミントンは止めてセコーカスに行ったと言うと、私が行ったところはアウトレットではなく、モールだそうだ。貰ったパンフレットにはアウトレットと書いてあったが、これも商売の手段か。セコーカスのアウトレットは毎日やってる訳ではなく、やってるときは店ではなく工場に商品を並べて販売しており、確かに安いとのこと。ただ、ここ数年日本人観光客が増えた結果割引率も悪くなり、彼ら地元の人たちは迷惑しているらしい。彼の友人がニューヨークの大手旅行代理店の親玉で、頻繁に地元の情報を聞き、それをもとにツアーを組んだりしているが、最近ではあまり情報を流さないようにしているとのこと。
当初私が行こうと思っていたフレミントンのアウトレットは、毛皮を買うなら行く価値はあるが、規模も小さいので行かなくてよかったらしい。日本からの観光客にお薦めは、やはりウッドベリー・コモンだそうだ。
ニューヨークの日本人社会も、この数年の日本の不況の影響をもろに受け、ここ一・二年で約三千人が帰国したらしい。ニューヨークの韓国人も、一頃は「日本が十年かけてやったことを、我々は二年でやった」と羽振りが良かったが、最近はシュンとしているらしい。
全部がそうではないだろうが、概して韓国人はモラルに欠け、魚釣りの場所なんかでも、日本人の後を追ってその場所に来て、ちらかしっぱなしで、現地から苦情が出ると「日本人がやったことだ」とシラを切ることが多いらしい。最近では日韓両国人の相違点も地元でわかってきて、そのへんの誤解は解消しているようだ。
彼も、アメリカ生活30年で、何か地元に還元できることに時間を割きたいと、同じニュージャージーに住む、元アイワ社長の稲垣さんと一緒に、クイーンズのフラッシング・メドウ公園に桜並木を作ろうと情熱を傾けているらしい。
そんな話をしているうちに、もう一人の戦友が訪ねて来た。彼もエレクトロニクスの技術屋で、一度音響メーカーを辞めた後、再渡米して、その音響メーカーに現地採用の形で復帰した。今ではニュージャージーに家を買い、その音響メーカーの現地法人の販売管理・新規事業担当VPとして活躍している。彼にも、用意してきたフロッピーを渡した。
食事をご馳走になりながら、昔話をしているうちに、あっと言う間に9時を過ぎた。名残惜しいが、そろそろ引き上げなければならない。再会を約し、腰を痛めてないほうの戦友にホテルまで送ってもらった。
― 続く ―
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Q-chan の
アメリカ回帰旅行記
(8)
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さらばニューヨークよ、また来るまでは
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5月4日、早くも帰国の日だ。昨日の雨が嘘のような快晴。荷物をまとめ、スーツケースと機内持ち込み用鞄を部屋に残し、チェックアウトする。
ホテルビルをチェックすると、最初の日の分に「映画」として 9.69ドルが記載してあった。「この映画見てないよ」と言うと、簡単にその分を抹消したビルを作ってくれた。この「映画」と言うのはクセモノで、部屋でテレビを点けると自動的に映画が選択されている場合が多い。会社の出張の場合、旅費精算のとき、経理ともめる材料である。いつもは、テレビを点ける際、これに気をつけているが、今回はそれを怠った。簡単に削除してくれると言うことは、ホテル側もバレてもともとと思っているのかもしれない。
チェックインのときにクレジット・カード分のサインはしてあったがトラベラーズ・チェックが全額手つかずで残っていたので、チェックと不足分を現金で払い、クレジット・カードの伝票は破いてもらった。こちらでは、チェックアウトしたと言っても鍵を返せとは言われない。
部屋に荷物を残し、鍵とカメラを持って外へ出た。どこかでゆっくり朝飯にしたかったが、リムジンが11時に来るので時間がもったいない。スターバックスで朝飯を済ませ、タクシーで十二番街の46丁目のイントレピッド博物館に着いたのは9時過ぎ。中に入ろうとすると10時からだと言う。10時から入ったのでは11時のリムジンのピックアップには間にあわない。外から航空母艦をバックに写真を撮り引き上げる。
ホテルに入る前に、ニュース・スタンドでホテルで売切れだったデーリー・ニュースを買う。日曜版なのでものすごい量である。これを部屋で仕訳し、持って行き飛行機の中で読む分と、部屋で捨てる分に分ける必要がある。ニューヨーク・タイムスはいつも売れ残り、デーリー・ニュースはすぐ売切れるのもこのホテルらしい。今回のアメリカ滞在中では、ウオール・ストリート・ジャーナルは一度も買わなかった。
ホテルに戻り、部屋に行く前にロビーを見回すと、モニターが置いてあるのに気がついた。レンタカー会社のロビーにあったやつと同じだ。触ってみると、レストラン、劇場、ナイトクラブなど、宿泊客が必要と思われる場所の情報が入っている。日本の銀行にあるキャッシュ・ディスペンサーより操作は簡単。こと情報産業に関しては、アメリカが一歩先を行っているのは歴然だ。
ひやかし半分に "The Supper Club" を検索してみた。
Touch Network
The Supper Club
240 W 47th St, New York
Phone: 921-1940
Hours: Fri & Sat 5:30pm-12:30am
Dancing: 8pm-12:30am
LIVE MUSIC--featuring the 8-16 piece Supper Club Orchestra!
$15.00 Admission for Music
Welcome also for Drinks Only!
$25.00 PRIX FIXE SPECIALS:
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THE SUPPER CLUB...THE 40's AS IT REALLY SOUNDED
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LET US BRING YOU BACK TO AN ERA OF ROMANCE...OF INTIMATE
SUPPERS,
DANCING CHEEK-TO-CHEEK AND DAZZLING ENTERTAINMENT.
その下に、このサーパークラブは由緒あるエディソン・ボール・ルームにあり、エレガントな 40 年代のナイトクラブで、五つ星レストランであるとの説明があり、更に道順があった。ここから徒歩で行ける所である。なんで、これをもっと前に見なかったのだ。金曜の晩なら行けたのに。
11時10分前、部屋に行き、スーツケースと機内持ち込み用鞄を二人分、持って降りてくるとホテルの前の路上に真っ赤なリンカーン・タウンカーを長くしたリムジンが停まっている。韓国人と思われる東洋人男性の運転手が降りて来「キュウトクさんですか?」と聞いてくる。これが頼んだリムジンだ。一度荷物を入れた後、頼んでもう一度トランクを開けてもらい、鞄からカメラを取り出す。車内で家内と私のスナップを一枚ずつ撮る。
ミッドタウン・トンネルを出るとルート495イーストはちょっと高い位置を走り、マンハッタンが見える。絵はがきの方がきれいなのはわかっているが、リムジンのトランクの上についてる水平尾翼のような飾りも入るので、二・三枚撮る。マンハッタンの見納めだ。二年か三年後、また来るまで、さらばじゃ。
空港への道は順調で、約40分でジョン・エフ・ケネディー空港のインターナショナル・ターミナルに着く。運転手に料金を聞くと、45ドル と言う。有料道路(と言ってもトンネルの通行料金)込みだと言う。私はてっきり一人 30ドルと思っていたので 60 ドルプラス 4 ドルかと予想していたので、何か儲かった気分である。 50ドル札を渡し「釣りはとっときな」と言う。タクシーなら 50ドル札は受け取って貰えないのに、何の抵抗もなく「有り難うございます」と受け取ってくれ、トランクからスーツケース2個と機内持ち込み用鞄2個を取り出してくれた。その間、リムジンをバックに家内の写真を一枚撮った。昔の人は「終わりよけれ
ば、すべて良し」と言ったものだが、楽しかったと前向きに考えることにした。
まだ12時ちょっと前である。3時発のJL1007便にチェックインするには早すぎたかな?昔は、日本航空は出発のかっきり2時前まではチェックインのカウンターに人が居なくて、来るのが早すぎると、カウンターの前にスーツケースを置いて列を作って待たされたものだ。今日は違う。既にチェックインをしていた。帰国便の予約がとれず、キャンセル待ちでやっととれた予約である。GWの最後の日に成田に着く便なので、満席は覚悟の上である。それでも、希望の喫煙席の一番後ろの席は取れた。
機内持ち込み用鞄一つと身軽になり、二階の出発ロビーに移動する。30回は来たことがある懐かしいところである。腹も減った。家内は、そこにあるコーヒーショップに入ろうと言ったが、もう少し先に多少マシなレストランがあったはずだからと、しばらく歩いてみることにした。
左手奥にカフェテリアがあったので、そこに入る。昔は空港には必ずマリオットが出してるレストランがあったが、今回はこのインターナショナル・ターミナルにも、アメリカンのターミナルにもマリオットは無かった。私は、ビーグルのツナ・サンドを頼んだが、これは食い難い。パンの部分が硬いいので、囓るとツナがはみ出しどうしようもない。やはり、ツナ・サンドのパンはソフトなやつにして欲しい。
家内はディユーティー・フリーで買物、私は Tie-Rack でアスコット・タイを買った。家内をそこに待たせて、外に出て食後のいっぷく。ビルの外には立っタバコを吸っている人が十人は居た。
出発ゲートに向かう。驚いたことに、人は普段の半分以下である。搭乗まで疑っていたが、席につくと、スチュワーデスが「今日は空席が沢山ありますから、空いてる席で横になって頂けます」と言う。早速、家内は私の席の一つ前の席に移動する。
やがて離陸、私の右後ろにスチュワーデスが座る。「今日本航空さんはどちらのホテルですか?」と聞くと彼女は「ちょっとお待ちください」と席を立ち、戻ってきて「ペンシルバニア・ホテルです」と言う。「今回ニューヨークは初めてなもんですから」先輩に泊まったホテルの名前を確かめに行ったらしい。「いつの便でおいでになったんですか?」と聞くと「昨日の便です」とのこと。あいにくの雨で、街には一歩も出てないらしい。普通二三日は現地で休養があると聞いていたが、日本航空も人づかいが荒くなったものだ。私は今度おいでになったら「サクラ商事」に行って地図を貰うと良いですよと教えた。あいにく、その地図はスーツケースに入れて手元に無かったので、ノートに控えてあった「サクラ商事」の住所と電話番号をメモして渡した。
成田に着く少し前に、そのスチュワーデスが来て「先ほどは地図のことなど、有り難うございました。これお邪魔でなければ是非お持ち帰りください」とJALの袋をくれた。開けて見ると、JALのトランプとボーイング747-200の模型が入っている。これはいい記念になる。模型はリビングに飾ることにする。マンハッタンの鳥瞰図の下にでも置けば良い思い出になる。
今回の旅行は、正味6日半のうち、2日半雨にたたられたこともあり、行きたかったころの半分は行けなかった。久しぶりのアメリカ東海岸の印象を語るにはデータ不足である。
限られた体験では、街を走っている車が比較的きれいになったこと、特にニューヨークからニュージャージーにかけて、リンカーン・タウンカーが圧倒的に増え、キャデラックやヨーロッパ車はたまにしか見かけなかったこと、空港のセキュリティー・チェックの器械の反応が高感度になったことくらいか。六年前までは、タウンカーはごく一部の人たちが乗る車で、ラクシャリー・カーはキャデラックが主流であったので、これを借りると駐車場などで、探すのが楽だったが、今回はやたらに目についた。
セキュリティー・チェックにはまいった。行く所々で、ポケットの中の金属をすべて出したにもかかわらず、ゲートをくぐると必ずひっかかった。考えられるのは、眼鏡か、ベルトのバックルか、入れ歯くらいしかない。その都度両手を水平にして金属探知器で体中こすられた。心配した、鞄の中のノート・ワープロは一度もひっからなかった。
順序は全く逆であるが、最後に、今後アメリカ旅行に行かれる人たちの参考までに、トラベラーズ・チェック (T/C) の手数料とレートに就いてひとこと付け加え、旅行記を終わることにする。
来年4月に外国為替管理法が改正・施行されるので、それまでしか使えない情報であるが、現在トラベラーズ・チェックの発行手数料は 1%、ミニマム 750円 である。従って、75,000円 が分岐点になる。 と言うことは、その日のレートで円換算金額が 75,000円以上のドル金額にしないと損である。いくら金額が小さくても 750円 の手数料は取られる。その代わり、レートは現金より 1ドル当たり 2円 安い。
ちなみに、私が換金したときのレートは、現金 128.80、T/C 126.80 であった。
700ドル 分の T/C は
126.80円 X 700ドル = 88,760円
88,760円 + 887円 (1%) = \89,647円
89,647円 ÷ 700ドル = 128.07円
となり、現金の 128.80 円より 0.73円 安いレートになる。
これが、300ドル の場合
126.80円 X 300ドル = 38,040円
38,040円 + 700円 (ミニマム) = 38,740円
38,740円 ÷ 300ドル = 129.13円
と、現金の 128.80円 より 1.06円 高くなる。
1円 の差は、2,000ドル で 2,000円 なのでたいした金額ではないが、銀行に必要以上に儲けさせることは、富士山の山頂に土を運ぶようなもので、無駄である。
T/C を持っていった場合、絶対に残して持ち帰らないことが大切である。最後のホテルの精算のとき、T/C の残を全部使い、不足分を現金かクレジット・カードで払うのが一番簡単な方法である。
あとがき
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毎回長文の旅行記、お読み頂いた方々、ありがとうございました。時差ボケの中で書いたもので、ちぐはぐな点や、誤字脱字など多々あるかと思いますが、ご容赦ください。どこかに、私の勘違いがあったのをお気付きの方はコメントを書き込んで頂けると有難いと思います。
何かご質問がありましたら、ご遠慮なく会議室でご発言をして頂くか、電子メールを頂戴すれば、分かる範囲でご回答させて頂きます。
― 終わり ―


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