プロフィール

 遊び惚けた学生時代、東京の銀座にあったカルチャーセンターという米会話学園で米会話を習ったのが幸いして、サラリーマン時代は音響製品メーカーや、貿易商社で海外取引先との営業をしてまいりました。
 定年退職後は、日本語から英語、英語から日本語の翻訳の仕事をしています。
 貿易の仕事は、はたから見るほど華麗な仕事ではありませんでしたが、海外の人たちとのおつきあいで貴重な経験をしました。
 翻訳の仕事も、翻訳会社の外注の仕事を主体にしていますから、お客様のご都合で自分の時間が自由にならない、年中無休の生活ですが、パソコンに助けられて楽しい毎日を過ごしています。
ボランティアで、(社) 日本翻訳連盟の翻訳支援ツール委員会の委員長として翻訳業界の発展に微力を注いでおります。

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Q-chan のアメリカ見聞録

この記事は1995年12月 NIFTY の電子会議室 <ワールドフォーラム・エリア館> FWORLDA
【北アメリカクラブ本館】 に連載したものです。

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★ Q-CHAN のアメリカ見聞録 1
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はじめに
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 北アメリカクラブの皆様、はじめまして。きゅうとく と申します。この十二月に、十回目の五十二才の誕生日を迎える、酉歳の貿易旅カラスです。千葉県松戸市の巣には、三十年つれそった元美人と、自称音楽家の息子が一緒に暮らしています。

 年末年始の海外旅行シーズンが間近です。アメリカにご旅行を予定されている方々も多いかと思います。私は過去三十数年に、あるときは商社マンとして、あるときは上場企業の音響メーカーのニューヨーク駐在員として、約四十数回の渡航歴がありますので、皆様のアメリカ旅行が、より安全で快適なものになることを祈念し、連載で見聞録をアップロードします。

 実は、私もこの年末年始は、元美人を連れてイタリアに行く予定で、第八会議室の発言を ROM しておりますが、各地の最新情報や、皆様の紀行文を読ませていただき、大いに楽しんでいます。そのお返しのつもりもあって、この見聞録をアップする次第です。「江戸のかたきを長崎でうつ」と言いますが、私の場合は「イタリアの恩をアメリカで返す」と言うわけです。

最近盛り上がっている話題とかけ離れるので、アップするのを躊躇しましたが、生まれつきの厚かましさで、あえてアップします。Nifty-Serve のサービス料金と電話代が無駄になる会員の方々も居られるかも知れませんが、ご容赦ください。

 アメリカは初めて、という方を想定して書きますから、既に何回も渡航された方々には、たいくつな話題も多いかも知れません。ビジネスで始めてアメリカ出張という方には、お役にたつことがあると思います。また、かなり昔の経験をベースにしていることもありますから、今は事情が違うこともあるかもしれません。そんな点にお気付の方や、現在アメリカにお住いの「北アメリカクラブ」のメンバーの方々が、訂正のコメントをアップしていただければ幸です。

機内で
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 スーツケースを預け、イミグレーションでパスポートに出国のスタンプを押してもらい、セキュリティーチェックを済ませると、ゲートで搭乗を待ちます。タバコを吸う人や、ホテルで寝酒が必要な人は、ゲートに行く途中にあるデュティーフリーショップで買っておきましょう。ここのタバコや酒は市価より安いのは確かです。

 機内に持ち込んだ荷物は、座席の下に置くか、頭の上のコンパートメントに入れます。長いフライトです。読みかけの本とか、眼鏡とか、タバコやライター、ボールペン、ヘッドホンステレオなど、機内で使う物は、コンパートメントではなく、鞄に入れて座席の下に置きましょう。

 頭の上のコンパートメントの出し入れは、不便なものです。窓側の席に座ったら、隣の人に立ってもらわないと、出し入れできません。

 座席の下のスペースは、あなたの前の座席の下があなたのスペースです。私の経験では、二十回に一回くらいの頻度で、前の席の人が自分の席の下に鞄を置いて、私のスペースがなくなって困ったことがありました。注意する方もしずらいけど、しなければ自分が困るし、注意される方は、バツが悪いはずです。

 座席に座ると、上から冷たい空気が吹き付けてくる場合があります。これは、上の自分用の電灯の隣にある周りがギザギザの丸いプラスチックを回せば風の量が調節できます。昔はこれを知らずに、風邪をひいた人が何人もいます。

 搭乗前に座席の指定ができる場合は、自分の後ろに誰も座らない席を選択することをお勧めします。長丁場で、眠れるとき眠っていたいのですが、後ろの席の人が背もたれに衝撃を与えると、ウトウトしてても目をさまします。そんなときは、なかなか寝つかれません。 イライラすればするほど、目は冴えてしまいます。

 あなたの前に座ってるのも人の子です。食事のときテーブルを出す場合など、できるかぎり衝撃が少なくなるよう、心がけるようにしましょう。

入国手続き
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十何時間機内で過ごして、クタクタに疲れて、目的地に着きました。何と長蛇の列に並ばされ、イミグレーションで入国手続きをします。列の前に、あきらかにメキシコ系か、プエルトリコ系か、東南アジア系と見える女性が居たら、かりに隣の列が少し長くてもそちらに並んだ方が無難です。

 決して、人種的偏見を持っている訳ではありませんし、それらの国々の人達が全部そうだと言う訳ではありませんが、彼女達は入国手続きに意外に時間がかかることがあります。

イミグレーションは、高速道路の料金所のような箱の中にアメリカの役人が居て、旅行者は、その箱の前に列を作って並び順番を待ちます。 英語がしゃべれる友達と一緒でも、順番が来たら一人しか箱の前には行けません。

大学を出た人達は、最低十年英語を勉強したのに、会話は苦手という人が多いはずです。これは、日本の英語の教え方がどこか間違ってるので、お互い被害者です。しかし、ここで国の教育方針を批判しても何のトクにもなりません。いかに、この難関をきりぬけるかです。

 秘訣は、相手の質問をあらかじめ予想して、答を用意しておくことです。まず聞かれることは、「なにしに来たの?」です。 次ぎに「何日滞在するの?」と「どこに泊まるの?」と続きます。一番簡単なのは、旅行会社が作ってくれたアイテナリーと称する日程表を見せることです。ツアーの場合、日本語で書かれていることが多いので、
飛行機の中で英語を併記しておきましょう。うまくゆけば、一言もしゃべらず通過できます。

 日本で、初めての土地でバスに乗るとき、料金は乗るときに払うのか、降りるときに払うのか、周りの人がやってるのを見て真似します。 一人のときは、やむをえず運転手に聞きます。海外旅行も同様、周りの人と同じことをすることです。 前の人が、どんな書類を出してるか、よく観察しましょう。場所によっては、並んでいる人達に、航空会社の人が何を用意しろと教えてくれますが、それが英語のこともありますから、期待しない方が無難です。

 イミグレーションでは、パスポートと、出国の時旅行会社が用意してくれた「入国カード」と、数年前ビザがいらなくなってから必要となった「申告書」を役人に提出して、パスポートにスタンプをもらう訳です。「入国カード」はパスポートにホチキスでとめてくれます。これが無いと出国できません。「入国カード」と「申告書」は、持ってない人のために、着陸前にスチュワーデスが「入国カードありますか?」と聞きますから、持ってない人はそこで貰ってください。 役人は、パスポートを手元のブラックリストと照合します。 運が悪いと、お金を幾ら持ってるかと聞かれることがあります。

スーツケース (バッゲージクレーム)
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 日本の空港で預けたスーツケースは、おなじみのカローゼルと称するベルトコンベアが回転しているところに出てきます。 日本と違うのは、そのカローゼルの数が圧倒的に多いことです。当然、違うフライトのカローゼルで待っても、あなたのスーツケースは出てきません。

 カローゼルに航空会社の名前とフライト番号の表示があるし、空港によっては、何々航空の何便は何番カローゼルとテレビに写してくれています。 無難なのは、同じ飛行機に乗ってた人の顔を二三人覚えておいて、その人達が居れば間違いないはずです。     
 
税関
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税関で、スーツケースの中身を見せろと言われることは、殆どありませんが、お土産を沢山持っている場合、そのリストを用意しておくことです。 そのリストには、概算のドル価格を入れておきます。 日本と違って、タバコや酒の持ち込み量は、あってないに等しいようなもので、何も言われません。

コロラド州のデンバーに行くのに、サンフランシスコで入国手続きをして、国内線に乗り継ぐという場合、税関を通過した後、再びスーツケースを預けます。税関の出口のところに、預かる係が居ます。 航空会社のカウンターで預けるのと違うので、その人に預けるのは不安になりますが、間違いはありません。 スーツケースに付けられた荷札のアルファベットが、目的地の略語になってるのを確かめましょう。

 略語は、各空港ごとに決められた英語の三文字で成り立っていますが、航空業界のきまりなので、我々しろうとは最初はとまどいます。例えばサンフランシスコは SFO、ロスアンゼルスは LAX で、決め方のルールは無い模様です。ニューヨークには、ジョン・エフ・ケネディー空港、ラグアーディア空港、ニューワーク空港と三箇所の空港があるので、国際便が着くケネディー空港は JFK となってます。あらかじめ、離着陸する空港の略語を調べておいた方が安全です。

 スーツケースの紛失の原因の多数は、荷札の付け違いで、間違って付けられた荷札の空港に行く飛行機に積み込まれることだそうです。スーツケースが紛失した場合は、着いた空港の航空会社に行けば、ちゃんとそのための用紙が用意されており、それに書き込んで渡しておきます。たいがい翌日にはホテルに届きます。そのような場合、一番不自由なのは下着です。私は、いつも下着を一セット機内持ち込みの鞄に入れてます。風呂に入って、今脱いだ下着を着るのはみじめなものです。

          - 続く -          久徳 省三 (BXE04650)

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★ Q-CHAN のアメリカ見聞録 2
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ホテル
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 アメリカでは、ホテルもレンタカーもレストランも、予約をするのが普通です。私は、何年か前、ロードアイランド州のプロビデンスの空港で、出迎えに来るはずの取引先の人が来なかったので、レンタカーを借りようと、レンタカーのカウンターに行きました。五社あるうちの五社とも、「空いてる車はありません」と断られました。田舎なので、空港にタクシーはありません。

 まてよと思い、レンタカーのフリーダイヤルに電話をかけ、次に到着するフライトの便名を言って予約をしたら、すんなり受け付けてくれました。すぐカウンターに行き、名前を言って「予約をしてある」と言ったら、ほんの三分前に「空いてる車はありません」と断ったお姉さんが、にこやかに応対してくれて、車を借りることができました。

 これは、アメリカの商習慣が、素性のわからぬフリの客とは商売をしないということのようです。特に、高額な自動車を貸したり、大勢の客を泊めているホテルに泊めたりする場合、客の素性が一番心配なのでしょう。電話一本かけたかどうかの違いで、予約した客しか相手にしないというのも理解に苦しみますが、これが現実です。ただし、街道筋のモーテルは別です。モーテルは、フリの客を泊めるのを商売にしてます。そのかわり、部屋代は前金で、食事は通りのむこうにあるレストランで食えというところが多いようです。

 ホテルの場合、かりにフリの客を泊めてくれるとしても、ぼられるのはミエミエです。電話で予約をするとき、違う州から電話してると言い、部屋代を聞いておき、チェックインのとき、値段交渉をするのが一番賢い泊まり方のようです。値段交渉は、単に「安くしてよ」より、手持ちのクレジットカードを並べて、「このカードの割引は無いのか?」と順にカードを見せ、最後に「今日は何曜日だっけ? たしかお宅は土曜日は割引日だったとおもうが」という方向にもってゆきます。カードを五六枚見せれば相手は安心します。「特別に、コーポレートレートでお泊まりいただきます」と、常連企業むけの値段にしてくれるかもしれません。

 あいている部屋があって、部屋代を値切ることができる場合はいいほうです。アメリカのホテルは、オーバーブッキングの常習犯です。客が多い時期は、夜七時過ぎに到着したら、まず予約は無効と思わなければなりません。そして、客が多い時期というのは、季節とは関係なく、展示会や会社の研修会などの催し物があるときだから始末が悪いのです。日本からじゃ、そんなのわかるはずありません。

 そのような場合、日本人のグループがカモにされがちです。あなたの英語が良くわからなかったから、予約ができてなかったとか、言いたいほうだいのことを言われて泊めてくれません。うまくゆけば系列のホテルに泊めてもらえるでしょう。たいがいは、ロビーで居眠りということになります。万一そのような状況におかれた場合は、必ず荷物はホテルに預け、貴重品も預けることです。競馬や麻雀ではありませんが、ついてないときは何をやってもうまくゆきません。ロビーで居眠りしてる間に荷物は盗まれ、ポケットの金はなくなり、パスポートからクレジットカードまで無くしても、ホテルは何もしてくれません。

 このような、悲劇を防ぐ方法があります。それは、予約を「ギャランティード」扱いにしてもらうのです。予約の際、クレジットカード番号を教えて、万一泊まらなくても一泊分の部屋代はカード会社経由で請求して良いという条件をつける方法です。到着時間が、夜七時を過ぎる場合は、「ギャランティード」で予約することをお勧めします。

 さて、予約したホテルでチェックインします。いうまでもありませんが、チェックインは、「レジストレーション」と書いてあるカウンターでやります。名前を告げ、予約の確認書があればそれを見せます。タバコを吸う人は、スモーキングの部屋であることを確かめましょう。ご夫婦でツアーに参加されている方は、部屋がツインベッドなのか、ダブルベッドなのか確かめましょう。私は、最愛の元美人と一緒でも、ダブルベッドではよく眠れません。

 ホテルのレジストレーションの係は、「アイデンティフィケーションを見せろ」と言います。クレジットカードを渡して、伝票にカード内容を刷り込ませるのが一番便利な方法です。言っていることは身元確認ですが、相手の真意は金の取りっぱぐれを防ごうとしているのです。カードで払うのは厭で、現金で払いたい場合は、チェックアウトのとき、「現金で払う」と言えば、カード内容を刷り込んだ伝票は、目の前で破いてくれます。

 二十年ほど前、フィラデルフィア近郊のホテルにチェックインした際、長い列に並んでやっと私の前の人がチェックインを始めました。当時はヨーロッパではクレジットカードが普及していなかったので、その人はカードを持ってませんでした。ホテルの人は、しきりに「アイデンティフィケーション」と言い、その客はまずパスポートを出しました。ホテル側は、「パスポートは偽造されたものが多いから、アイデンティフィケーションにはなりません。運転免許証はありませんか?」と言いました。客が免許証を見せると、「英語じゃないから読めません」と言い、役に立ちませんでした。あげくのはてに、五百ドルの前金を払ってやっとチェックインできました。カードがあれば二分か三分で終るところを、二十分以上かかりました。

 アメリカの治安の悪さは、ホテルの中でも同様です。私の昔の仲間が二人で、展示会の仕事でシカゴに出張したときのことです。朝起きて朝食を食べに行き、金を払う段で、一人がポケットの中の財布を出して払おうとしたら、中はからっぽ。もう一人が、「おまえ惚けてるな」と言いながら財布を出したらその中身もからっぽだったそうです。さいわいに二人とも駐在員なので、クレジットカードは別のケースに入れてあったので、被害は現金だけでした。二人とも前の晩は、外でお金を使ってるので、寝てる間に泥棒が室に侵入して、財布の中身を盗んだものと思われます。犯行のときどちらかが目を覚ましたら、危害を受けたことでしょう。

 ホテルの鍵は、最新の電子式は別として、昔からある金属製のものは信頼に欠けます。アメリカのホテルの鍵は、比較的小型で、客は外出の際いちいちホテルに預けることなく、持ったまま出かけます。チェックアウトのときも、鍵の回収はかなりいいかげんです。その為、返し忘れた鍵は、郵便ポストに入れれば、郵便屋さんは無料でホテルに配達してくれるようになってるそうです。ところが、郵便ポストを探す時間の無い人が居ます。ポケットに邪魔な鍵があるので、空港の紙屑かごに捨てることもあります。それを専門に狙ってる人も居ます。アーサーヘイリーのホテルという小説を読んだ方はおぼえておられると思います。中から掛ける鎖なんか、プロの泥棒の手にかかってはひとたまりもないそうです。私は、アメリカのホテルに泊まって寝る前には、椅子を一個ドアーの内側に置くようにしてます。侵入者が室に入るとき、椅子にぶつかって大きな音が出れば、ヤバイと逃げるだろうとの読みです。震動に感応してブザーを鳴らす電子式携帯用防犯ベルも持ち歩き、寝る前ドアーのノブに吊します。

 ホテルをチェックアウトするときは、「キャッシャー」と書いてあるカウンターに行きます。

 このキャッシャーには、滞在中もいろいろをお世話になります。電話をかけたりチップを渡したりするのに小銭が必要な場合、キャッシャーに行き、「チェンジ プリーズ」と言えば、くずしてくれます。お釣りもチェンジ、両替もチェンジ、ややこしい話ですが、聞き慣れた言葉ですから問題ありませんね。

 現金の手持ちが少なくなったとき、トラベラーズチェックを換金するのもこのキャッシャーでやってくれます。わざわざ銀行に行く必要はありません。
 
 アメリカで、日常使う現金を用意するときは、高額紙幣は避けましょう。二十ドル札が最高と思ってください。偽札をつかまされるのを恐れて、百ドル札は普通の店では受け取ってくれません。アメリカの札は、金額が違っても大きさは同じです。よく、一ドル札を渡したつもりで、チップに二十ドル札を渡すという間違いをします。五ドル札と一ドル札は、財布に入れず、マネークリップに挟んで裸でポケットに入れておきましょう。万一、街で与太者にたかられたりしたら、その小額紙幣をマネークリップから外して、ばらまいて逃げます。

朝食
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 ホテルのグレードにもよりますが、アメリカのビジネスホテルの代表格である「マリオット」あたりでも、朝食を提供しているコーヒーショップでは、入口にあるカウンター (演台) は、レジではなく、レジストレーションです。

 アメリカのレストランでは、日本のように勝手に入ってはいけません。日本のファミリーレストランのように、何人と言って案内されるまで待ちます。

 「ワン、プリーズ。スモーキング」と言うだけであなたの英語は通じます。主語も過去形も複数も関係ありません。禁煙席希望の場合は「ワン、プリーズ。ノースモーキング」です。

 話す英語が苦手な人にとって、アメリカの食事は楽しみではなく、苦痛だと思います。本来、食事は「食欲」という人間の本能の一つを満足する行為であり、人間本能を満足すると快感を味わうものです。まして食事は、提供する側もその快感を最大限にしてあげようと工夫をしてるわけです。これが苦痛になっては、何のため人間をやってるのかと言うことになります。

 アメリカの朝食は、果物かそのジュース、肉の切れ端かイモを添えた卵、コーヒーか紅茶、パンというのが典型的なものです。毎朝これでは飽きてしまうので、フレンチトーストとか、コーンフレークとか、日本でホットケーキと言われているパンケーキを選ぶこともできます。

 決して、英語の苦手な日本人をいじめるためではなく、お客様に十二分に満足してもらうためなのですが、アメリカの食事は、お客が選ぶものが多いので、慣れない日本人はまごつきます。

 まず、注文をとりに来る前に、コーヒーか紅茶をついでくれます。飛行機でおなじみの「ティー オア カフィー」ですから、これはもうおわかりです。次ぎに、「ジュースは何のジュースか?」「卵はどう料理して欲しいか?」「ベーコンを付けるかそれともハムか?」「パンは何がいいか?」ときます。「パンはトーストと言うと、「ホワイトかライか?」とパンの種類を聞かれます。

 私は、初めてアメリカに出張したときは、人並に英会話はできましたが、最初の朝食は、英語の試験を受けているようで、食欲は無くなりました。

 最近は、アメリカのホテルでも、省力化の効果も狙ったビュッフェスタイルの朝食が増えたので、これは楽です。料金が多少割高でも、慣れない方にはビュッフェをお勧めします。

 普通、日本の方々が誤解していることが二三あります。その一は、アメリカでは何故か朝食にはスープは飲まないのです。その二は、朝食の果物はデザートではなく、最初に食べるものなのです。ジュースを飲むのは、朝の忙しい時間を節約するため、果物を機械で搾って液状にしておなかの中に入れると言うことです。したがって、ジュースと果物を一緒に注文すると、ウエイトレスは何かの間違いではないかと何回も確認したがります。また、最初に持ってきた果物をデザートだから最後に食べようと思ってると、ウエイトレスは「フィニッシュト?」と下げようとします。

 さて、朝食も食べ終りました。それとなく出口を見ると、そこにはレジは無く、食べ終った客はスイスイ出て行きます。ヨーロッパでは、朝食はホテル代に含まれてるという話を聞いたことがある。ヨーロッパからの移民が作った国だから、アメリカもそうなのかな? それにしては、メニューに金額が書いてあった。まいったな、どこで金払うのかねー。 

 ご心配なく。「あなたのテーブルの係はわたくしでございます」とは決して言いませんが、各テーブルを担当しているウエイトレスがいるんです。ひょっとすると、ウエイトレスという言葉は男女雇用均等に違反するので、今は別の言葉になってるかもしれません。でもウエイトパーソンでは通じないと思うので、ウエイトレスとします。

 そう言えば、食事中に彼女が来て、「エブリシングオーケー?」と声をかけてくれましたね。彼女を呼んで「チェック プリーズ」と伝票を持ってくるよう頼みます。

 伝票が来たら、支払い方法は三つあります。その一は、現金で払う。その二は、クレジットカードで払う。その三は、部屋代と一緒に払うです。現金で払う場合は伝票と現金を彼女に渡します。伝票の下約二センチが領収書になっていますが、普通はそれをくれません。現金を渡す前に伝票のその部分をちぎって金額と日付を記入しておきましょう。お釣りを持ってきたら、そのお釣りのコインと、支払い額の一割から一割五分のキリのいい金額をチップとしておいてきます。クレジットカードの場合は、伝票とカードを彼女に渡すと、カードの伝票を持ってきます。カードの伝票の金額の下に「グラティテュード」という欄がありますから、そこにチップの金額を記入してサインします。部屋代につけてもらう場合は、彼女が持ってきた伝票にジカにサインし、金額の合計欄の下にでもチップの金額を記入して「プリーズチャージ トウ マイ ルーム」と言えば、部屋の鍵を見せろと言うでしょうから、見せればそれで終です。部屋代につけてもらうのが一番早く終ります。

 朝食にかぎりませんが、クレジットカードで支払ったときは、必ず伝票の間のカーボン紙を破いて捨てましょう。このカーボン紙に残っているあなたのカード番号が悪用されて、思わぬ被害を受けることがあります。アメリカでは、カードの伝票にサインが無くても有効に使える場合が多くあります。

晩飯
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 晩飯は、基本的に日本で食べる洋食と変わりません。日本でも、レストランによっては、予約が必要ですし、テーブルが用意されるまで、カウンター式のバーで待つのも同じです。

 注文するとき、聞かれることは、「サラダのドレッシングは何がいいか?」「イモはどう料理して欲しいか? ベークドか? スマッシュか? フライドか?」と来ます。ベークドは皮ごとゆがいたイモをナイフで割って割れ目にバターを入れる、日本でも一般的な食べ方です。スマッシュは、ゆがいたジャガイモをつぶしたもの、フライドは子供が好きなマクドナルドスタイルの揚げジャガです。あとは、肉の焼き方ですが、これは日本と同じです。

 アペタイザーとは、晩飯のウオーミングアップで、食欲をそそる目的で食べるもののはずですが、場所によっては、アペタイザーの前にパンかクラッカーが出ます。クラッカーにチーズをのせたものが出る場合が多いようです。

 普通、日本では、日本のご飯に相当するアメリカの主食はパンであると理解されているようですが、私はむしろイモが主食じゃないかと思います。ただし、量で判断すれば、アメリカではおかずが主食です。

 洋食のマナーには、あまり気をつかう必要はありません。アメリカでは左右にナイフとフォークが並んでいる食事は極めて希です。同じスプーンでコーヒーをかきまぜた後、アイスクリームを食べることなんかザラです。左手にフォーク、右手にナイフは基本ですが、アメリカでは、切るときだけそうして、食べるときはフォークを右手に持ち替える人が多いようです。その場合、一度に全部切らないこと、切った食べ物はフォークで刺さず、すくって口まで運ぶのがマナーだそうです。

 日本人の名誉のため、最低限守って欲しいことは、スープやコーヒーを飲むとき、味噌汁をすするときのような音をたてないこと、顔を前に出して口を食べ物の方に移動させないで、フォークで食べ物を口の方に移動させて食べることくらいでしょう。これは、人間と犬の違いで、人間は手を使う動物であるからです。

 アメリカ人も守ってませんが、タバコは、スープかアペタイザーが出たら、デザートが出るまで禁煙だそうです。

          - 続く -          久徳 省三 (BXE04650)

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★ Q-CHAN のアメリカ見聞録 3
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トイレ
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 アメリカでは、公衆便所は無いものと思ってください。しもの用はできればホテルの自分の室で済ませておきます。あとは、必要におうじてレストランかバーに入ります。比較的大きなホテルならトイレだけ借りることはできますが、連れ込み宿のようなホテルでは無理です。デパートも、トイレはありますが、客を対象にしたものではありません。ニューヨークのサックス・フイフス・アベニーのような一流店でも、倉庫みたいなところに行かされます。ショッピングモールだけは、日本なみの客を対象にしたトイレがあります。

 取引先を訪問、そこが都市の雑居ビルの場合、たいがいトイレには鍵がかかってます。受付けに行く前に用をたしておこうという日本的配慮は無理です。受付けのお姉さんに頼んでも、よほどの顔見知りでないかぎり許してくれません。トイレでのホールドアップを防ぐための防犯対策です。こんな状態ですから、日本のように、町を歩いていてネーチャーに呼ばれても、行きずりのビルに入って用をたそうという訳にはゆきません。 

 空港や、鉄道の駅のトイレは、大の方は有料で、コインを入れないと個室のドアーが開かないようになってます。もうこれ以上がまんができないのに、小銭が無くてドアーが開かない! おちついてドアーをひとつずつ見てください。必ず二つくらい無料の個室があるはずです。向かって右側にあることが多いようです。

ガソリンスタンドのトイレも、利用できますが、鍵がかかってるところが多いので、鍵を貸してもらわないと入れません。頼めば、イヤな顔せずに貸してくれます。

階段
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 アメリカで一番ヤバイのは、階段室に閉じ込められることです。ビルの階段室のドアーは、外側からは開きますが、階段室の中からは開かないようになっているのが普通です。

 上司にお供をした取引先のビルで、「エレベーターも来ないし、運動不足だから歩こうや」と階段室に入ったら最後、出られません。中からドンドンたたいても誰も相手にしてくれません。これが、金曜だったら、週末は階段室で過ごすという結果となります。くれぐれもご注意を。

公共交通手段
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 ニューヨークやシカゴのような大都市でないかぎり、バスや地下鉄は利用できないと思ってください。タクシーも自由に利用できるところは大都市だけです。

 基本的に、遠距離の移動は飛行機で空港から空港に移動し、着いた空港でレンタカーを借りるのが典型的パターンです。経済面で、飛行機が利用しずらい人達のために「グレーハンド」を代表とする長距離バスはあります。ただ、ルートによっては一日に一便か二便という頻度のところもありますから、日本からの旅行者にとって利用価値は少ないと思います。

 私も、駐在員になる前に日本から出張したとき、英語は TOEIC 800点台と英語ペラペラの駐在員とニューヨークのマンハッタンからユティカに行くとき利用したことがあります。そのバスは途中で乗り換えだったのですが、運転手が乗り換えの案内をしてくれたのですが、その駐在員はそのアナウンスが理解できず、危うく乗り換え損なうところでした。私も、断片的にしかわかりませんでしたが、どうやら乗り換えらしいと察し、運転手に確かめて難を逃れたものでした。

 アメリカでは、生活のパターンが個人が車を持っているのを前提になっているので、車が自由に運転できないと、行動が大いに制約されます。と言っても、日本からの旅行者が、レンタカーを借りて運転するのはできれば避けたいものです。

 その理由は、第一にアメリカは右側通行であること、第二にアメリカ人の運転は下手くそが多いので、もらい事故の可能性が大きいこと、第三に万一の事故の場合ちゃんと手当をしてもらえるか疑問ですし、してもらえても輸血からエイズ感染の可能性があることです。フリーウエーだけを走ってるぶんには、右側通行も関係ありませんが、一般道は危険です。

 日本なら交差点で右を見て左を見るのが、逆です。右折も左折も州によってルールが違います。もたもたすると、後の車は遠慮無くクラクションを鳴らすので、焦ります。ついあわてて、事故をおこしたりします。

 事故ったら、絶対「アイムソーリー」とは言わないことです。こちらが悪いのは承知でも、相手を非難します。アメリカで、「アイムソーリー」と言うと高くつきます。可能なかぎり、恐ろしい顔をして、日本語でいいからどなりちらすことです。

 ケースバイケースですが、四人くらいのグループで、観光が目的の場合、ホテルのコンセルジュに相談して、運転手つきのリムジンを雇うのもひとつの方法です。意外に安いはずですし、観光バスに比べれば自分達の行きたいところに行けます。

 どうしても、レンタカーを借りて、自分で運転する場合は、障害保険に加入している証明書を携帯しておくのを忘れないように。保険の証明書は、大切だからホテルのセーフティーボックスにいれたままでは、何のためかけた保険かわかりません。事故で、病院に運ばれて、治療費が取れないと思われた場合、放置されて助かるところを一命を失うことさえありえます。
 
 私は、日本では、絶対に左ハンドルの車は運転しません。左ハンドルに乗ったら右側通行と体に覚えさせています。それでも、アメリカで運転席に座ると、最初の五分くらいは、バックミラーを見るのについ左上を見てしまいます。

 アメリカでレンタカーをした日本人が、一番犯しやすい誤りは、ロックアウトです。つまり、キーを入れたままドアーを締めてしまうことです。アメリカにある車は、日本車も含めて、ドアーのロックを押してドアーを閉めると、ノブを引きながら閉めなくてもロックされます。

 アメリカでは、どっちみち車の中に物を置いておけば、ものの十五分で盗まれます。ドアーをロックしても何の役にもたちません。アメリカでは、絶対にドアーはロックしないようにしましょう。

  注: レンタカーのアグリーメントには駐車する際はドアをロックするこが義務ずけられているそうです。

 その代わり、品物は後ろのトランクに入れ、トランクのキーをロックします。トランクのキーは、日本にある車のように運転席の右下の床になんかありません。それは、グローブコンパートメントの中にあります。そして、グローブコンパートメントは、エンジンキーか、トランクのキーで閉まります。

アメリカで、フリーウエーを長距離走る場合、混んだ道を走り慣れてる日本人はついスピードを出しがちです。第一次オイルショックの前は、アメリカのフリーウエーのスピード制限は、時速75マイルでしたが、今は55マイルのところが多いはずです。すいてるフリーウエーを、フルサイズのアメ車で走ると、すぐ55マイルはオーバーします。ところが、アメリカにもネズミトリもあれば、見通しの悪い場所に隠れてるパトカーが突如現れることがあります。

 日本で、高い税金を払ってる我々が、アメリカの罰金を払うのは、無駄というものです。これを避ける秘訣は、長距離を走る場合、トラックの後を走るのが安全です。彼らは、無線で連絡をとりあって、パトカーが隠れてたり、ネズミトリをやってたら、教えあってます。

 私の場合、トラックの後を走るのはうっとおしいので、リンカーンのタウンカーや、キャデラックのようなラクシャリーカーを借り、クルーズコントロールを入れて走ります。スピードを制限速度にセットしておけば、下り坂さえ気を付ければ違反することはありません。レンタカーは、各社きまりがありますが、私がいつも利用する「バジェット」の場合、二週間前の予約で割引があり、ラクシャリーカーも小型車なみの格安で借りられます。ただし、保険料は小型車より高いみたいですがたかがしれてます。

 アメリカの高速道路には、フリーウエーと、パークウエーと、ターンパイクの三種類があります。いずれも高速道路で、気にすることはありませんが、パークウエーは、乗用車専用で、トラックは走れません。したがって、スピード違反を避けるため、トラックの後を走ろうと思っても、トラックは居ません。ターンパイクは、例えばニューヨークスルーウエーのように、地名が付いてるスルーウエーで、有料道路です。有料と言っても日本の有料に比べればタダみたいな料金です。高速道路には、東南西北が表示されてます。例えば I-95 SOUTH です。これは、インターステート(州をまたがって走っている道)95を南に向かってるよと言うことです。当然、その逆は I-95 NORTH です。それでも、逆に走ることがあります。

 有料と言えば、一般道でもフリーウエーでも、橋を渡るところは有料のところが多いので、気をつけましょう。アメリカの橋の料金所は、東海岸では無人で、かごにコインを投入するとゲートが開くようになっているところが多いようです。小銭が無い人のために、係員がいるゲートも必ずありますが、たいがい車が列を作って並ぶので、レーンを変えにくいところです。アメリカでは、車に乗ってるときも小銭を持ってないと不自由です。

一般道を走り、目的の建物を探すのは、日本に比べて楽です。アメリカでは、どんな細い道にも、必ず名前が付けられていて、道路の片側は奇数、その反対側は偶数の番地(家番号)が付けられています。ロードマップには、必ず道の名前のリストが町ごとに、アルファベット順に掲載されています。出発前に、行き先の住所の番地の次の名前をロードマップで探すと、その名の道があるはずです。その道に行く道順をメモして、その道に来たらどちらが奇数か見て、あとは家番号が増えつつあるか、減りつつあるかを見ながら走れば、目的の番地に行けます。この、片側奇数か偶数かは、ホテルの室番号も同様です。563号室の隣は、565号室か561号室です。564号室は、その廊下を挟んだ向い側です。

 道路の話題で、もう一つ面白いことがあります。道路標識の中に、「デッドエンド」(DEAD END) と言うのと、「ノーターン・オン・レッド」と言うのがあります。デッドエンドは、「死に終わった」ではありません。「行き止まり」です。知らない土地を走ってて、この標識には救われます。そんな所にかぎって、Uターンしずらい細い道が多いのですから。「ノーターン・オン・レッド」は、常に右折可(右側通行ですから、右折は日本の左折に相当します)の州で、赤信号で右折しちゃダメという標識です。と言うことは、その州では、この標識が無ければ赤信号でも右折していいよと言うことです。

買物
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 タバコ屋はどこ? たいがいの旅行者は、日本出発のときディュティーフリーでタバコを買ってきてますから、アメリカでタバコを買う必要はないはずです。それでも、朝うっかり持って出るのを忘れることがあります。アメリカでタバコ屋さんを探すのはたいへんです。ショッピングモールにでも行かなければ、まず無いでしょう。

 日本でも、最近はタバコ屋さんは減りましたが、どんないなかでも、町角に自動販売機があり、不自由しません。ところが、治安の悪いアメリカでは、町角には自動販売機はありません。そんなところにあれば、一晩で壊されて中のお金を盗まれるからです。

 そこで、自動販売機は、レストランやバーの入口を入ったところに置いてあります。通行人は、勝手に入ってその自動販売機を利用してかまいません。一個か二個買うなら自動販売機でもいいでしょうが、手元に買い置きがない場合は、スーパーでカートン単位で買うことをお勧めします。値段が格段に違います。

 スーパーマーケットと言えば、アメリカのスーパーには、「エクスプレスライン」というレジがあります。買物の点数が二個か三個の場合、普通のレジで並ばなくても、「エクスプレスライン」に行けば、ほとんど待たずに金が払えます。

 デパートで買物をする場合は、専用のクレジットカードしか使えないことがありますから気をつけましょう。アメックスも、ビサも、マスターカードも駄目です。そこで、トラベラーズチェックで払おうとすると、また大騒ぎになります。免許証を見せろとかクレジットカードを見せろとか言い出しますが、それは売場責任者が現れてからの話で、レジのお姉さん(おばさんの方が多い)の段階では、話がつきません。買物の予定の日には、ホテルのキャッシャーで、トラベラーズチェックを現金に替えてから出かけましょう。ショッピングモールの、専門店や、ティファニーなどでは、普通のクレジットカードが使えます。

注: 現在はデパートで一般のクレジットカードを使うことができます。

 アメリカのデパートが日本のデパートと違うことで、一番の驚きは、返品に対する考え方です。アメリカのデパートには、一階のかなり目立つところに「アジャストメントコーナー」というのがあります。これは、衣服の寸法なおしではなく、返品コーナーなのです。日本なら、包装紙に包みなおして、レシートを添えて「これ寸法があわないんですが、違うのと取り替えてもらえませんか?」と言うところ、アメリカでは、「アイドン ライクイット」と言えば、たとえ箱が無くなっていてもそこでお金を返してくれます。その後、欲しいものがあれば又買えばいいのです。デパートによっては、レシートを見せろと言うところもありますが、そんなもの捨てたと言えばたいがい大丈夫です。まあ、いろいろしゃべる必要がないよう、レシートは持ってて、見せた方がいいでしょう。シアーズ・ローバックは、無期限返品自由を特徴としていたものです。

最近は日本でも、価格破壊と称して、同じ物でもお店によって売値がまちまちですが、アメリカでは昔からです。欲しい物があったら、衝動買いをしないで、少なくとももう一軒の店を覗いた方がいいでしょう。化粧品の場合、メーカーがアメリカか、ヨーロッパかで似たようなものが何倍にもなるようです。日本人にとって、外国製ですが、アメリカ人にとってはコテイーやクリニークは国産なのです。同じ国産の化粧品でも、デパートよりスーパーマーケットや、ウールワースみたいな日本のダイエーやイトーヨーカドーみたいな店の方が安いかもしれません。

 日本へのお土産は、気を付けないと日本製を買うことになります。最近は、東南アジア製が多いので、それも避けた方が無難です。何かにつけアメリカ製を探すのには苦労しますが、持ち帰って喜ばれるのは、東南アジア製よりヨーロッパ製です。

 ニューヨークや、サンフランシスコ、ロスアンゼルスのような大都市の場合、日本人が経営しているお土産屋さんに行くと、日本人むきの品々が用意されており、二割引から三割引で売ってます。ニューヨークでは、グランドセントラル駅の近くの「酒井商事」や「高島屋」がそうです。ともに、雑居ビルの中にあり外からはお店には見えませんし、「酒井商事」の場合は、暗号でドアーをノックしないと開けてくれませんから、行く前に電話で確認した方がいいでしょう。電話がわからない場合は、日本料理店で聞けば教えてくれます。
 
 サンフランシスコは、ジャパンセンター、ロスアンゼルスの場合は、リトル東京か、ガーディナのパシフィックスクエアに何店かあります。

雑誌を買うには
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 日本と違って、アメリカでは雑誌は本屋ではなく、町のニューススタンドか、ドラグストアーやスーパーマーケットで買います。業界の専門的な雑誌を探そうと、時間をかけて大きな本屋に行って探しても、殆どの書店には雑誌売場はありません。残念ながら専門誌は、定期購読でないと手にはいらないものが多いようです。

 初めて来た町で、夜自由時間がある予定の場合、空港に着いたら、空港のギフトショップに立ちよって、その町の情報誌を一冊購入すると役にたちます。ニューヨークなら、「ニューヨーカー」という雑誌(昔は「ニューヨーク」がありましたが今は「ニューヨーカー」に統合されてます)です。万一、ホテルの部屋にテレビの番組表がない場合も、その雑誌にのってます。

 町のニューススタンドは、売ってる雑誌の種類が予想外に多いのに驚きます。特にニューヨークのグリニッチビレッジなど、その地域の劇場やライブハウスでどこに誰がでてるかなどのローカルな情報誌は、その地域のニューススタンドで買うのがよいでしょう。でも、空港で買った雑誌にたいがいのことはのってます。 

劇場のチケットを買うには
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 オーソドックスな買いかたは、ホテルのコンセルジュに頼むことですが、ある程度会話ができて、ちょっと旅慣れれば、ホテルに手数料を払わず、電話一本で劇場から直接買えます。

 空港で買った「ニューヨーク」をパラパラめくると、ミュージカル、バレー、オペラ、新劇、ジャンル別に、今やってるパーフォーマンスが劇場ごとにリストアップされており、料金も書いてあります。そして、電話番号も書いてあります。その電話番号に電話し、行きたい日と、希望の席と、名前とクレジットカード番号を言えば簡単に予約ができます。チケットは、劇場の切符売場に行けば、あなたの名前が書いてある封筒にいれて用意されています。料金は、後日クレジットカード会社から請求が来ますから、そこで払う必要はありません。チップもあげる必要ありません。たいがい、チケットにもあなたの名前が印刷されてますから、帰国したときに自慢できます。
 
 ちなみに、一階席は「オーケストラ」と言い、二階席は「メザニン」と言います。映画館の場合は、日本と同様、劇場の切符売場で買えます。大都市の映画館には、ポルノ専門があるので、女性はきをつけましょう。たいがい外のポスターで見当はつきます。男性は、話の種にチョット覗いてみましょう。安い入場料で、まっぴるまから、想像もつかぬ光景が大画面に映し出されてます。十分も見ればイヤになります。

 ライブハウスは、チケットの前売はありませんが、予約しておいた方が無難です。アメリカでは、ストリップ小屋も含め、ライブハウスは、入るときに入場料を払い(せいぜい二十ドルです)、最低二ドリンクとか三ドリンクを注文するのが義務ずけられます。そのドリンクは、アルコールとはかぎらず、コカコーラでも大丈夫です。せいぜい、一ドリンク二ドルか三ドル程度ですから、日本のライブハウスの値段にくらべれば安いものです。

          - 続く -          久徳 省三 (BXE04650)

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★ Q-CHAN のアメリカ見聞録 4
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乞食
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 大都市の地下鉄の駅なんかには、乞食がウヨウヨ居ます。日本の乞食は、道端に座って「お恵みを」と空缶など置いてますが、アメリカの乞食は、活動的です。歩いるあなたにしつこくつきまとい、「ダイム(10セント)をくれ」とか「クオーター(25セント)くれ」と言います。つい、その程度の金なら恵んでやろうかという気になりがちですが、絶対相手にしないことです。

 タカリのきっかけをつかもうとしているわけですから、肌の色が黄色なのをいいことに、英語がわからないふりをして、日本語で「急いでるから、ごめんね」と言うか、知らんかををして歩き続けることです。

道を聞かれたら
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 大都市の場合が多いのですが、日本人はやたらと道を聞かれることがあります。アメリカでは、知らない人に声をかけられたら、英語がわからぬふりをして、相手にならないで下さい。

 親切顔をして、「あなたの衿にほこりがついてます」とか「背中にケチャップがついてます」とか言って近ずいて来る人がいたら、スリだと思って下さい。そうでない場合もあるかもしれませんが、ほこりをとってくれるふりをして、ポケットの中身を狙って来たと思うべきです。

 おぼえている方も居られると思いますが、三年か四年前、ニューヨークで日本人の画商がユダヤ系アメリカ人と、数十億円の絵を自家用車で運んでいるとき、運転してたアメリカ人が、「電話をかけてくるから待ってて下さい」と車を降り、日本人は言われたとおり車の中で待ってましたが、あまり遅いので車から出たら、通りがかりの人に声をかけられ、服に何か付いてるとか言われ、話している最中に悪党の相棒が車から数十億円の絵を盗んだという話が新聞に載ってたことがあります。アメリカでは、「人を見たら泥棒と思え」のことわざどおりと思って警戒しましょう。

 私は、駐在員の頃、先輩に「道を歩くときは、歩道の車道側を歩き、絶対にビル側を歩くな」と教わりました。ビル側を歩くと、路地からおあにいさんがサット出て来て、ひきずりこまれ、身ぐるみ剥がれるそうです。あの頃は、やたら花売り娘が歩行者をカモにしていました。花代を払おうとすると、財布をひったくって逃げるという手口です。花売り娘の相棒がどこからともなく現れることもありした。
 
 日本からニューヨークに来られた先輩を、一晩私のアパートにお泊めして、翌日の晩、ジプシーダンスのライブハウスに案内して、しこたま飲んでいただいたことがありました。夜の十二時すぎにホテルの入口まで車でお送りして、私は帰宅しました。日本にお帰りになる前に、お電話をいただけることになっており、都合がつけば空港までお送りする予定でした。

 五日たっても一週間たっても電話がないので、私はひそかに「あの先輩も変わったな。そんな冷たい人じゃなかったのに」と思ってました。ところが、二年か三年たって、お会いしたとき「今だから言うけど、キューチャンひどいことしてくれたじゃないか。旅先で、現金からトラベラーズチェックまで取るなんて。金に困ってたんだったら、言ってくれりゃいいんだよ。トラベラーズチェックなんか換金できなだろうに」と言われました。

 私は、ビックリ仰天、「どうしたんですか?」と聞くと、私と付き合った晩の翌朝、財布から現金もトラベラーズチェックもなくなっており、酔っ払っているのを幸いに、私が盗んだと思ってたらしいんです。「そんなことがあったんだったら、電話して下さればいいのに」と言いましたが、私が犯人だと思ってたので、私に電話するわけにゆかなかったのでした。あいにく、そのトラベラーズチェックは、本店が西海岸の銀行発行のものだったので、再発行してもらうのに西海岸の銀行が開店するまで待たされ、腹は減ったが朝飯を食べる金もなかったそうです。

 それ以来、日本からの旅行者と晩ご一緒したときは、面倒でも車はホテルの駐車場に入れて、エレベーターまでお送りするようにしてました。

歩行のマナー
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 こんなアメリカで、信じられないことに、デパートやビルの入口のドアーを入るときは、前の人は、後から来ている人のために、ドアーを手でおさえてくれます。バスやエレベーターに乗るとき女性が居たら、必ず「アフターユー、プリーズ」ですから、わからないものです。悪名高いニューヨークの地下鉄でも、女性やお年寄が前に立ったら、たいがいの人は席をゆずります。

 らおそらく、悪いことをするのは、ほんの一握りの人達で、大部分の普通の人達は、善良なのでしょう。

 ある意味では、街を歩いてて人に平気でぶつかったり、電車で座ってて隣の人におかまいなしに新聞を両手で広げて読んでる人達が多い日本の方が、マナーに欠ける人達が多いようです。

 日本人には、足をすべらせるように足音を立てずに歩く人が多いようですが、これは、アメリカにかぎらず西洋人には無気味だそうです。日本の幽霊は足がありませんが西洋の幽霊には、足があるでしょう。それで、足音立てずに歩いている人がいると幽霊を連想するそうです。そんなこと言っても、ラバーソールの靴を履いてたら、足音が聞こえるのか? と言う疑問はあります。特に最近は、スニーカーという高価な運動靴を履いてる人が多いんです。私はできるだけ、かかとから着地するように歩くようにしてます。(万歩計の誤動作も少なくなるらしいし)

 冬のアメリカ北部では、空気が乾燥しているところに、化学繊維のカーペットがやたら敷き詰められてるので、静電気に悩まされます。冬のパーティーは最悪で、人と握手するたびにパチパチ、火花まででます。そんなとき、ラバーソールの靴を履いてると多少は静電気が軽減されるようです。道路が、凍結してるので、皮底よりすべりにくいので、私は冬のアメリカでは、ラバーソールを履くようにしています。

郵便
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 どんな筆無精な人でも、海外旅行のときは、見送りに来てくれた人(最近はそんなの少ない)や、家族に絵葉書くらい出すでしょう。町を歩いてると、郵便ポストはやたら見かけますが、不慣れな人は、切手をどこで買うのかわからない場合があります。でも大きなホテルなら、ロビーに切手の自動販売機があるからわかります。

 この自動販売機で切手を買うと、入れた金額通りの額の切手は入ってません。日本までの切手が幾らかもわかりません。一番楽で、確実で、損をしない方法は、ホテルのフロントに「プリーズ、センドイットトゥージャパン」と頼むことです。そこで、金を払ってもいいですが、記録を残すために「プリーズ、チャージ トゥーマイルーム」と言って、鍵を見せればチェックアウトの時部屋代と一緒に払えます。赤で、AIR MAIL と書くのを忘れぬように。船便だと、あなたの方が先に日本に着いちゃいます。住所は、宛て名も住所も日本語で大丈夫、一番下に JAPAN と書けば日本に着き、配達は日本語が読める日本の郵便屋さんがやってくれます。

 地域や、ホテルによっては断られる所もあるかも知れませんが、今まで私が泊まったホテル(主にマリオット、ホリデーイン、ときによってヒルトンやハイアットリージェンシー)ではやってくれました。

 普通アメリカでは、航空便のことを「ファーストクラス メール」と言います。AIR MAIL を書き忘れたりして、相手が気が利く人だと聞いてくれますから、知ってた方が便利でしょう。
 
 だいぶ前から、アメリカから来る手紙に、名前の前に Mr.や Mrs.が付かなくなりました。アメリカ人から、そんな手紙を貰っても、失礼な奴だと怒らないでください。女性が、ビジネスの世界で活躍をし始めてから、最初の間は、未婚か既婚かわからないので、女性宛は Ms.と書いてましたが、そのうちに男女問わず省略となったようです。

 アメリカに、UPS(UNITED PARCEL SERVICE)と言うのがあります。これは、UNITED と言うので、アメリカの郵政省がやってる郵便と誤解されがちですが、レッキとした民間企業です。くろねこヤマトが、日本のお役所と大喧嘩して日本に宅急便を普及させたとき、参考にしたアメリカの宅急便の草分けです。このほかに、国際宅急便からスタートした、フェデラルエクスプレスと言うのもあります。

 共に、日本向けの宅急便を受け付けてくれますから、展示会で集めたカタログ類などを日本に送るのに利用している人が大勢居ます。たいがい、運賃前払いでしか、受け付けてくれないはずです。カートンは、それらの営業所に行けば、無料でくれてました。

パスポートを無くしたら
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 我々は、外国に居るときは、駐在員として現地に生活の拠点がある人も含め、常にパスポートを携帯していなければならないそうです。実際には、駐在員の場合は運転免許証がありますからパスポートは自宅に保管している人が殆どですし、旅行者も移動中を除いてはホテルのセーフティーボックスに預ける人が多いようです。

 私の場合、駐在員時代も、海外出張やプライベートの旅行のときも、アメリカで入出国のとき以外に、パスポートの提示を求められたことはありません。メキシコに行く査証をもらうのには、必要でしたが。

 パスポートを無くす可能性は極めて少ないと思いますが、私は一緒に旅行した人が盗まれたことがあるので、そのときどうしたかを説明します。

 五年前の話ですが、当時勤務していた会社のゴルフ場用機材の輸入販売をやってた部が、日本全国の販売代理店の販売成績が優秀だった七社から、各一名をアメリカ視察旅行に招待したとき、ホスト役をやりました。

 ラスベガスで三泊してゴルフやショーを楽しんでもらって、アナハイムの展示会を視察し、アメリカの芝刈機メーカーの販売店会議に出席するため、アメリカウエスト航空でラスベガスからオレンジカウンティー空港に着いたときのことです。バッゲージクレームでスーツケースが出てくるのを待ってる間、私は「機内持ち込みの鞄を置いて、その周りを皆で輪になって囲んでてください。スーツケースは、出しだい当社の社員が取ってきますから」と言って、送迎バスを頼む電話をかけに行きました。

 私が戻ってくると、その中の一人が足元に置いてた鞄を盗まれていました。旅慣れた人だったので、私の指示に従わず、一人でカローゼルの所に居たそうでした。その鞄の中には、パスポートから、現金、トラベラーズチェック、クレジットカードすべて入ってました。あのオレンジカウンティー空港は、バッゲジクレームのすぐ外が道路なので、泥棒にとって最高の場所のようです。ディズニーランドに一番近い空港なので、日本からの旅行者もよく利用すると思います。

 私は、まず空港の警察に届け、紛失証明書をもらいました。日本出発前にパスポートサイズの写真を二枚余分に持って来るように頼んであったのですが、その人が用意してきた写真もその盗まれた鞄に入れてあったので、一緒に盗まれてました。日本にあるような三分間写真はアメリカで見たことありませんが、少なくともそのときホテル(ディズニーランドホテルの隣のプリンセス)で聞いたかぎり、ありませんでしたから、カメラでその人の写真を撮り、近くのDPEに現像・焼付を頼み、翌日写真を受け取り、レンタカーを借りて、パスポートの再発行を申請するのにロスアンゼルスの日本領事館に行きました。

 ついてないときはこんなもので、その日は月曜でしたが、祭日で領事館は閉まっました。旅行代理店の支店に電話したら営業してたので、行って相談にのってもらいました。その人は「パスポートは、領事館では再発行はしませんが、帰国証明書?という書類を発行してくれます」とか「ロス市警にも紛失届を出した方がいいです」と、教えてくれました。

 早速その足でロス市警に行きました。そこには、中村雅俊主演の映画にもなったので、ご覧になった方も居られると思いますが「アジア特捜班」があり、より若くハンサムな日系アメリカ人の刑事さんが、流暢な日本語で応対してくれました。

 パスポートは、男性の場合は、鞄に入れずポケットに入れるか、ウエストポーチに入れるかして、言葉通り「肌身離さず」携帯するようお勧めします。私は、ただでさえウエストポーチを付けてるような体形なので、黒革のホルスターに入れてます。したがって、いつもシャツは黒。どこかで、夏用に白いホルスター売ってませんか? 女性の場合も、かっこ悪くても、ウエストポーチに入れて持ち歩かれるようお勧めします。ハンドバッグの場合は、絶対に肩からぶらさげられるショルダーバッグにしましょう。男性も、手提げ鞄より、ショルダーバッグの方が、安全だし楽です。よほど重いのでない場合は、ストラップを長くしてたすきがけのようにぶらさげることです。そう、日本で最近若い人達がやってる奴です。あれは、ストラップをわざと長くしてるので、年配の人達にはダラシガナイように見えるのです。

 あの、治安が良いとされているラスベガスでさえ、ホテルにチェックインのとき、足元に置いた鞄を盗まれたと言う話はよく聞きます。アメリカでは、絶対に床に鞄を置かないことです。

 参考までに、アメリカにある日本領事館の所在地を書いておきます(1990年資料)。

Anchorage (Alaska)
Atlanta (Georgia)
Boston (Massachusetts)
Chicago (Illinois)
Guam

Honolulu (Hawaii)
Houston (Texas)
Kansas City (Kansas)
Los Angeles (California)
New Orleans (Louisiana)

New York (New York)
Portland (Oregon)
San Francisco (California)
Seattle (Washington)

          - 続く -          久徳 省三 (BXE04650)

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チップが要らないケース
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 旅館に泊まると、女中さんが晩ご飯を部屋まで運んで、お給仕までしてくれた昔はともかく、今の日本ではチップを渡すことはまずありません。したがって、チップという習慣になれてないので、海外に行くとどんなときにチップをあげなければならいか、幾らあげれば良いか、苦労します。

 二十年以上前の話ですが、私の同僚が初めてアメリカに出張したとき、タクシーの運転手に10セント渡したら、運転手がカンカンになって怒り、その10セントを道路に投げ棄てたそうです。その同僚は、出発前に「タクシーのチップは料金の一割でよい」と聞かされていたので、料金が1ドルだったので10セント渡したのです。まさかチップの額が少なすぎて運転手が怒ったとは思わなかったそうです。

 当時は、チップの最低額はクオーター(25セント)だったようでした。無責任な人達が「日本人はチップをあげすぎる」ということを新聞や雑誌に書きますが、折角人にお金をあげて、貰った人に怒られてはたまったものではありません。迷ったら、チップは渡した方が無難だし、おなじ渡すなら金額は多少おおめにした方が喜ばれます。昔は、1ドルあれば日本で安いところなら、カレーライス(なぜか当時はライスカレー)が食べられましたが、円高になった今では、1ドルではドトールコーヒーも飲めません。そして、昔は我々日本人には白人は皆金持ちに見えたように、今は我々日本人は外国人には皆金持ちだと思われています。

 ただし、あげなくてもいいところでチップをあげた経験は、私にもあります。旅行のガイドブックに「ホテルに泊まったら毎朝枕の下に1ドル置いておくこと」と書いてあったので、アメリカのホテルでそのとおりにしたら、夕方ホテルの部屋に戻ると、テーブルの上に1ドル置いてありました。

 早速、翌日取引先のアメリカ人に聞くと「そんなことしてくれて、それが習慣になっちゃ俺達が困るからやめてくれ」とのことでした。いわゆるピローマネーというメイドへのチップの習慣は、ヨーロッパにはあるけれど、アメリカには無いとのことでした。それ以来、私はメイドにはチェックアウトの日に、僅かな金を封筒に入れ、封筒に "TO MAID FROM GUEST" と書いてサインして置くようにしています。

たとえば、スーツケースのような、その土地で新しいものを買って、古いのが要らなくなったものや、帰国の前の晩に荷物をまとめるとき、封をきってないカップヌードルがあったりしたら、"TO MAID" と書いたメモを張り付けて置いてきます。

 同じ系列のホテルでも、場所によって勝手が違いますが、ホテルの入り口に入ると、ポーターが居て荷物を受け取ってカートに積み込まれるところがあります。ひとたびポーターに荷物を渡したら、部屋まで運んでもらったとき、チップを渡さざるをえません。私は、よほどの事情がない限り、スーツケース1個とショルダーバッグ1個で旅行することにしています。

 利点は二つあります。その一は、寝不足と疲労で注意力が散漫になっていても、大小各1個なら置き忘れがないことです。昔、ヨーロッパに出張したとき、航空会社がくれたショルダーバッグのほかに、サムソナイトのアッタッシュケースを機内に持ち込みましたが、スイスのチューリッヒ空港でバッゲージクレームのところにアッタシュケースを置き忘れました。

 タクシーでホテルに着いて、チェックインのとき気がつき、すぐ空港に戻ったらアッタシュケースは航空会社が保管しててくれました。これがアメリカだったら当時でもなくなってたでしょう。

 その二は、チップの浪費です。スーツケースはホテルのポーターだけではなく、空港の道路でのチェックインや、入国審査後の乗り継ぎのチェックインや、空港にカートが無くポーターが居るところなど、渡すたびに1個につき1ドルのチップを渡すことになります(このチップの金額は、私はかなり前からいまだに1ドルですが、どなたか、今はもっと高いと言う方が居られたら教えてください)。スーツケースが2個だと、その都度2ドルで、一回の出張で二十回くらいあるでしょうから、1個と2個の差は朝飯4回分くらいの金額になります。

 チップが要らないケースに戻ります。基本的に、相手が肉体労働のように体を動かすサービスをしてくれた場合にチップをあげる必要があるのではないかと思います。例えば、ホテルをチェックアウトするとこ、キャッシャーに「お釣りはチップだから取っときな」と言えば失礼だと思います。空港で、航空会社の人がチェックインのとき荷物を秤にのせてくれたとき、その人にチップをあげるのも失礼でしょう。買い物をしたときに店員にチップをあげる人も居ません。レストランでは、ウエイトレスがあなたの料理を運んでくれ、食べ終わった食器をさげてくれるのに、肉体労働のような作業をしてくれるからチップをあげるわけです。そんなら、飛行機のスチュワーデスにチップをあげるのか? これは、あげません。

 アメリカで、現地の人達の行動を観察しても、場所によってはその人も外国からの旅行者かもしれません。もともと、いろんな国からの移民が住み着いた国だし、地域によっては例えばフランス人が住み着いた町のように、先祖の出身国の習慣を踏襲しているところもあるに違いありません。よく、評論家の先生方が、日本人は外国に行っても日本人どうしで固まり、現地の人達に溶けこまないから日本はダメだと言って居られますが、他の国の人達も似たりよったりじゃないかと思います。どこの都市に行っても「チャイナタウン」はありますし、ニューヨークには、「ジャーマンタウン」も「リトルイタリー」もあります。

 そんなわけで、チップを渡すかどうかは、原則として、周りの人達を見習うことにしていますが、それが正しいかどうか疑問ではあります。いまだに私にもわからないのは、ホテルやレンタカーのシャトルバスの運転手です。私は、荷物の上げ下ろしをやってくれた運転手にはチップを渡す、そうでない場合は渡さないと決めてます。

 車を運転して、駐車場に入れる場合、場所によって自分で駐車できず、駐車場の人が駐車するところがあります。また、ホテルやレストランによっては、バレットパーキングと言って、入り口に駐車係が居て、車のキーと引き換えにチケットをくれて、車はその人が駐車してくれるところもあります。このような場合、車を預けるときと車を受け取るとき両方ともチップを渡します。私の場合、預けるときは2ドル、受け取るときは1ドル渡しています。預けるときチップをケチルと、車を乱暴に扱われたり、変な場所にとめられたりするとの、現地人のアドバイスによるものです。

アメリカ人の思考傾向
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 アメリカ人と言っても、祖先がどこから渡って来たか、どこで育ったかで、習慣も、考え方も違います。今まで私が接触したアメリカ人は、仕事の上でのつきあいが殆どなので、かたよった見方かも知れませんが、特にビジネスマンの人達が知ってると役に立つと思われる点を二三書きます。

 アメリカ人は、我々日本人のことを "ME, TOO PEOPLE" だとよく言います。どこかの会社が何かの製品を発売すると、すぐ他の会社も似たような製品を発表します。デザインも機能も似たりよったりです。日本人を食事に連れてゆくと、一人があるメニューを選ぶと、あとの二三人も「私もそれにします」と口を揃えます。私は、これは言葉の問題だと思いますが、彼らには日本人は主体性が無いと見えるんでしょう。

 言われてみると、確かに我々は "ME, TOO" と言うことが多いし、自己主張をしないのが美徳とされていたようです。また、「出るくいは打たれる」という環境で育ってきました。

 それに対し、アメリカ人は日本人に比べて、自己主張が強いのは誰もが認めるところです。これは、学校教育のやり方から違い、アメリカ人は先生がテーマを与え、生徒がそれに対し自分の考えを発表するという教育を受けてきたのに対し日本人は先生のおっしゃることをノートにとり、マル暗記するという教育を受けてきたのも一因かも知れません。

 この違いは、マスコミにも顕著に現れます。アメリカのラジオ局には、クラシック音楽専門、ポピュラー音楽専門、ニュース専門、スポーツ専門というのがごろごろあります。それに対し、日本では、どの局の番組も似たりよったり、野球シーズンにはチューニングダイヤルをどこにまわしても「巨人戦」です。

 日本にも「スポーツ新聞」というスポーツを専門にしようとしている新聞が幾つかあります。これは、系列新聞がプロ野球チームを保有しているところは、そのチーム中心の記事を提供しています。ところが、全体の紙面は、どの新聞も同じで、かなりのスペースを競馬に割いていますし、必ず朝っぱらから読むには恥ずかしい記事が掲載されているし、ポルノ写真も掲載されています。スポーツ紙と言いながら、ゴルフのトーナメントの翌日の記事を読んでも、成績は上位二三十人しかのっておらず、贔屓にしているゴルファーがそれに入ってなければ、何位だったかはわかりません。内容は、アメリカの一般紙のスポーツページに比べればお粗末なものです。私は、昔ある「スポーツ新聞」の編集局長宛に、アメリカの一般紙のスポーツページの見本を添付して『ポルノと競馬のスペースを少なくして、スポーツのデータを豊富に掲載し、女性スポーツウーマンも買える新聞を発行しては?』との意見を郵送したことがありますが、返事もくれませんでした。

 ことニュースに就いても、アメリカの新聞や雑誌では、"PRO & CON" と言う考え方で、ある主張に対して賛成意見と反対意見を掲載し、当社の意見はこうであると言い、それに反対な人はその新聞や雑誌を次から買わなくなります。日本では、新聞は何を景品にくれるかが、選択の動機になってます。

 これからは、メディア革命で、マスコミ業界も視聴者の意見を無視すると生き残れない時代がすぐそこに来てますから楽しみです。折角50年前に「言論の自由」を与えられながら、第二次大戦前と体質が変わってなかった日本のマスコミは、だいぶ読者をミスリードしたのではないかと思います。

 ラジオといえば、アメリカで時間を知りたくてラジオの時報を聞くと、例えば "6 MINUITES AFTER THE HOUR" と言って、何時6分過ぎかわかりません。こっちは何時なのかを知りたいので、答えにはなってません。これは、放送の元プログラムが全国ネット局で作られ、アメリカ本土だけでも一時間違いのローカル時間が四つあるからです。

 アメリカ人は、日本人に比べて数字が好きです。これは、アメリカの新聞を買ってみれば一目瞭然、スポーツページには、記事とデータを分け、データが記載されているページには、その前日の各地で行われたスポーツ全部のスコアが全面に並んでおり、アメリカで一番小さな州の小さな町のローカル新聞でさえ、韓国で行われた韓国人と日本人のボクシングの世界タイトルマッチの結果とジャッジのスコアが掲載されてました。

 アメリカのどこの新聞でも、一面全部(第一面ではない)を使って、アメリカの地図を温度別に色分けし、データ部分には、例えば東京だとすれば、千代田区、三鷹市、青梅市、船橋市、銚子市、宇都宮市といった周辺十ヶ所か二十ヶ所の過去数日間と将来数日間の天候、最高気温、最低気温、などのデータがびっしり書かれています。日本では、一面の十六分の一くらいのスペースに最低限のことしか書いてないし、たまに余計な俳句かなんかが書いてあります。

 この違いを、アメリカ人との交渉に使わないテはありません。アメリカ人と交渉をするには、数字をベースにした話をすればこちらの主張を聞いてくれます。幸いに、NIFTY-Serve の会員は、パソコンはおてのもの、表計算ソフトを使って数字データを整理し、グラフでも添えてあげれば説得力あるプレゼンテーションができます。アメリカにも、「郷に入れは、郷に従え」に近い諺はあり、日本人と交渉しようという人達は、日本人の考え方や、歴史を勉強してはいます。でも、子供の頃からの彼らの習慣や、物の考え方はそう簡単に変わりません。第一、日本で物を売ろうという会社が、日本人と英語で話しているようでは、基本的に英語を勉強し、アメリカの安全規格などを調べて、アメリカで売れるものに改造した物を売りに行った我々の比ではありません。

 もう一つの、違いは、アメリカ人は国の歴史が浅いという弱みを持っていることです。飯を食いながらの雑談で「日本は、15世紀に世界一の鉄砲保有国だった」とか「今から千年前から、飛脚という全国ネットの郵便システムがあった」とかいう話をすると、次の交渉のとき、こちらペースで話を進めることができることが多いはずです。

 このような話をするのに、私は「経済広報センター」が毎年発行している"JAPAN 1995" という本(背広の内ポケットに入るサイズです)を携帯するようにしています。これは、日本とアメリカの違いを数字で比較したデータがビッシリ詰まっている本です。成田空港の本屋さんにも売っています。それをちらつかせながら「おととしは、アメリカのレモンの輸出の73パーセントは日本向けだったね。おお、豚肉の輸出の60パーセントも日本向じゃないか」などと言うと、相手はぎょっとします。アメリカ人は、日本はアメリカに輸出ばかりしてて、何も買ってくれないから、アメリカに失業まで輸出していると誤解しているんです。この種の話のキメテは、「ボーイングのジャンボ機の10パーセントを一社で買った会社があるんだけど、どこか知ってる?」と聞くんです。たいがいの人は、ジャンボ機を一社で10パーセントも買うはずは無いと思います。実は、日本航空がそうなんです。

 逆に、アメリカに行ったときは "THE WORLD ALMANAC AND BOOK OF FACTS 1995" を買って来ます。これは、日本でも洋書を売ってる本屋さんにありますが、アメリカで $8.95 が日本で \1,660+消費税で 安いので、重いけど帰国の機内に持ち込み、去年有名人の誰が死んだとか、各スポーツの暦年の記録とか、去年のアメリカンフットボールのスーパーボウルのスコアとか、代表的なゴルフトーナメントの歴代優勝者とか、高い山の一覧とかを読んでいると、一時間や二時間はあっという間に経ちます。

 アメリカでは、大統領が代わると政府の閣僚だけでなく、官僚の人事も代わるそうです。そう言えば、アメリカの会社の会長が代わると、社長以下部長クラスまでガラリと代わります。

 我々日本人にとって不利なことには、アメリカ大統領は、閣僚に政治家だけではなく、実業家もどしどし起用するんです。日本では、閣僚は政治家で、当選何回が必要条件とされているようなので、閣僚どうしの交渉ではどうしてもアメリカのペースになってもやむをえません。

 もっと悲劇的なことは、実務レベルの交渉です。日本の官僚は、日本人としては最も優秀な人達がその任に当たって居られ、我々民間人より日常生活でも多忙な中、勉強されて居られます。それに対する報酬は、必ずしも満足なものではないでしょうから、国を愁う信念をお持ちの方々ではないと馬鹿馬鹿しくてやってらるかというのが実情だと思います。

 ところが、交渉相手のアメリカ側が、民間からの叩き上げで、売った買ったをやってた人達だとすれば、交渉のかけひきの経験からも、どう見ても相手の方が有利でしょう。日米交渉、これからも難題が多いでしょう。でも、日本の官僚制度をここでご和算にするのは不可能だし、かりにできてもリスクの方が大きいでしょう。官僚の方々には、いっそうのご奮闘をお願いし、我々民間人が民間人レベルで、日米友好に少しでも役だちたいものです。

 アメリカの民間の実業家が、閣僚や国の重要なポストに就くと、収入が格段に下がるそうです。株主の権限が強いアメリカでは、実業家は国の仕事をして収入が下がったから、その分を会社から補填してもらおうということは不可能だそうです。彼らは、一生の内、何年かは身銭をきってでも、お国のために働くのを名誉と考えているから、こんなことができるのでしょう。

 旅行者の方々には、ズレた話が続きますが、新素材の利用のしかたの違いを述べさせて戴きます。

 アメリカでは、何か新しい材料が実用化されると、必ずと言っていいほど、軍用製品から使い始めます。日本は、武器輸出を禁止しているので、軍需産業が日陰者になってると言うのも幸いして、一般消費財から実用化します。

 たとえば、「グラファイト」はアメリカではスペースシャトルやロケット等の宇宙航空用に使い、大量生産ができなくてコストも高かった訳ですが、日本ではゴルフクラブのシャフトや釣り竿に使い、あっという間に大量生産でコストを下げました。専門的な素材ですが「形状記憶合金」と言って、ある温度になると元の形に戻るという性質の金属があります。アメリカで、軍用に用途を模索している間に日本では女性のブラジャーに使い、これまたあっという間に大量生産に成功しました。電卓が実用化されたとき、各社デスマッチで液晶の量産に取り組み、今では日本の液晶が無ければ、世界中のノートパソコンができない立場を確立しました。決して、日本の産業は、敗戦後の焼け跡から、物真似ではなく、新しい物にチャレンジしようという勇敢な人達の努力で現在に至ってるのです。最近はバブルの崩壊で、不安な毎日が続いてますが、この優れた人種の国がこのままポシャルはずはありません。

 円高には、業種によってご苦労されている人達も多いかと思いますが、昔から国の貨幣価値が上がって嘆いている国はありません。逆に、貨幣価値が下がった国に旅行された方々のお話を聞くと、それは悲惨なものだそうです。

 個人レベルでは、円高の結果、昔は経済的に手が届かなかった海外旅行や、外国製品が、ちょっと倹約すれば手が届くようになったわけです。この先輩達の残してくれた結果を享受し、海外旅行で日本という国を世界の人達によく理解してもらえば、後輩達にそれなりの結果を残せるものと思います。

          - 続く -          久徳 省三 (BXE04650)

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★ Q-CHAN のアメリカ見聞録 6
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英語がしゃべれない日本人
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 高校を卒業した日本人は、最低六年間英語を勉強しました。大学まで出た人は十年間英語を勉強しました。ところが、高校を卒業した日本人の何割が英語をしゃべれるでしょうか?

 イギリスに留学して、イギリスで一番大きなスーパーマーケットのマークス&スペンサーのオーナーの御曹司と結婚した、マークス寿子によれば、イギリスで日本語を教えていると、だいたい二年くらいで日本語で日常会話ができるようになるそうです。日本では、十年やってできなくて当たり前、英会話学校に通ったり、英会話の本やテープといった教材に高いお金を払っても英語がしゃべれるようになれない。

 これは、英語を語学という学問にしたからに違いありません。そこで、私にNIFTY-Serve の、この会議室の会員のみなさんの中で、英語がしゃべれない人に提案させてください。

 その一は、テレビの CNN などのニュースを一日三十分程度録画して、それを英語の音声チャンネルで聞くことです。衛星放送が受信できない人でも、VHFという普通のテレビでBBCニュースやCBSイブニングニュース などを放送してます。

 これは、一石二鳥で、アメリカ人の英語をナマで聞きながら、アメリカや世界情勢を見ることができます。アメリカのテレビのニュースは制作費を惜しまず、例えば、最近暗殺されたイスラエル首相の葬儀には、各局数十人のスタッフを現地に派遣して取材しています。その中にはアンカーマンクラスも入っています。昭和天皇の大葬の礼には、CBS からは確か百人以上のスタッフが来日、ダン・ラザーが、一週間近く日本特集をやったと記憶してます。日本のテレビのニュースより、その日の世界の出来事が網羅されています。

 私は、東京の TBS (6チャンネル)が毎朝 (火曜ー金曜 4:55AM、土曜 6:00AM) 放送している CBS NEWS を録画して、夜か週末に見ています。アンカーマンのダン・ラザーが好きだからです。

 英会話は、相手が言ってることがわからなきゃ前に進みません。テレビやビデオの場合、音と画面が一緒に見聞きできますから、ラジオやテープに比べてはるかに効果的です。

 その二は、学校で勉強した文法を頭の中の押し入れの中に入れて鍵をかけ、知ってる単語を並べるだけで相手にわからせることです。その場合、相手に何かをさせようと言う場合は、単語の次に「プリーズ」をつけてください。

 日本語で、駅のキオスクでタバコを買うとき「セブンスターを一個ください」と言う日本人は、まずいないでしょう。たいがいの人は、金を出して「セブンスター」と言うだけです。英語でも同じです。 SEVENSTAR PLEASE でタバコは買えます。ある会社に電話して、SMITH さんにつないでもらう場合、MR SMITH PLEASE で通じます。日本の英会話学校では COULD YOU CONNECT ME WITH MR SMITH? と教えるかもしれませんが、ながながと正しい文章にする必要はありません。

 発音より、イントネーション(音の強弱と抑揚)の方がだいじです。アメリカで生まれ、アメリカで育ったアフリカ系アメリカ人の殆どは、THOUSAND を「タウザンド」と言ってますが、それで通じてます。 アングロサクソン系アメリカ人の言う McDONALD は、私には「ド・ナルド」としか聞こえません。

 質問をするときは、主語と動詞を入れ替えてなどとヤヤコシイことは忘れ、単語を言って語尾を上げれば質問だとわかります。

 会話の目的は、相手が言うことを理解し、こちらが言いたいことを相手に理解してもらうことで、英語の試験を受けているのではありません。

ジャパニーズ・イングリシュに泣かされる
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私が毎朝乗るバスの停留場に、「カラオケ・スナックのハミング、焼肉レストランのファイヤーテーブル前、下安松」というのがあります。私の持ってるイメージでは、ハミングとは「ンー・・・」と唸りながらメロディーをくちずさむものだから、歌詞を歌うカラオケはハミングじゃおかしいし、ファイヤーは料理に使う火というより、火事という印象を受けます。「テーブルが火事だ」と言われては「そんな危険な所でメシが食えるか」という気になります。

 日産自動車のラジオのコマーシャルで、LIFE TOGETHER と言うのもありますが、これも何か耳ざわりです。私なら、LIVE TOGETHER か LIFE WITH YOU にするでしょう。

 お役所でも、職業安定所を HELLO WORK と言ってますが、HELLO JOB の方が適切じゃないでしょうか?

 これらの例が、英語学の上で正しいかどうか、私にはわかりませんが、どうもジャパニーズ・イングリッシュじゃないかと言う気がしてなりません。

 日本では、明治時代から、店や商品に外国語を使うと、それらが優れているというように受け取られる風潮がありました。その結果、多くのジャパニーズ・イングリシュが生まれました。それが、英語がわかってる人が作るなら許せますが、英語は何もわからないのに、辞書で適当な単語を選ばれてはたまったものじゃありません。

 そして、英語を習う者にとって、それが大きな障害になってきました。例えば、パジャマは、英語では「プジャーマ」と言いますし、ビュッフェは「バッフェ」、ガレージは「グラージュ」です。まあ、これらは読み方の違いだし、古いジャパニーズ・イングリッシュは、語源が、私の知らない外国語かもしれないので、後から生まれた私が文句を言うのは筋違いかもしれません。

 しかし、明らかにおかしいもので、その普及者がマスコミであるものに、次のようなものがあります。

ナイター      → NIGHT GAME
メモリアルアーチ  → COMMEMORATING HOMER
ゴールデンアワー → PRIME TIME
メロドラマ     → SOAP OPERA

また、業界で誤った英語で製品や部品を呼んでるものがあります。
 
(自動車)ハンドル → STEERING WHEEL
バックミラー    → REAR VIEW MIRROR
ワイパー      → WIND SHIELD WIPER
パンク       → FLAT TIRE
ポケベル      → PAGER

マスコミや自動車メーカーなどは、多くの駐在員をアメリカに派遣しているので私なんかより英語がうまい人がゴロゴロ居るはずなのに、不思議なことです。この種のおかしな英語は、キリがありませんからこのへんで次の話題に移ります。

知ってて便利な英語
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学問としての英語には、めったに出てこないけど、アメリカの日常生活で知ってて便利な英語がありますから、思い出すままに並べてみます。

25セントコイン → QUARTER
10セントコイン → DIME
5セントコイン → NICKEL
1セントコイン → PENNY
アパートの管理人 → SUPERINTENDENT
家主       → LANDLORD
ワイシャツの糊 → STARCH
ライターの石   → FLINT
野球の監督   → MANAGER
フットボールの監督 → HEAD COACH
ゴルフ場グリーンキーパー → SUPERINTENDENT
ガソリンまんたん → FILL HER UP, PLEASE
コンドーム    → CONDOM

アルファベット (ホテル予約など電話でスペルを確認するときなど)
Alpha
Bravo
Charlie
Delta
Echo

Foxtrot
Golf
Hotel
India
Juliet

Kilo
Lima
Mike
November
Oscar

Papa
Quebec
Romeo
Sierra
Tango

Uniform
Victor
Whisky
X-ray
Zulu

例えば、S は "S AS IN SIERRA"、 T は "T AS IN TANGO" と言います。

しゃべる英語の実力測定法
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最近は、だいぶ普及したようなので、会員の中にもテストを受けられた方も多いかもしれませんが、十数年前から 「トーイック」と「トイフル」という二つの英語検定?があります。何のトクにもならないのに、2,000円程度の受験料を払い、休日を半日つぶされますが、英語がしゃべれる人は、自分の実力がどのへんなのか受けてみられると面白いでしょう。

 1981年4月17日の朝日新聞夕刊によれば、受験した人の成績を1,000点満点で何点とったかを、次のような五段階に評価しています。

    A  860以上 どんな話題も完璧
    B  730以上 通常会話なら完璧 
    C  470以上 限られた仕事はOK 
    D  220以上 ゆっくり話せば普通の会話理解
    E  220以下 単語を並べる程度

 そのときの職種別平均点は

大手商社海外駐在経験者  652
海外生活経験者      671
大学英語先生       641
高校英語先生       698
仕事で英語使ってるビジネスマン
役員          611
部長          637
課長          594
平社員         564

 と言うことは、英語を学問として研究し、英語でメシを食っている人も「限られた仕事はOK」というレベルです。逆に考えると「単語を並べる程度」であっても、相手が言うことさえわかれば、何とかなるということです。

 英語をメシの種にしてない職業の人達も、海外旅行をして、しゃべる英語がわかるかどうかは、大きな差になると思います。

 私は、ン十年前に、東京の私立総合大学の法学部政治経済学部を卒業しましたが、学生時代の専攻は、麻雀とアルバイトで、ろくに勉強はしませんでした。それでも、大学三年のとき、夜の過し方をダンス教習場から英会話学校に替えたのが幸いし、頭は悪いが英語がしゃべれるということで、社会人になってからも会社の金で外国に行く
機会も多く、ペーペーの頃でも社長の外国人接待のお供で、一晩で給料の一箇月分がとぶような高い店に行けたり、何かとトクをしました。英語を使う仕事を続けたせいもありますが、十数年前に TOEIC を受けたときは855点をとりました。

おわりに
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 毎回長文のアップロードで、ご迷惑だった人達も多数居られるかと思います。また、多数の方々にご訂正のコメントをアップして頂き、有り難く思っております。もともと、この見聞録を書き込む動機は、アメリカに初めて行かれる人達に読んで頂ければということでした。日本より、治安が悪いところに行かれるのは覚悟の上とは言え、それがどの程度のものなのか、できるかぎり具体的な実例を書いたつもりです。

 これから初めてアメリカに行かれる方々が、何かの参考にして頂き、不快な盗難の被害にあうことなく、素晴らしいアメリカを楽しんで頂ければ幸いです。

 お読み頂いた方々、おつきあい頂いて有り難うございました。

             - 完 -          久徳 省三 (BXE04650)

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Q-chan のアメリカ回顧旅行記

この旅行記は1997年にアメリカ東海岸を旅行したときの旅行記で NIFTY の ワールドフォーラム・エリア館(FWORLDA) 〔Cheers!イースタンクラブ〕 US東部/DC以北に連載したものです。


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Q-chan の  
アメリカ回顧旅行記
(1)
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〔Cheers!イースタンクラブ〕の皆さんこんにちは。

GWのアメリカ旅行から無事帰国しました(実は帰国途中の機内で、ノートワープロを使って書いているので、正確には帰国する予定と書くべき?)。今回の旅行は「功なり名をとげた」名士とは程遠い私が、二十五年前ニューヨーク駐在員のカミサンとして住んでいながら、帰国以来まだ一度もニューヨークに行ってない家内を連れて行ってあげようと言う動機で計画したものでした。私も駐在員生活を終えて帰国後、何回も行ったとはいえ、今回は6年ぶりのニューヨークでした。

いわば、歴戦の勇士が、一戦終わったあと、銃後(今や死語だが戦場に行ったトーチャンを国で待ってるカーチャンとガキどもの環境を言う)を守ってくれたカーチャンに、一度は一緒に生活したことがある戦場を見せてやろうといったようなものです。

毎回かなり長文になりますが、御用とお急ぎのない方にお読み頂き、世の中にはこんな旅行をする人間も居るのかと笑って頂ければ幸いです。


懐かしのプロビデンスへ
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4月27日の日曜日の朝、起きると飯も食わずにパソコンに向かい、インターネットで目的地であるニューヨーク、プロビデンス、ボストンの最新天気予報を読み込みプリントアウトした。向こう5日間おおむね好天候で、気温も数日前に見た予報とほぼ同じなので、持って行く衣服などを変えることはないので安心。

渋滞を覚悟して早目に家を出たので、倅が運転してくれた三菱デボニアは、予定より一時間早く成田空港に着いた。断られてもともとと、指定されたカウンターに行くと、快く旅行会社から送られて来たメールとパスートを確認して、航空券をくれた。12時発の便なのに、9時にチェックインしているとのこと。

これは、幸先が良い。こんなに早ければ、シートセレクションも意のままと思い、Lカウンターの日本航空のエコノミークラスのチェックインに並ぶ。順番がきて、喫煙席の一番後を希望したら、既にその列はアサインされていまっていた。世の中は広い。私と同じ考えの人も居るのだ。しかたがない。喫煙席に座れるだけ幸いと思うことにした。ヘビースモーカーの私にとって、12時間禁煙は拷問のようなものだ。そのため、多少運賃が高くても日本航空を選んだ訳だ。

今回の旅行では、インターネットには世話になった。行く先々の観光ポイント、主要レストランとそこの名物料理などバッチリ入手しプリントアウトした。中でもドライビングデイレクションは、行く先々でレンタカーを運転しなければならない旅カラスにとって、極めて有益な情報である。

六年くらい前、サンフランシスコで車を借りた時、私の前に車を借りた女性が、カウンターにあるターミナルのキーを叩いているのをチラリと覗くと、どうやら道順を調べているらしいので、彼女が終わったところでやってみたら、何と出発地と目的地を入力すると道順と距離が表示され、そのデータはプリントアウト出来たのでたまげたものだった。それが日本の自宅のパソコンでできるようになったわけだ。しかも、インターネットのは地図付である。

車を駐車場に入れてきた倅も戻ったので、スーツケースを預け手軽になった私達三人は、二階の「ロイヤル」でお茶しながら時間をつぶすことにした。この「ロイヤル」は、空港スタッフ用のカフェテリアで、場所はAゾーン2階のいちばん端と辺鄙なところにあるが、一般客でごったがえす普通の店より広さもゆったりしていて、ゆっくりくつろげる。私も、今月初めハワイから帰国した家内を迎えに来た時発見したばかりの店なので、場所には自信がない。ブツブツ言う家内をなだめすかし、ターミナルの端から端まで行ったり来たりし、やっとたどりついた。 

倅を帰し、しばらくロイヤルで時間をつぶして出国手続きを済ませ、免税店でピースを1カートン買って23ゲートに行った。ここはまだ喫煙コーナーが設けてある。嫌煙権が主張されて以来、喫煙者の肩身は日一日と狭くなった。吸えるとき吸わなければと言うさもしい根性になってしまう。

日本航空JL006便、ファーストクラス・ビジネスクラスから搭乗が始まった。次にファミリーサービス。格安航空券利用の我々は最後の搭乗である。飛行機につながっている廊下を歩いて機内に入ると、そこはビジネスクラスの席であった。仕事の出張のときはいつもビジネスクラスであり、横に六人の全日空のビジネスクラスに慣れた私には、横に七人JALはまだこんなに狭いのと言う感覚だが、国際線はエコノミーにしか乗ったことがない家内にとってはそこは無縁の場所。この前のコンチネンタル・ミクロネシア航空の座席の方がJALより広いから楽だったと言う。

約12時間のフライトで定刻やや早目にニューヨーク・ケネデイー国際空港に着いた。現地時間午前11時半。イミグレーションもさほどの混雑なく僅か十五分くらいで済んだ。ファミリーだと言ったら入国手続きは家内と一緒にやってくれた。税関告知書もファミリーなら一枚でOK。

税関を出たところで、接続便の荷物チェックインカウンターにスーツケースを預ける。係員が私のスーツケースにタグが着いてないが、お前持ってるか? と聞く。そんなの持ってる訳はない。第一成田でそれを付けたスーツケースは、既に私の手の届かぬ所に行って機内搭載ルートに乗っている訳である。私は多分輸送中にとれちゃったんだろうと言い、控えのチケットを見せると、係員は新しいのを作って付けてくれた。ニューヨーク通関で良かった。これがプロビデンス通関だったら、私のスーツケースはプロビデンスには来てなかっただろう。

彼は、親切に空港ターミナル間のシャトルバスのパンフレットとターミナルの見取り図をくれた。昔は航空会社別だったターミナルは、1から9までの番号順に変わっていた。バスの運転手は、ゆっくり分かりやすく次はターミナル8、航空会社は何航空、何航空、何航空と言ってくれる。もらったターミナルの見取り図によると、デルタ航空のターミナルの横に新しいターミナルを建設中で、現在だだっ広いインターナショナル・ターミナルを利用しているJALは、大韓航空、エールフランス、ルフトハンザとともに、来年(1998)夏からその新ターミナルに移る予定とのこと。
             
私と家内は、シャトルバスで9ターミナルに移動した。ここは三十年くらい前インターナショナル・ターミーミナルができるまでJALが居候していたターミナルで、私が初めてニューヨークに来たとき降りたところである。モザイク風の外壁の装飾も懐かしい。

アメリカン・イーグルAA4845便は、30人乗のSAAB340Bのターボジェット機。チビのくせに、地上走行はカミカゼタクシーなみに早い。離陸するや否や、大旋回。機は45度近く傾いた。家内はおったまげた模様。 

機長のアナウンスによると、高度13,000フィートとのこと。約4,000メートルだから、普通のジェット機の半分以下の高さを飛んでいる。やがて下にニューロッシェルのグレンアイランドが見える。駐在員時代住んでたところだ。ニューイングランドから戻ったら行ってみたいと言う気もする。30分も飛んだだろうか。下にニューポートが見えた。プロビデンス側から橋を二つ渡るので、この景色は見間違う心配はない。明後日行くのだ。予報通り晴れてくれ。

再び大旋回の後、機は懐かしのTFグリーン空港に着陸。乗客の数が少ないので、荷物の出てくるのも早い。シャトルバスの停留所にはホリデーインのバスがとまっている。運転手はいない。何のためらいもなく、スーツケースをバスの荷物置き場に乗せ、運チャンが戻って来るのを待った。

やがて戻って来た運チャンにワーウイックのホリデーインに行くのだねと確かめると、ダウンタウンのホリデーインのバスで、我々が泊まるワーウイックの「イン・アット・ザ・クロス」には別のバスが来ると言う。スーツケースを降ろし、ピースに火を付けた。いっぷくした後、ホテルに電話して、ピックアップを頼んだ。

5分くらいで来たバスでホテルに向かい、チェックインを済ませてベッドへ直行。時計を見ると午後3時半、日本時間で朝の4時半である。ともあれ,ひと眠りしてから晩飯にすることにした。

              - 続く - 


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Q-chan の  
アメリカ回帰旅行記
(2)
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ボストンは雨だった
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4月28日、ホテルの売店で新聞ボストングローブを買い、昨夜タッチの差で閉店となり晩飯を食い損なったレストランに行く。ビュッフェの朝飯を済ませ、空港へのシャトルバスを頼んだ。昨夜の晩飯は、ルームサービスですませた。

どうせ待たされるだろうと思ったら、すぐ出てくれると言う。乗客は家内と私の二人だけ。これじゃ荷物はないがチップをあげなきゃならないなと覚悟する。ホテルを出てルート95に乗る寸前、運チャンの無線が鳴り、何やらわめいた後道順が変わった。やがて、バスはホテルに戻り、待ってた客を二人乗せて再出発した。

空港ターミナルのバジェットのカウンターで名前を告げる。ラクシャリー級を予約してある。今日はタウンカーあるのかと聞くと、タウンカーで予約を受けてるからあるとのこと。所定の手続きを済ませ、アグリーメントをもらう。車は横の駐車場の2番にあり、キーは付いているとのこと。ラクシャリーは、何故か日本英語になるとラグジュアリーと濁る。おかしいなと思い、辞書でめったに見たことのない発音符号を見るとやはりラクシャリーである。アメリカ人に聞いたらラクシャリーと濁らないのが正解だった。しかし、世界に冠たる日本の自動車メーカーさんが、こんなことで間違うとは思えない。アメリカのどこかの地方で濁るのだろう。

2番に行くと、確かにアグリーメントに記載されたライセンスプレート番号のリンカーン・タウンカーはあったが、キーは付いてない。ターミナルに文句を言いに行こうとすると、オバチャンがやってきた。アグリーメントを確認し、キーを渡してくれた。諸操作の説明をしようとしたので、分かっているからいいよと断る。年式が変わってもこの十数年乗り慣れた車だ。

エアポート・アクセス・ロードを経て、ルート95に乗ると、あいにくの雨で、ほとんどの車はヘッドライトを点けている。私も点けようかとスイッチを探したらない。やはり人の好意はすなおに受けるものだ。車の運転が出来ない家内が、それじゃないの? とダッシュボードの左のロータリースイッチを指す。運転しながらチラリと見ると、おなじみのヘッドライトのアイコンがあった。何でまたこんなスイッチにしたの? この謎は後でわかった。

いつものように、片側3車線の中央のレーンを走る。15分も走っただろうか。ステートハウスも過ぎ、プロビデンスのダウンタウンも過ぎ、ポトカットあたりか。私の80メートルくらい前の一番左のレーンを走っていた車がいきなり道路を真横に右に走りだした。幸い、私の前の車は適正な車間距離をとっていたので、右に向かっていた車はその前を横切った。やがて一番右のレーンで後ろ向きになり、右後ろから来た車と正面衝突した。右後の車もこの光景を見ていたので、かなり減速しており死傷事故にはならなかった模様だった。

事故通報用の電話がないかと右を見ながら走行したが、なかなか見つからない。まあ時差ボケの日本からの旅行者が通報することもないだろう。

ボストンでは、最初にボストン・テイー・パーテイーの船を観、水族館に車を停めてそこから出ている戦艦マサチューセッツへのフェリーに乗り、オールドタウン・トロリー・ツアーのバスでアメリカ独立戦争にかかわる歴史的な建物などを見学、次にジョン・ヘンコックの展望台から今まで観てきた場所を上から観なおし、最後に美術館に寄って、ニーダムに住む友人の家を訪問すると言う欲張った計画だった。時間があれば名門女子校のラドクリフの前で家内の写真も撮りたい。映画「ラブストーリー」のヒロイン、アリ・マッグロー扮するジェニーが、ライアン・オニール扮するオリバー・バレットと知り合った図書館のある女子の名門校である。私は、ハーバードもMITも何回も行っているが、ラドクリフにはまだ行ったことはない。

日本出発前、その友人と電子メールで相談したら、水族館のあたりは道路工事をしているから、最初美術館に行き、そこに車を停めて路面電車で水族館に行った方が良いとアドバイスを受けていた。

この雨では観光は諦めざるをえない。風も強く、台風なみである。雲もかなり低く、ジョン・ヘンコックの上の方はかすんでいる。美術館があるから心配ない。「ミュージアム・オブ・ファイン・アーツ」、まるまる一日かけても観きれないものがある。

美術館の駐車場に入ろうとすると、番人が今日はクローズだと言う。何やらフラワーアソシエーションとか言う団体の集まりで貸し切りだそうだ。あいやいや。これで予定が狂った。とりあえず、ジョン・ヘンコックの駐車場に車を入れ、展望台にのぼった。

二人分の 31.25ドル 払って、展望台に入る。入り口のお姉さんに、「外が見えるでしょうね」と聞くと、後ろを指さす。私はそこはくもりガラスなんだろうと思っていたが、真っ白に見えるのが外の景色だった。ちゅうちょすると、中に展示物もあるし、折角来られたのだから是非ご覧になってくださいと言われる。私は、前に三回観ているが家内は初めてだ。入ろう。

外はかなりの強風で、時々雲が切れ景色が見える。一回りすると、ほかにも五人か六人の客が来ていた。今日のように外が見えない日が多いのだろうか。展望台の各所に好天なら見える景色の写真が配置してある。アメリカらしいところは、その写真に点在しているマークを指で触れると、そこは何と言う場所だとの説明が表示される。私は、これから夕方までどこで過ごすのが良いか、それで探し「ミュージアム・オブ・サイエンス」という博物館に行くことにした。小一時間たって帰ろうとエレベーターを待つと、来たエレベーターから子供の団体が降りて来た。タイミング良し。この騒音は時差ボケの体にはこたえる。

博物館では一般公開のほか、その時々で特別展示を行っているらしい。今日は「レオナルド・ダビンチ」で本邦初公開とのこと。それらを観るかどうかで入場料が異なる。私は、「レオナルド・ダビンチ」と「オムニ・シアター」の両方を頼んだ。今度は、時間の指定をされる。博物館に入ったのが1時過ぎなので、「レオナルド・ダビンチ」が 2時、「オムニ・シアター」が 4時と記入されたチケットを貰った。 入場料は一人 14ドル。

すっかり予定が狂ったが、これでやれやれだ。とたんに空腹を感じた。博物館のカフェテリアに行く。ひとまわりして、家内はスパゲッテイー、私はラザニアを選んだ。それぞれミートボール3個を付けてもらった。二人で 18 ドルの昼食。

昼食で 2時の「レオナルド・ダビンチ」は遅刻したが、次のショーがすぐ始まるから待てと言われる。もったいつけたショーは、約10分の映画で、期待はずれだった。かなりのスペースを割いた展示品も、自筆のノートなどがあり専門家には貴重なものだろうが、私と家内には猫に小判。

電気自動車も期待したが、ソーラーパネルが貼られた車が一台置いてあるだけで、これも期待はずれ。駐車場の車の中で仮眠をとることにした。

5時、まだ早いがニーダムに向かうことにした。博物館の出口を左折すればケンブリッジに出て、道も分かりやすいのはわかってたが、夕方で交通量も多く、信号がないので左折しにくい。右折してダウンタウンを通って美術館にさえ出られれば、あとは友人の書いてくれた道順通りで良い。

この右折が大失敗。どうしても美術館の前のハンチントン通りに出られない。ボストンは日本の城下町のように、侵入した外敵が迷うような道路になっているので、日本から侵入した私もこの罠にかかった。前にも同じ失敗をたことがあるが、今度は友人が送ってくれた地図に一方通行の記載があるので楽観していた。一時間以上同じ所をぐるぐるまわり、二度も同じところからターンパイクに入って余計な通行料金を払い、さんざん迷った結果、ニーダムのジョー・ピッツの家に着いたのは約束の6時半には間に合わず7時をまわっていた。

               ― 続く ―

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Q-chan の  
アメリカ回帰旅行記
(3)
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ちょっと早すぎたニューポート
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4月29日、昨日の台風がうそのような快晴である。リンカーン・タウンカーにニューポート関連資料を積み込み、マリオット・ホテルに朝食をとりに行く。これから行くニューポートとは逆方向だが、このホテルは私が過去二十年近く、プロビデンスに来たときは必ず泊まる定宿である。ここの朝食につくポテトの味を家内にも味わってもらいたかった。やはり、5年のご無沙汰は長かった。シェフが代わったのだろうか。ポテトの調理方法は変わっていた。

プロビデンスのマリオットを後に、ルート95を南に、ルート1、ルート4、ルート138と、通い慣れた道を約一時間、一本目の橋にさしかかった。窓を開けて海の香りを楽しむ。まだ寒い。ペリー提督の銅像があるワシントン広場を左に見ながらベルビル・アベニューを東へ。左右にマンションが点在する。最初の目的地はヨット博物館である。

ニューポートには十回近く来ているが、仕事の延長で自由がきかず、ヨット博物館は今回が初めてである。福岡の中学でヨット部員だった私にとって、かねてから行きたいと思いながら意を果たせなかった所である。博物館のあるフォートアダムスに行く道では、すれ違った車は二台くらい。いい空気、いい景色、いい車、大渋滞の日本のGWとは大きな違いである。

博物館に着くと、残念、5月15日からだった。外から写真を撮りすごすごと引き返す。次の目的地は「ホワイトハウス・タバーン」。現存レストランでアメリカ最古と言う由緒あるレストランで昼食をとりマンションを観て、ゴージャスな気分で明日のアトランテイック・シテイーでの一攫千金を期待すると言う計略。そうは問屋がおろさなければ、小売屋があるさ。ちょっと気になるのは、インターネットで仕入れた情報だと、火曜日は「ホワイトハウス・タバーン」は昼食はやってないと書いてあったことだ。

ダウンタウンの駐車場に車を停め、「ホワイトハウス・タバーン」に向かったが、ドジなことに、インターネット情報のプリントアウトも、その店の電話番号を書いたメモを車に置きっぱなしだ。手元の地図に印がつけてあるから探せるだろうが、電話で昼飯をやってるかどうか聞くのが望ましかった。日本と違って公衆電話に電話帳が無いのは不便である。

「ホワイトハウス・タバーン」は地図通りの場所にない。通りの店で聞くと、この次を右に曲がればあると言う。その通りに行くと、車を停めた駐車場のところに戻ってしまった。あとで考えれば車に行き、電話番号のメモを持ってくれば良かったのだがブツブツ言う家内にカッとなり、時差ボケも睡眠不足もあり、正常な判断力を失っている。「アメリカズ・カップ・アベニュー」の道路標識をバックに写真を一枚と言う計画もすっかり忘れていた。

こんなことで、一時間近く無駄にしてしまった。しかたがない。そこに見えるマリオットにでも行くか。2時を過ぎてしまったので、レストランはクローズ。やむをえずバーでサンドイッチを食べることにした。

バーで、ツナ・サンドを頼むと、そのお姉さんは気がきく。「シェアしますか?」と来た。「その通り。いつもアメリカの食事の量は多すぎるからね」と、一人前を二人で食べるよう注文した。来たサンドイッチは、適量で、二枚の皿に盛られ、サンドイッチの回りはフライドポテトで埋めつくされていた。これ全部たいらげたら、カロリーオーバーだ。

ジンジャエール、サンドイッチ、ポテト、コーヒーと腹に詰め込むと、先程までのいらいらも多少は和らぐ。ワシントン広場のペリー提督の銅像をバックに家内の写真を撮り、駐車場に戻り車を始動し、マンションが点在するベルビル・アベニューに戻った。

これらのマンションは、今から百年から二百数十年くらい前、1748年から1895年の間に、主にニューヨークに住むアメリカで成功した実業家が、夏の別荘として建てたものだが、彼らの貿易は、我々が戦後の日本でやった貿易とは桁が違う規模で、儲けもボロの上に超が幾つもついたものらしい。南北戦争が始まったのが今から136年前の1861年だから、中には奴隷の売買で儲けた人も居たに違いない。

あるマンションでは、従業員は40人、年に四ヶ月しか来ないご主人の家族はせいぜい六人、パーテイーのときは客が35人くらいと言う規模。と言うことは、80人の料理ができる設備が必要となる。キッチンと食器置き場、ワインセラーの総面積だけで、現代日本の中産階級の住む4LDKの一軒分はある。

さすがアメリカでも、この規模の別荘を維持できる子孫は少なく、かなりの数のマンションは「プリザベーション・ソサエテイー」が管理、観光客に拝観料を取って見せたり、結婚披露宴や、企業のイベントに供したりしている。

現在、「ハンターハウス」「キングスコット」「エルムス」「シャトウスーマー」「ブレーカース」「ブレーカース・ステーブル」「ローズクリフ」「マーブルハウス」「グリーンアニマルス」が公開されているが、4月はこのうち「ブレーカース」「ローズクリフ」「マーブルハウス」しか公開されていない。

我々は、二人で $35の三軒分のチケットを買い、最初に「ブレーカース」に入った。既に四・五人の参観者が待っていた。やがて前のグループの参観ツアーが終わり、我々はガイドの案内で中に入った。

残念ながら、中は写真撮影禁止。ボウル・ルーム、ダイニング・ルーム、エトセトラエトセトラを見せてもらった後、二階に移動。ガイドは我々の中に足が不自由な人はエレベーターを利用できると言う。一人希望者が出た。エレベーターは、このマンションが出来たときからのもので、当初は水圧で上下する構造だったそうだ。シャンデリアのエネルギーも、当時は電気がたよりない時代だったので、電気とガスの二段がまえになっていたそうだ。

中の装飾は贅を尽くし、金に糸目をつけずヨーロッパのお城をまねして作らせたもので、家具もヨーロッパから骨董品を買い込んで来たものもかなりあった。

家内は、先年のイタリア旅行で観たヨーロッパのお城は、数百年前のものでピンと来なかったが、ここのは僅か数十年前まで実際に人が住んでた所なので、実感が湧くと言う。

出口の二部屋はギフトショップになっている。何か記念になるものはないかと探すがこれといったものは置いてない。私は、ニューポート・マンションのビデオテープを買った。

車に乗り、「ローズクリフ」に向かった。「ローズクリフ」から「マーブルハウス」にまわると、五時近くなっていた。六時半にはフロリダから会いに来てくれる友人が来るので、それまでにはホテルに戻らなければならない。本来なら、彼とはニューヨークであい、ニューポートではゆっくりしたかったが、その男は私の旅程のうち今日が都合が良いと言うので、ワーウイックのホリデーインに来てもらうことにした。

「マーブルハウス」ではガイドに頼み、一階だけ観てズラカルことにした。未練たらしく、庭に出て、チャイニーズ・テイーハウスで写真を撮り、ニューポートを後にした。 あれほど探してわからなかった「ホワイトハウス・タバーン」がちらりと見えた。

ホテルに戻り、ワイシャツに着替え、ネクタイを絞めた。今朝録音をセットしたラジオ付きヘッドホン・ステレオの録音の成果を見る。私は、海外旅行のときはいつもこれを鞄に入れて持って来る。都はるみや鮫島由美子のテープが入っている。別にブランク・テープを二本くらい持ってきて、旅行先のラジオの番組を録音する。交通情報などが入っているとリアルで、何年か後聴き直すとその旅を思い出す。

電話が鳴った。フロリダから来たマイク・バルデスが下に着いたところだそうだ。すぐ降りて行くからとロビーで待ってもらった。

マイクは、この地域はあまり詳しくないと言う。私は、このあたりは頻繁に来ているので、良いレストランは心当たりがあると言い、日本料理、イタリア料理、シーフードのどれにしよか? と聞いた。私は、ロブスターが食べたかった。彼が日本料理と言わないかぎりロブスターにはありつけるだろう。彼は、何でも良いが、シーフードがよさそうと言う。私は、「ワーフ・タバーン」と言うレストランの住所と電話番号を書いたメモを取り出した。

「前に来てかなり年数が経っているので、電話してみますから、ちょっと待ってください」と言うと、マイクは「私がやりましょう。車も私の車を使いましょう」と言って、電話の方に行った。

やがて戻ってきたマイクは「レストランはまだやってます。道順も概略分かりました。さあ行きましょう」と彼の借りている車に案内してくれた。ボストンに仕事の用事を作り、今夜はボストンに泊まり明朝7時の飛行機でフロリダに帰るとのこと。

マイクとは、昔の取引先の社長の紹介で知り合った友人で、6年前独立してフロリダにサーモスタットと言う電気部品を作る会社を経営している。今私が勤務している会社で製造しているサーモスタットを是非アメリカで売りたいと言っている公私混同の間柄である。

「ワーフ・タバーン」は、喫煙席は満席で、禁煙席に案内された。どっちみち、こちらでの食事は、アペタイザーが始まればデザートまでは禁煙だからいいだろう。私はメニューに生牡蛎があったので「日本では牡蛎はシーズンオフだが大丈夫か?」と聞くと、こちらではまだシーズンだと言うのでアペタイザーは生牡蛎にした。家内は茹で蛤を頼むと、ウエイトレスがこれは食べ方が変わっているので、その時教えてあげようと言った。

お互い、仕事がらみの話になると熱中し、そこに私の家内が居るのは完全に無視。メニューに「時価」となっていたロブスターを平らげ、デザートはパスし、コーヒーが来たところで、マイクは「奥さん、失礼しました。いつも私の家内も仕事の相手先との食事のときは会話から疎外されてしまうんですよ」と言い訳をした。私は「うちのカミさんは、慣れっこだから、気を使わなくていいですよ」と宥めた。

              ― 続く ―


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アメリカ回帰旅行記
        (4)
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早起きしてアトランテイックシテイーへ
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4月30日、6時半のアメリカン・イーグルに間に合うよう、5時に起きた。天候は良好。昨日エキスプレスチェックアウトを頼んでおいたので、朝起きると部屋のドアーの下にホテルビルが来ている。一通り目を通して、ごまかしや間違いがないの確かめてホテルを出た。

6時10分前に空港に着くと、バジェット・レンタカーには既に担当者が居た。マイレージ (走行208マイル) を記入したアグリーメントを提示し、プリントアウトされたのを貰ってターミナルの二階出発ロビーに行く。過去何十回か来たこのTFグリーン空港、もう来ることはないかもしれない。展示されたヨットを背景に、セキュリテイーチェック・ゲートを背景に、写真を撮ってもらった。

SAAB340Bのアメリカン・イーグルAA4846H便は定刻の6時35分TFグリーン空港を離陸、7時30分ニューヨーク、ジョン・エフ・ケネディー空港に着陸した。この時間のフライトだから簡単でも朝飯は出ると期待して何も食べて来なかったが、ジュースが出ただけ。

今日は、空港からマンハッタンまでのタクシー代をうかせようとのセコイ考えから、ケネディーで車を借り、マンハッタンのホテルに荷物を置いて、すぐアトランテイック・シテイーに行く予定である。日本でバジェットに予約しようとしたら、ケネディー空港にはラクシャリーカーは置いてないと言われ、ハーツに予約を入れてあった。

アメリカン航空のターミナルのハーツの電話でピックアップを頼む。やがて来たシャトルバスに乗り込みハーツのガレージまで乗せてもらった。そこでは3人のエージェントが対応しており、待っている客は4人だった。これなら20分くらいかなと思ったのが大間違い。待てどくらせど順番は来ない。非常食用のセンベイを鞄から出してかじり、自動販売機のセブンアップを飲む。車は勿論リンカーン・タウンカー。スーツケースを積んだときは9時半を回っていた。

アグリーメントと地図をもらって車の方へ行こうとすると、ロビーに左右二台のモニターが置いてある。好奇心旺盛にその前に行くと、「ドライビング・ディレクション」だった。ここからマンハッタンまでは通い慣れた道。全然必要ではないが、折角のサービスである。モニターの画面の「スタート」に触れると今度は言語を選べるようになっていた。「日本語」に触れる。「ホテル」に触れるとリストアップされたホテルの中にハワード・ジョンソン・プラザ・ホテルがある。それを触れるとローマ字で道順が表示された。

   SHINGO ni shitagae
I-678 NORTH/VAN WYCK sono mama susume
5.0 MI KITA LIE (I-495) WEST sonomama susume
8.0 MI NISHI MIDTOWN TUNNEL sono mama susume
NISHI 37TH STREET MIGI e susume sono mama susume
14.0 BL KITA 51ST STREET sono mama susume
8.0 BL NISHI 8TH AVENUE USETSU seyo sono mama susume
HOWARD JOHNSON'S shinkohoko HIDARI gawa

なるほど、13マイルと22ブロックか。もっと距離があるのかと思ってたが意外に近いんだ。混むだろうなと覚悟したバンウイックも順調で、北に走る。455のウエストに乗るはずが、それを見落としてしまった。しかたがない、トライボロ橋を渡るか。ラグアーディア空港、昔よく来たデポのあったアストリアを経て、トライボロ橋を渡る。この橋は、ニューヨークの区にあたるボロの三つを繋ぐ橋でこの名が付けられたと言う。10年くらい前、ここでえらい渋滞に巻き込まれ、橋を渡るのに一時間近くかかったことがあったが、今日はまあ順調である。マンハッタンの東側を走る高速FDRがやけに混んでいる。少し早めだが、90丁目くらいでFDRを出て一般道を走る。ケネディーを出てから1時間足らずで八番街のハワード・ジョンソンに着いた。このホテルは、入り口の手前が駐車場になっていて便利だ。駐車場に頭を突っ込み「チェックインだ」と言うと「車はそこに置いて荷物を出してください」と、パーキングのチケットをくれた。ポーターがすぐ来ないのを幸いにスーツケースをごろごろ引っ張り、レジストレーションに行く。

この時間だと、部屋も用意されて居る。日本だと「チェックインは3時からですが」と言われるところ、アメリカではそのへんは堅苦しいことなヌキである。昨夜遅く、今朝早かったので、予定を変更して少し部屋で仮眠をとることにした。中途半端な食事に時間をとられるのは勿体ない。空腹は、持ってきた湯沸かし器で湯を沸かし、「インスタント・おかゆ」でしのいだ。とにかく寝ることだ。その前に一仕事。明日の晩のミュージカルの予約をしなければならない。

「王様と私」をやってるニール・サイモン劇場のチケット売り場に電話した。良し、オーケストラの中央A109とA110が取れた。ついでに、行きつけの日本人経営のお土産屋さん「サカイ商事」に電話をする。この店がまだやってるかどうかで、買物の予定か違ってくる。残念ながら「この電話は現在使われて居りません」とのテープが応答。

11時半、再起床した我々は、駐車場から車を出してもらい、セコーカスへ向かった。八番街は北に向かった一方通行なので、一つ西のコロンバス・アベニューを南へ、標識に従って41丁目あたりからリンカーン・トンネルに入った。トンネルをくぐるとそのままルート3Wに乗れる。ジョー・ピッツの言うとおり、やがてセコーカスと書いた出口が見えたので一般道に出る。

ジョー・ピッツの話では、すぐ分かると言ってたが、それらしいものはない。うまいことに日曜大工があったので、そこに入り、道順を聞く。どうやらルート3Wを出るのが早すぎたようだ。「メドウランズ・パークウエー・エキジット」を出ろと教えられた。ついでに、店内を一通り見て、シャワー・ヘッドを一個買う。シャワーの輪を回すとシャワーの水の出方が変わり、マッサージになる奴だが、なかなか日本で売ってない。アメリカのを買って帰ってもネジ穴があわないおそれもあるが、最近はアダプタが売られていると言う話も聞いていたので、何とかなるだろう。

ルート3Wに乗り直し、教えられた出口を出ると、それらしいものがあった。ジョー・ピッツから、ここは幾つもの建物に分かれていると聞いていたので、間違わなかったが、その情報が無ければまさかこれがアウトレットとは思えない。とりあえず、一つの建物の駐車場に車を停め、パンフレットを貰った。それには、確かにアウトレットと書いてある。建物は全部で28個。夫々、車で移動しないとまわれない。日本からの観光客向きではない。どうりで、日本であまり話題になっていないはずだ。

アウトレットに行けばレストランかカフェテリアがあるだろうと思っていたがそれもハズレのようだ。幸い「ヒルトン・ホテル」(ツー・ハーモン・プラザ)があったので、そこで昼食をとる。寝不足の上、朝からセンベイと、おかゆしか食べていない。もう2時を回っている。

ヒルトンのレストランの窓からは、庭の岩の影に猫が一匹こちらをうかがっているのが見える。その先は大きな池のようだ。家内が「あれ海?」と聞く。「海のはずはない。多分池じゃないかな」と答える。後で地図を見ると、どうやらハッケンサック川のようだ。

食事を済ませ、アウトレットの建物一つだけに寄って、家内は倅と娘婿の衣料品を買う。もう4時だ。予定ではこの時間にはアトランテイック・シティーでスロットをやっている時間だが、まだニューワークより北に居る。

インターネットで調べた道順によると、ニュージャージィー・ターンパイクからルート206を経て、ルート30に乗るとアトランテイック・シティーで、ニューヨークからの距離は128マイル、時間は141分だそうだ。先程念のため、ヒルトンのフロントのお嬢さんに聞いたら、ここからはルート3からガーデンステート・パークウエーに乗るのが普通だと言う。

地元の人の意見を大切にしようと、ルート3のウエストに乗り車を進めると、すぐインターチェンジがあり、サウスだったのでそれがガーデンステート・パークウエーと思い、乗った。しばらく走ると、ニュージャージィー・ターンパイクを走っているのに気が付いた。走りながらチラリと地図を見ると、少し南でパークウエーとターンパイクが交差しており、そこまではターンパイクの方がニューヨークに近い東側を走っていることがわかった。結果的に少し近道をしたことになる。

ターンパイクは有料なのは知っていたが、パークウエーが有料道路だとは知らなかった。結局、アトランテイック・シティーまでに5箇所のトールゲートがあり、その都度35セントを篭に投げ込む。これでは小銭が幾らあっても足りないからトークンを買おうとしたら35ドルのセットしか売ってないと言う。

この道は、制限速度55マイル。私は、クルーズコントロールを70マイルにセットして走行した。片道2時間のドライブは、日本では私の住まいから東京に行くとき、混んでればそれくらいの時間はかかるので、苦にはならない。

やがて、パークウエーからルート30のイーストに移る。はるか先の地平線上に、蜃気楼のようにアトランテイック・シティーの街が見えてきた。点在する高層ビル、走るにつれてその姿が大きくなる。そして、一般道になるともう街全体は見えない。

6時半を過ぎていたので、まず明るいうちに著名なカジノ・ホテルの前で写真を撮ることにした。まず、「ショーボート」「タジ・マハール」「バリーズ」どこかでパンフレットを手に入れれば、もっと効率よく回れたのに、そんな気持ちの余裕はない。

ここには、カジノ・ホテルは「バリーズ」「シーザース」「クラリッジ」「グランド」「ハラズ」「マーブ・グリッフィンズ」「サンズ」「ショーボート」「トロピカーナ」「トランプス・キャッスル」「トランプス・プラザ」「トランプス・タジ・マハール」と12箇所あるはずである。おっ、あったぞ。と車を走らせると、建物の影になって見えなくなる。結局「シーザース」や「サンズ」を見つける前に暗くなってきた。どういう訳か、日本語の「カジノ」は英語では「カシノ」と濁らないようだ。アクセントは「シ」である。

今度は、どこかのカジノに入って、今夜のショーを決めなければならない。最悪インターネットで探した「バリース」のショーにしようと、「バリース」の駐車場に車を停めた。ここは駐車場だけのビルで、何階にもなっている。ふと気がつくと、私の車のヘッドライトが自然に点いたり消えたりしている。ライトのスイッチを見ると、ロータリー・スイッチの左側の目盛りが書いてある所になっている。そういえば、この車は今朝借りて以来ヘッドライトのスイッチにはさわってない。前の借り主がそこにセットしたらしい。自動点滅式か。このタウンカーは素晴らしい。昔、その社名がフィックス・オア・リペア・デイリー (毎日修理か修繕) の頭文字からとったと言う会社の製品とは思えない。この年式のものは、走行中現在の消費燃量と燃料の残量もガロン単位でも表示されるが、ニューヨークからの道では、燃費は 1 マイル当たり 19.5 ガロンと表示されていた。リッター約 7.8 キロである。私のデボニアは高速道路を連続で走っても、リッター約 6.5 キロである。タウンカーで一つ理解出来ないのは、イグニッションを切ってもラジオがオフにならない点である。多分放置すれば自然にオフになるのだろうが、私はその都度ラジオのボリューム・ボタンを押して消している。

駐車場の4階の空いているスペースに停め、その番号をメモして、カジノ・ホテルへの矢印に従って歩いた。

ガレージ・ビルから動く歩道があるわたり廊下でカジノ・ホテルのビルに移る。エレベーターでカジノのある二階に降りる。だだっ広いカジノの一角にショーのカウンターがあった。用意されているショーの一覧表をもらう。

表には上から12行の枠があり、一番左にカジノ・ホテルの名前、右に上演中と近日上演予定のショーが記載されている。昨夜だったら「バリーズ」の「ヒルトン」で「ガーシュイン・オン・アイス」をやってたのに。おっ「トランプ・プラザ」で手品をやってる。やめとこう。家内が言葉が解らなかったら面白味は半減だ。それに、あまり時間の余裕もない。結局、ここで7時半からやる「レジェント・イン・コンサート」に決めた。

カジノをひとまわりしてみようかと、時計を見ると7時10分。ラスベガスの経験では、この種のショーは遅く入るとろくな席に着けない。夜は長い、カジノには閉店時間はない。とにかくシアターに入る方が賢い。

案内のバーニーガールにドル札を二枚掴ませる。一番前の席に案内された。この劇場はテーブル席になっており、全席詰めこんでも80人がいいとこといった小さなものである。座ってステージの方を見ると、足しか見えそうもない。足から見上げるのも楽しいかもしれないが、我々今日は疲れている。家内も、「ここじゃ落ち着かないわよ」と言うので、席を後ろに移してもらった。今度は、メザニンの一番前といった感じのところである。

このショーの選択は正解だった。バンドはキーボード、ドラムス、ギター、ベースギターの四人編成だが、まともな音を出していた。コーラスガールは四人に黒人男性二人。いずれも外観良く、踊りもニューヨークのブロードウエー級。メイン・シンガーが四人、それぞれ著名なスターの物真似である。なかでも、マリリン・モンローの真似をした女性シンガーはたいしたものだった。容姿も声もモンローそっくり。何曲か歌った後、客席の60歳くらいの男性のところに行き共演。その男の名を聞き、ジミーと名乗ると、歌の歌詞にジミーを挟む。やがて、「マイ・ハート・ビロングス・トウー・ダディー」に曲目が変わると最後の「ダディー」をジミーに歌わせる。そのうちに、ジミーのオデコはモンローの口紅で真っ赤。やがてステージ中央の椅子に座らせられたジミーは観念してモンローの言うままきまま。何枚か脱がされた。

1時間20分のショーのフィナーレは、「アメーリカ、アメーリカ」で知られいる "America, the Beautiful" であった。出演者全員が唱い踊る中、アメリカに来てるんだという実感が湧いた。

ショーも終わり、ヒルトンで詰め込んだ昼食もすっかり消化したので、レストランのフロアーに移動した。あまり立派なレストランに入るとやたら時間を費やす結果になる。コーヒーショップに入り、私はステーキ、家内は海老ピラフを注文した。ここのコールスローは旨い。今回は一人前をシェアする代わりに、二人別々の料理をとり、シェアした。

食事を終えると10時を回っていた。カジノに降り、一回りした。テレビ画面に映る競馬もやりたかったが、時間がかかりそうなのでパス。スロットマシンのコインを買った。

今日は、渡米以来の疲労がたまり、冴えない。プロビデンスまでの航空券を安く入手したので、その差額をここのカジノの元手にするとのをすっかり忘れていた。時間もないし、スロットマシンの操作もあまり長い間やれば疲れるだろうと、ダイムを4ロールづつしか購入しなかった。一人分16ドル。本来ならダラーコインを購入する原資はあったのを忘れていた。

家内はあちこちのキカイを浮気して歩いていた。私は、一台のキカイで4ロール全部入れて、そこで無くなったら終わりにしようという作戦。一回にコイン三枚まで入れられる。勝ち分は、リリーズ・ボタンを押さないかぎり、キカイにクレジットとして保存できる。4ロール全部入れるのに30分もかかっただろうか。その間、菱形のジャックポットでベルが鳴るやつが何回か出た。全部終わったところで、横に家内が来たので「そろそろ帰ろうか」とリリーズ・ボタンを押した。キカイにクレジットされていたコインが、一度に下の受け皿に出て来た。それを家内と一緒に、紙コップに入れ、キャッシャーで換金。結局16ドルは62ドルになって戻って来た。てっきり全部すったと思っていた家内も紙コップにコインを持っており、14ドル受け取っていた。

時計を見ると、11時。初めてのアトランテイック・シティーに満足してニューヨークに向かって車を走らせた。復路は、やたら料金場の篭の不調が多い。35セント投入してもゲートの横棒は上がらない。その都度、車を降りて篭を覗くと、コインが横に引っ掛かっている。一度は、どうみても35セント以上あるわいと、引っ掛っているコインを拾ってみると、スロットマシンのコインが入っていた。小銭を用意するのは家内の役目としていたので、「ちゃんと、お金のコインと別にしておかなきゃ」と文句も出る。後でよく見たら、そのコインは「シーザース」のコインで、家内が持ってるはずはなかった。スロット・マシンのコインを有料道路の料金篭に入れたやつは別に居た訳だ。疲れたが楽しかった一日を終え、1時10分にホテルに戻った。

               ― 続く ―


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アメリカ回帰旅行記
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ニューヨーク第一日はプラザの朝飯から
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5月1日、晴れの朝だが、眠れぬまま聴いたラジオによると、午後サンダーストームだそうだ。

今朝はゆっくりして良いが、車を返さなければならない。昨日借りた時間の一時間後の10時までに返さないと超過料金を取られる。使わない車に駐車場代と超過料金はもったいない。55丁目の六番街と七番街の間にあるハーツからは58丁目の五番街にあるプラザホテルまでは4ブロック、先に車を返して、プラザホテルのパームコートで朝飯を食うことにした。ニューヨーク滞在は、昨夜の稼ぎで豪華な朝飯からスタートしよう。

車のマイレージは丁度300マイル。インターネット情報だとニューヨークとアトランテイック・シティーは、片道128マイルだから、そんなものか。許容走行距離の120マイルを大幅にオーバーしたので、バッチリ180マイル分の走行超過料金 52.20 ドルを取られた。一日当たり料金の 52% である。ガソリン代はマイル当たり 0.29 ドルが規定だが、64.20ドルしか取られていない。

パームコートは、いつもは晩飯後、ショートケーキと紅茶を楽しみに来る所だが、今回はその機会が無さそうである。豪華な雰囲気で、おじさんがバイオリンを弾いているのを聴きながら食べたショートケーキは、私の糖尿病の進行に多大な貢献をしたに違いない。ケーキのサイズは日本のものの三倍はあるだろう。ここで朝飯を食う機会は今まで無かったので丁度よい。

駐在員生活最後の一週間、ニューロッシェルのアパートを引き上げて、帰国までの数日家族と一緒に滞在したバービゾン・プラザ・ホテルにも近い。バービゾン・プラザは古いホテルで、ドアーのペンキは上から何回も塗り足され、家内は一人でドアーを閉められなかったものだ。ハーツからの途中、バービゾン・プラザ・ホテルの前で写真を一枚と思ったが、バービゾン・プラザの位置を勘違いして、プラザに来てしまった。

家内は、ここでもしつこくホット・オートミルに固執、ワーウィックのホリデー・イン以来、ホテルでの朝飯はオートミルを食べ比べている。私は、典型的なアメリカンスタイルの朝食にした。オートミルに付いてきた茶色の粉を指し「これは何?」と聞く。私は知らないと言うと家内はちょっと舐めてみて「お砂糖」と言った。そういえば、オートミルにはミルクと砂糖をかけるもんだよ。家内は砂糖なしの塩味が好きだそうだ。

リッチな朝飯を済ませた後は、現実の世界に戻る。コロンバス・サークルから地下鉄の1番線に乗り、終点一つ手前の238ストリートで降りる。ここまで来ると、乗客もまばらである。地下鉄の車内で家内の写真を一枚撮った。目指すは「ローマンス」、女性用衣料品の安売り店である。ここには駐在員時代良く来た。昔は、ボタンの付いてないコートとか、何やら半端物が並んでいたような記憶があるが、今日来てみると、すっかりイメージチェンジである。

入口を入ったところに椅子が並べてあり、アメリカ人のおじさんが座っている。明らかに奥さんの買物をそこで待っている姿である。店を一回りした後私もそのおじさんのところに行った。ここに灰皿があれば申し分ないのだが、置いてない。ドアーの外に出て一服し、また椅子に戻った。幸い、まだ眠気は来ないので、ショルダー・バッグからノートを取り出し、これからの計画や、今までの旅程でどこまで旅行記に盛り込むかの構想を練った。

そろそろ買物も終わったかと、店の中を覗くと、家内はレジでカードを出しているところだった。自分のものと娘のものを三着か四着買ったらしい。買ったものを用意してきたソニア・リキエルの黒いキルテイングの袋に入れる。私が十年以上前にビバリーヒルズのロデオ・ドライブで買ったやつだ。

パンパンになった黒い袋のブランドが付いている面を内側に持ち「さ、行きましょ」と地下鉄の駅に向かった。地下鉄と言っても、ブロンクスに入ると路上に出て、高架線を走っている。駅は階段を上がるようになっており、うっかり出口側の階段を登り、また降りて入り口側を登りなおす。トークンは、コロンバス・サークルで乗ったとき5枚買った残りがある。一個1.50ドル、我々が住んでた頃は 25セント だった。

50丁目で降りるところ、めったにないことだが家内と話し込み、停まった駅を見るとタイムス・スクエアだ。「乗り越した」とそこで降り、階段を上がって逆方向のホームを探した。「1アップタウン」はすぐ見つかり、階段を降りた。ホームはかなり混んでおり、ヒスパニックや黒人が目立った。私には、昔オフイスから地下鉄に乗るのに、タイムス・スクエアとグランド・セントラルの間の一駅シャトルをよく利用したので、懐かしい駅だが、家内には異様な光景だったらしい。すぐ来た電車に乗り一駅目の50丁目で降りてホテルまで歩いた。

昼飯は、カップヌードル。お湯が沸くまでの時間、ニュージャージーの昔の同僚に電話をした。彼は、まだその音響メーカーに在職、アメリカ会社の社長をやっている。金曜日に会うのを楽しみにしていたが、あいにく日本の本社社長がアトランタの工場の創業15周年記念式典に来訪するのでそのアテンドをしなければならなくなったから失礼すると残念がる。先週、日本の私に電話をしたが既に出発後だったとのこと。彼は立場上よく日本に出張して来るので、またすぐ会えるだろう。「サカイ商事」に電話かけても出ないけど、まだやってるのかと聞くと、あそこは二年前に店をたたんだとのこと。それに代わるお土産屋はないかと聞くと、大陸商事とマキを教えてくれた。電話帳で大陸商事とマキの番号を調べ電話する。大陸商事はすぐ電話で連絡がとれ、五番街の45丁目と46丁目の東側でフレンチビルの中だと言う。マキは電話帳の番号で出た相手はマッサージだった。

ついでに、このフォーラムの C さんからの宿題、Hotel Milford の空港リムジンが無料サービスなのか電話で調べる。リムジンは有料で、ケネディーまでが 40ドル、ラグアーディアまでが 30ドル だった。部屋代は 185ドル から、ファクシミリ番号は (212)764-4477 である。今後の参考にと、バービゾン・プラザ・ホテルのファクシミリ番号と部屋代を聞く。ファクシミリは (212)481-7270、部屋代は 170ドルだった。今朝の朝飯で、超高級ホテルに泊まると、朝飯代もかさむのがわかった。次回は、このあたりが妥当か。

午後は雨の予報なので、メトロポリタン美術館に行くことにした。雲ひとつ無い空を見上げて、雨だと言うのを家内は信じない。それでもブツブツ言いながら傘は持って出た。

ホテルの前でタクシーを拾い、メトロポリタンと言うと八番街を北に走り出した。多少位置関係を知ってる家内は「セントラル・パークの反対側じゃないの」といぶかる。「五番街が逆一方通行だから、これを行ってセントラル・パークの中の道を行くんじゃないの」と安心させた。案の定、タクシーは86丁目かセントラル・パークに入り、五番街を南下してメトロポリタンに横ずけした。

入場料は 8ドル。65歳以上は 4ドルになると書いてある。ひとつからかったやろう。「アダルト、ワン、シニア、ワン、プリーズ」切符売り場のお嬢さんは私の顔をしげしげと見て、「ほんとにシニア?」と言う。「何歳に見える?」と聞くと「とても65歳には見えない」と言う。「オーケー、ユーウイン、ツー、アダルツ。来るのが二年早かった」と引き下がった。彼女は「二年後にまたおいでよ」と言った。

入場券は薄い金属のバッジだが、爪の部分が小さく、これで衣服につけてもすぐ取れてしまうだろう。私は、ジャケットの胸のポケットに入れた。入り口を入ると二階のヨーロッパ油絵のコーナーである。家内も、絵は好きな方だがイタリアで堪能して来ている。ここをくまなく見ては時間がいくらあっても足りない。この美術館のハイライト、一階のエジプト、ギリシャに行く。アフリカまで来たところでドッと疲れが出てきた。

レストランに行き、お茶することにした。かなり混雑していたがボーイが席に案内してくれる。二人とも莓を頼んだ。持ってきた莓を見て「二人別のものを頼んだ方が良かったわね」と言う家内。大型の莓にサワークリームの山、食欲をそそる姿ではないが、美味しい莓だった。何と言っても昼飯はカップヌードルだ。勝手を知らぬ日本人女性が一人テーブルに座る。大勢居るボーイは誰も相手にしない。暫くしてその女性はすごすごと立ち去って行った。私も疲れてなければ、「こちらのテーブルでご一緒にいかがですか?」とか「ボーイに案内されてから座らないと、注文をとりに来ませんよ」とか言ってあげるのに、その元気はない。

美術館も、ここじゃなきゃみられない物があるので、真面目に見学すべきだが、何と言っても疲れる。楽器、アメリカ・コーナーを観て引き上げることにした。外に出ると、雨は小降りになっている。タクシーをつかまえ、五番街を46丁目まで下る。フレンチ・ビルは五番街を南に、左側の洋服屋と洋服屋の間のアーチをくぐったところにある。エレベーターで「大陸商事」のフロアーに行く。

品揃えは「サカイ商事」よりやや高級品が多いような気もするが、これも時代の流れかもしれない。それでも、ペン式の香水など、昔「サカイ商事」で買ったものもあり、家内は幾つか買ったようだ。私は、ニューヨークの日系情報紙「OCSニュースはないか?」と尋ねたら、「旭屋書店にあります」とのこと。

旭屋書店の場所は、バンダービルト街の45丁目だそうだ。ついでに「寿司のテークアウトができる店はないでしょうか?」と聞くと、旭屋書店の向かい側に「竹寿司」があり、46丁目の五番街とマジソン街の間に「なにわ」があり、「なにわ」の方が安いと教えてくれた。何だ、昔の私の縄張りじゃないか。

傘をさしたり、つぼめたりしながら、まず旭屋書店に行く。OCSニュースは、明後日新しいのが出ると言うことだが、現在あるものを一部購入。ついでに、マンハッタンの鳥瞰図とアメリカ全土の鳥瞰図を買った。額に入れてリビングに飾ろう。会計をしながら「お土産屋さんで、マキと言う店を知りませんか?」と尋ねた。「マキは五番街の49丁目だったと思います」と教えてくれた。

五番街方面に歩くと、寿司屋さんがあった。てっきり「竹寿司」と思いこみ、にぎりを二個買った。テークアウトと言うより、日本のコンビニに売ってる寿司の姿である。これで、ホテルに帰ろうとすると、家内が「ちょっと、その店に寄るわ」と言う。ビタミン屋である。家内は、ビタミンCともう一つ何かの瓶を買った。日本より安いらしい。

ホテルまでは、ストリートを5ブロック、アベニューを5ブロックの距離だが雨も上がったことだし、夕方で車道も混んでいたので歩いた。

ホテルに帰り、湯を沸かし、寿司をパクついた。結構うまい。箸の名前を見ると「大吉すし」とある。なんだ「竹寿司」じゃなかったのか。

7時を回ったので、ホテルを出て劇場に向かった。七番街を渡り、ワンブロック上に行くと、ニール・サイモン劇場だ。入り口には黒山の人。家内を外に待たせて私は人混みをかきわけ、ボックスオフイスに行った。「キュートク、ケイワイユーツィーオーケーユー」と言うと、封筒の中から一枚の紙を出し「こちらにサインをお願いします」と言う。サインをするとチケットを二枚くれた。何だ、ここんちは、チケットに客の名前を印刷してくれないのか。A109と110を見て、家内は「並んでないのね」と言う。A110のゼロに斜線が入っているので116と見間違えたようだ。

劇場のお嬢さんに案内されて席に着く。オーケストラ (一階席) のど真ん中の一番前である。我々の前は半地下で、そこに楽団が居る。2メートルくらいでステージがあり、我々の席とステージの間の楽団の頭の部分には網が張ってある。丁度我々の前の2メートル四方くらいは、その網がない。「どうして、ここだけ網がないのかしら?」「さー?」その謎はすぐ解けた。やがて指揮者が現れ、そこに立った。網があれば指揮者の頭がぶつかる。

開演前から、タイ人僧侶の扮装をした俳優が左右二人ずつステージの左右の上の観客席に設けられたステージに上がって、開演を待っている。キャストは、王様がルー・ダイアモンド・フィリップス、家庭教師アンナがフェイス・プリンス、船長がジョン・カーレス。その昔、日本でも♪シャル・ウイー・ダンス、タン、タン、タンの主題歌「シャル・ウイー・ダンス」が大ヒットし、エトセトラ・エトセトラ・エトセトラが大流行した、リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタィンのコンビの名作「王様と私」のリバイバル公演である。映画では、ユール・ブリンナーとデボラ・カーが主演だった。

タップダンスもないし、華やかな踊りも無く、出演者の大部分が東洋人なのでブロードウエー・ミュージカルとしては異色のものだが、我々世代の日本人には馴染みの深いミュージカルである。四十何年前、昼飯を二三回抜いてその飯代で東京の映画館の上の方の席で見た私にとって、本場のブロードウエーで見ることができるのはこの上ない幸せである。

               ― 続く ―


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Q-chan の  
アメリカ回帰旅行記
(6)
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「サクラ商事」の地図を発見
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5月2日、好天は続いたが、予報では明日の土曜日は雨らしい。屋外の観光と主な買物は今日のうちに済ませなければならない。博物館はこりたから、明日は予定外だが、ミュージカルのマチネーでも見るか。話に聞いていたタイムス・スクエアのミュージカルの安売りチケットを覗いてみよう。

ハワード・ジョンソンで朝飯を済ませ、タクシーでタイムス・スクエアに向かった。近くまで来たところで、運チャンに「タイムス・スクエアでミュージカルのチケットを売ってると聞いたけど、どこか知ってる?」と聞いた。「ああTKTSですね。47丁目ですよ、ほらあそこにTKTSと書いてあるでしょう」「有り難う、そのへんで降ろしてください」

七番街と斜めに来ているブロードウエーの交差した洲になっているところにあるTKTSは窓口は皆閉まっている。近くで宗教新聞を売っている男に聞くとマチネーのチケットは午前10時、夜のチケットは午後3時から発売とのこと。まだ9時すぎなので、五番街に出て「マキ」がやってたらひやかすことにした。

47丁目を東に2ブロック行き、五番街に出た。確かこのへんに日本航空があったはずだ。この時間、店はまだ開いてなくても航空会社のオフイスは開いているだろう。帰国便のリ・コンファーメーションもしなければならない。だが見つかったのは大韓国航空だった。「ちょっとうかがいますが、このへんにマキと言うお店があるはずなんですが、ご存知でしょうか?」英語で聞くと、日本語で「この先の左側にあります」と教えてくれた。ついでに、日本航空の場所を聞くと、場所はわからないが電話番号ならと番号を教えてくれた。

教えられた通り、マキの看板があった。中央部吹き抜けのぜいたくなビルの三階にあった。どうやらこれがトランプ・タワーらしい。開店時間は10時、あと10分だ。そこのソファーで待つことにした。品揃えは昨日の「大陸商事」よりやや多いが、高級品指向には変わりない。町で $10 で売ってた灰皿が 7ドル だったのでそれを一つ買った。家内は何やら二三点買い込み、ソニア・リキエルの袋に入れた。

再びTKTSに行くと、10時なのに閑散としている。モニターに今夜のチケットが表示されているのを見ると、殆どが 50% となっている。ただし、お目当ての「シカゴ」も「アニー」もその中には無かった。そこに居る人に、マチネーの発売は10時と聞いたがと聞くと、あくまでも当日分なので、マチネーをやる土曜日じゃないと売ってないとのこと。しかたがない。ホテルに戻ったら電話で安い席を予約するか。

タクシーを拾い、34丁目の「メーシーズ」に向かった。どうやら、倒産した隣接の「コルベット」の建物を買って広げた模様で、やたら売場面積は広くなり、分かり難くなっている。倅のスーツとシャツを買い、私も絹のジャケットとシャツを買った。絹のジャケットは、香港で見たやつはペラペラで着る気にならなかったが、ここのは普通のジャケットと変わらず、メード・イン・ポーランドで、何とブランドは SAVILE ROW だった。着てみると軽いので、これが 99ドルなら普段着に良いと思い買った。

友人への土産、パーコレーターを探すのは大変だった。まず「インフォーメーション」に行き、フロアープランを貰い、エレベーターで5階に上った。降りると、そこは売場ではなくカフェテリアである。かまわず進行すると自動販売機があった。そこでジュースを買い飲んでると、店の人が来て「ここは従業員用のスペースです」と言う。「売場はどこ?」と聞こうとすると既に立ち去っている。

ぐるぐる歩き、やっとハウスウエア売場にたどり着く。「コーヒーメーカーで電気式じゃないのはどこにあるか?」と聞くと、「アプライアンス売場です」と言う。そこに行って聞くと「あそこの鍋売場です」言う。聞くにも売り子の数が少ないのと、居ても誰かの応対をしているので、すぐ聞く訳にゆかない。結局、この店にはそのような物はないと言われた。

次に、ステーショナリー売場に行き、幅13センチ長さ20センチのメモ帳を探したが置いてない。このメモ帳はアメリカではかなり普及しているもので、私も長年愛用しているが、不思議に日本ではなかなか手に入らない。

パーコレータとメモ帳は諦め、外に出ると「ウールワース」があった。パーコレータもメモ帳もあった。このパーコレータは、コーヒーの粉と水を入れ、コンロの上で沸かすもので、沸かす時間によってお好みの濃さに調節できる原始的なものである。蓋の取っ手が透明になっており、コーヒーの濃さが見えるようになっている。電気式のものは自動なので濃さはコーヒーの粉の量で調節するしか方法はなく、しかもアメリカ製はすぐ壊れる。日本ではドリップ式が主流なので、この種のコーヒーメーカーはまず売ってない。我が家で使ってるのは、数年前日比谷のアメリカン・ファーマシーで仕入れたものだが、2,500円 だった。ここでは 12ドルである。さすが、ウールワース、箱に入ってない。お土産としての姿ではないが気心の知れた友人にあげるものだから心配ない。

この荷物なので、一度ホテルにもどる。日本航空に電話し、帰国便のリ・コンファーメーションをする。昔は日本航空とは言え、英語じゃなきゃ出来なかったが、今では日本語で応答してくれる。

どこかでラーメンでも食べて、自由の女神でも見に行くかと、タクシーで44丁目に向かった。確か昨日寿司を買った店でウドンをやってたのでラーメンもあるだろう。六番街の44丁目でタクシーを降り、五番街を渡ると左側に「アズサ」と言う日本料理店があった。ラーメンがあるか確かではなかったが、「大吉」のカウンターよりマシかとそこに入った。

これが、結果オーライ。注文をとりに来たお嬢さんと世間話をしていると、彼女は珍しい地図を持ってきた。曰く「サクラ商事ミッドタウン・マップ」。日本人が行きたい所が満載されたニューヨークの地図である。裏は「ダウンタウン・マップ」である。主な日本料理店、著名ブテイック、博物館など観光スポットが網羅されている。この地図があればニューヨーク初めての日本人観光客も迷わず行きたいところに行ける。ニューヨーク久しぶりの私にとっても、利用価値は高い。これは、お薦めなので、帰国後 PR することにしよう。

ラーメンの予定は「鰻丼」に変わった。家内は「トンカツ」。貰った地図の発行元の「サクラ商事」はそのレストランの隣である。今後利用価値がありそうなので、そこで地図を何枚か貰おうと、「サクラ商事」に入った。良いジャケットが置いてあったが、既に「メーシーズ」で買ったので手遅れ。家内は、フェラガモの靴を一足買った。

地下鉄でバッテリーパークに向かった。スタットン・アイランドに行くフェリーに乗る予定だったが、家内がフェラガモを抱えている。予定外なので、例のソニア・リキエルの袋も持って来てない。一般客が主なスタットン・アイランド行きより、観光客が主体のリバティーアイランド行きのフェリーにした方が安全かもしれない。

バッテリーパークで地下鉄を降り、バッテリーパークを右にフェリーの切符売り場に行く。売場は円形の建物の中にあるがそこに行くまでが長い。円形の建物の入り口も分かり難い。やっとたどり着くと 7ドル、62歳以上は 4ドル。やったね。今度はシニア料金で乗れる。ところが、良く見ると 4:30 PM で終わりとのこと。時計を見ると4時半を過ぎている。他にも失望している観光客のグループが一組。私は「代案はスタットン・アイランド行きのフェリーから自由の女神を見ることですよ」と言うと、彼女は「それはいいアイディアだ」と喜んだ。家内はトイレに行きたいと言う。私は、木で出来た大きな丸い台に腰をおろしピースに火を点けた。その台の上で昼寝をしている男も居る。家内が出て来る前に、トイレの入り口も「本日終了」とブロックされた。

再び、地下鉄の駅まで歩き、フェリーに乗り込んだ。切符売り場も無く、誰も切符を見せず乗船している。5時に船は出航した。スタットン・アイランドまで約25分。リバティー・アイランド、エリス・アイランド、その後ろに見えるマンハッタンの景色は素晴らしい。特にスタットン・アイランドに用事がある訳ではないので、アイスクリームを買ってマンハッタンを眺めながら食べ次のフェリーに乗った。今度は、切符 (トークン) 売り場もあり、一人 50セントだった。マンハッタンと連結する橋やトンネル同様、往復料金を片側で徴収するしくみだ。

バッテリー・パークに着いたらまだ外は明るい。折角ここまで来て、地下鉄で戻るのも芸がない話だと、こちらの人が「ビッグ・アップル」と呼ぶホップオン、ホップオフ式の、屋上に椅子がある赤いバス「ニューヨーク・アップル・タワーズ」のバスに乗ろうと乗り場を探した。着いたとき見かけたから、この辺にも来ている筈だ。パトカーが居たので聞くと、バッテリー・パークの北のステート・ストリートだと言う。そこに行き、人に聞くと地下鉄の駅だと言う。地下鉄の駅と言われても、ここには1番9番の地下鉄のサウスフェリー駅もあるし4番5番のボウリング・グリーン駅もある。駅としてはこちらの方が目立つ。

運良くそこにセキュリティーと書いた車が停まっていたので、そのガードマンに聞く。残念、この時間既に終わったとのこと。しかたがない、路線バスにするか。6番バスが来た。客を降ろすと、乗せてくれない。待っていた東洋人のグループも乗せてもらえない。バス停の注意事項を読むと、トークンかイグザクト・チェンジが必要、ビルとペニーは受け取れないとある。ペニー以外のコインを釣り銭のないように用意せよと言うことらしい。そんな小銭は持ってない。家内を待たせて、サウスフェリー駅にトークンを買いに行く。やれやれ、バスに乗るのに、パー・ファイブ2ホールくらいの距離を歩かされた。

やがてやってきたバスの運チャンは女性ドライバー、親切な人だった。乗る人がトークンや小銭を持ってないと、マイクで乗客に「2ドル小銭に両替できる人は居ませんか?」と声をかける。大体この観光客だらけのニューヨークで、ドル札を受け取れないと言うシステムがおかしい。そんなら、バス停にトークンの自動販売機でも置けよと言いたいが、ニューヨークでは路上の自動販売機は猫に鰹節、置ける筈はない。

次の目的地はパーク街の49丁目ウオルドルフ・アストリア・ホテル。6番のバスで50丁目あたりで降りれば良いかと思っていたら、間違えて40丁目で降りてしまった。タクシーを拾う。

ホテルに入り、地下に行くと、あるはずのところに「稲ぎく」がない。もう一度一階に戻り、フロントで聞くと、日本人のお嬢さんが日本語で「ご案内します」と先導してくれた。「なにぶん、古いホテルで、今でも地下に昔使ってた地下鉄の駅があるんですから」と言う。ここからグランド・セントラル駅まで地下鉄があったらしい。これは、私も知らなかった。

「予約してないんですが、二人お願いします」と言うと「暫くお待ちください」と支配人が応対してくれた。「改装したようですね」と聞くと「昨年、夏から十一月まで改装で閉めてました」とのこと。家内がトイレにと外へ出ようとすると「こちらでございます」とガラスのドアーを指した。

テーブルに案内され、メニューを見ると、嘗ての天ぷらの名門が、何でも屋になっていた。アラカルトの品種が増え、値段もかなり手頃になっている。私は好物のロブスターの天ぷら、家内はアラカルトの天ぷらと茶碗むしを頼んだ。それぞれ赤だしを頼んだ。ロブスターの天ぷらが 29ドル、赤だしが 6ドルといったところ。料理はご飯付きの値段である。

何年ぶりかの「稲ぎく」のロブスターの天ぷらに舌ずつみを打ち、ロックフェラー・センターを経て徒歩でホテルに戻った。どこかのライブハウスに寄りたかったが、家内は「明日もミュージカルでしょう」と言うので諦めた。

ホテルに戻り、明日の夜訪問する予定の、ニュージャージーの友人に電話する。奥さんが出て、電子メールで連絡したが、明日午後3時にご主人がホテルに迎えに来てくれる手筈になっていると言う。その電子メールは私が日本を発った後送信されたものらしい。3時ではミュージカルのマチネーは無理だ。考えて見ると、つもる話もあるし、パソコンの今後の展開も話したい。何とか彼ら三人(二所帯プラス一人) を NIFTY に引きずり込みたい。

               ― 続く ―


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Q-chan の  
アメリカ回帰旅行記
        (7)
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戦友に再会
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5月3日、予報通り雨の土曜日、ニューヨーク最後の日だと言うのにこれはないぜ。イントラビットも、グリニッチ・ビレッジも、ソーホーも、ヘリコプターも、雨ではどうしようもない。一変したと言うサウス・ストリート界隈にも行きたいところだが、気が重い。

ハワード・ジョンソンの朝飯もイマイチだったので、2ブロック先のスターバックスで朝食をとり、懐かしいデパートのブルーミングデールズに行くことにした。確か、ブルーミングデールズの近くにウールワースがあったはず。電話帳で見るかぎり、その近辺にウールワースの店はない。ウールワースのヘッドクオータースに電話すると「本日の業務は終了」とのテープが流れる。やむをえずウールワースの一店に電話したら、ブルーミングデールズの近くの店は何年も前に閉鎖したとのこと。リムジン会社に電話で明日の空港までの車の手配を頼んだ。

それにしても、アメリカの商売は厳しい。アメリカのフラッグ・キャリアであったパンナムが潰れ、ニューヨークの代表的ビルであったパンナム・ビルの上のパンナムの文字は消え、今やメットライフとなっている。名門デパートのビー・オルトマンも今はない。低所得層を対象にしたデパートのアレキサンダーズも潰れたし、ウールワースと張り合っていたWTグラントも今はない。日本の日本航空や、伊勢丹や、イトーヨーカ堂が潰れたに匹敵するようなものだが、日本で過去二十五年に潰れた航空会社は皆無、潰れたデパートは、失礼ながらマイナーな上野の京成や池袋の丸物くらいか。

スターバックスで私はビーグルとエスプレッソ、家内はココアとマフィンを注文した。二人で 6ドルの朝食、プラザ・ホテルの十分の一である。この店は日本のドトール・コーヒーのニューヨーク版のようなもので、アメリカにしては美味しいコーヒーが飲める。

雨のなか、タクシーに乗りブルーミングデールズに行く。私のショッピングリストは殆ど消えているが、良いのがあれば買いたい物の中にソフト・アタッシュが残っている。鞄売場を見たが欲しい物は無かった。ハウスウエア売場や家具売場を歩き、家内はご近所や友人の土産を二三点購入。そろそろビーグルが消化しきった。

廃墟となったアレキサンダーズの建物の脇でタクシーを拾おうとすると、鞄屋さんがあった。東洋人の店らしいが、おかみさんと思われるおばちゃんは昼食のヌードルと格闘中で、客など目に入らない模様。四・五軒先にもう一軒あった。こちらの方が高級品がありそうである。黒人男性の売り子は熱心だ。「ソフト・アッタシュを探している」と言うと、「これはいかがですか?」と持ってくる。値札を見て躊躇していると、今度はもう一つ持って来た。最初のやつは気に入ったが 320ドル は予算オーバーだ。もう一つのは 185ドルと値段は手頃だが、革はソフトでないし、高さが低くストックフォームが入りそうもない。

最初のを「これ 200ドルなら買うが?」と言うと、顎をレジの方に向けて了解のしぐさを示した。こいつは買物だ。おそらく日本にはこの類は売ってないだろう。あっても五万円以上はするだろう。

タクシーを拾って五番街の55丁目に行く。「サクラ商事」の地図をたよりに「めんちゃんこ亭」を探す。「木久蔵ラーメン」を注文。二人で 19ドルはアメリカにしては、高いと言えば高いが、日本なみか。久しぶりの醤油味に満足する。タクシーでホテルに戻ると2時半。雨のニューヨーク、どうやって時間をつぶすかと懸念されたが、私にとっては鞄が買えたのは成果だった。

3時5分前にホテルの前に出て待つと、やがて南から来たトヨタ車を運転する友人が手を振る。二十五年前、ニューヨークで一緒に戦った戦友の一人である。現地で音響メーカーを退職し、電気製品の修理業で独立して成功、今では日本人会の副会長をやっている。今まで何回かニューヨークに来たが、来ればゴルフと言うことが多く、彼はゴルフより魚釣りが好きなので、一緒にゴルフをやることは無く、最後に会ってから十年は経つ。今も、最近の鯖釣りで腰を痛め、医者通いをしているとのこと。

久々の再会を固い握手で喜びあい、彼の車で彼の家に連れて行ってもらった。当時独身だった彼は、ニューロッシェルの私のアパートにも来てくれたこともあり、家族連れの会社のパーティーでも一緒だったので、家内とは前に何回も会っている。

彼の奥さんとは初対面だが、電子メールを交換している間柄なので、何年も前からの知り合いのような気がする。初めて聞く話だが、我々が働いていた音響メーカーのアストリアのデポにアルバイトに来たのが縁で結婚したそうだ。さすが、成功者、立派な家に住んでいる。上のお嬢さんは慶応大学の湘南キャンパスに留学中、下のお嬢さんはアメリカの軍の看護学校に在学中で、今年の夏はハワイで研修があるとのこと。この広い邸に夫婦二人で住んでいる。

今回の旅行の出発前、インターネットで入手したもろもろの資料を見せ、3月一ヶ月分のログと、アメリカでの NIFTY へのつなぎ方、私が一昨年連載した「見聞録」とそれに書き込まれたコメントを入れたフロッピーを渡す。インターネットのヤフーから入手した「ドライビング・ディレクション」は夫妻も初めて見るもので、気に入った模様。入手方法を説明した。

その、ニューヨークからアトランテイック・シテイー、ニューヨークからフレミントンへの道順から、話はファクトリー・アウトレットへと進展した。私が、フレミントンは止めてセコーカスに行ったと言うと、私が行ったところはアウトレットではなく、モールだそうだ。貰ったパンフレットにはアウトレットと書いてあったが、これも商売の手段か。セコーカスのアウトレットは毎日やってる訳ではなく、やってるときは店ではなく工場に商品を並べて販売しており、確かに安いとのこと。ただ、ここ数年日本人観光客が増えた結果割引率も悪くなり、彼ら地元の人たちは迷惑しているらしい。彼の友人がニューヨークの大手旅行代理店の親玉で、頻繁に地元の情報を聞き、それをもとにツアーを組んだりしているが、最近ではあまり情報を流さないようにしているとのこと。

当初私が行こうと思っていたフレミントンのアウトレットは、毛皮を買うなら行く価値はあるが、規模も小さいので行かなくてよかったらしい。日本からの観光客にお薦めは、やはりウッドベリー・コモンだそうだ。

ニューヨークの日本人社会も、この数年の日本の不況の影響をもろに受け、ここ一・二年で約三千人が帰国したらしい。ニューヨークの韓国人も、一頃は「日本が十年かけてやったことを、我々は二年でやった」と羽振りが良かったが、最近はシュンとしているらしい。

全部がそうではないだろうが、概して韓国人はモラルに欠け、魚釣りの場所なんかでも、日本人の後を追ってその場所に来て、ちらかしっぱなしで、現地から苦情が出ると「日本人がやったことだ」とシラを切ることが多いらしい。最近では日韓両国人の相違点も地元でわかってきて、そのへんの誤解は解消しているようだ。

彼も、アメリカ生活30年で、何か地元に還元できることに時間を割きたいと、同じニュージャージーに住む、元アイワ社長の稲垣さんと一緒に、クイーンズのフラッシング・メドウ公園に桜並木を作ろうと情熱を傾けているらしい。

そんな話をしているうちに、もう一人の戦友が訪ねて来た。彼もエレクトロニクスの技術屋で、一度音響メーカーを辞めた後、再渡米して、その音響メーカーに現地採用の形で復帰した。今ではニュージャージーに家を買い、その音響メーカーの現地法人の販売管理・新規事業担当VPとして活躍している。彼にも、用意してきたフロッピーを渡した。

食事をご馳走になりながら、昔話をしているうちに、あっと言う間に9時を過ぎた。名残惜しいが、そろそろ引き上げなければならない。再会を約し、腰を痛めてないほうの戦友にホテルまで送ってもらった。

               ― 続く ―

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Q-chan の  
アメリカ回帰旅行記
(8)
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さらばニューヨークよ、また来るまでは
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5月4日、早くも帰国の日だ。昨日の雨が嘘のような快晴。荷物をまとめ、スーツケースと機内持ち込み用鞄を部屋に残し、チェックアウトする。

ホテルビルをチェックすると、最初の日の分に「映画」として 9.69ドルが記載してあった。「この映画見てないよ」と言うと、簡単にその分を抹消したビルを作ってくれた。この「映画」と言うのはクセモノで、部屋でテレビを点けると自動的に映画が選択されている場合が多い。会社の出張の場合、旅費精算のとき、経理ともめる材料である。いつもは、テレビを点ける際、これに気をつけているが、今回はそれを怠った。簡単に削除してくれると言うことは、ホテル側もバレてもともとと思っているのかもしれない。

チェックインのときにクレジット・カード分のサインはしてあったがトラベラーズ・チェックが全額手つかずで残っていたので、チェックと不足分を現金で払い、クレジット・カードの伝票は破いてもらった。こちらでは、チェックアウトしたと言っても鍵を返せとは言われない。

部屋に荷物を残し、鍵とカメラを持って外へ出た。どこかでゆっくり朝飯にしたかったが、リムジンが11時に来るので時間がもったいない。スターバックスで朝飯を済ませ、タクシーで十二番街の46丁目のイントレピッド博物館に着いたのは9時過ぎ。中に入ろうとすると10時からだと言う。10時から入ったのでは11時のリムジンのピックアップには間にあわない。外から航空母艦をバックに写真を撮り引き上げる。

ホテルに入る前に、ニュース・スタンドでホテルで売切れだったデーリー・ニュースを買う。日曜版なのでものすごい量である。これを部屋で仕訳し、持って行き飛行機の中で読む分と、部屋で捨てる分に分ける必要がある。ニューヨーク・タイムスはいつも売れ残り、デーリー・ニュースはすぐ売切れるのもこのホテルらしい。今回のアメリカ滞在中では、ウオール・ストリート・ジャーナルは一度も買わなかった。

ホテルに戻り、部屋に行く前にロビーを見回すと、モニターが置いてあるのに気がついた。レンタカー会社のロビーにあったやつと同じだ。触ってみると、レストラン、劇場、ナイトクラブなど、宿泊客が必要と思われる場所の情報が入っている。日本の銀行にあるキャッシュ・ディスペンサーより操作は簡単。こと情報産業に関しては、アメリカが一歩先を行っているのは歴然だ。

ひやかし半分に "The Supper Club" を検索してみた。

   Touch Network
The Supper Club
240 W 47th St, New York
Phone: 921-1940
Hours: Fri & Sat 5:30pm-12:30am
Dancing: 8pm-12:30am
LIVE MUSIC--featuring the 8-16 piece Supper Club Orchestra!
$15.00 Admission for Music
Welcome also for Drinks Only!
$25.00 PRIX FIXE SPECIALS:
***********************************************
THE SUPPER CLUB...THE 40's AS IT REALLY SOUNDED
***********************************************
LET US BRING YOU BACK TO AN ERA OF ROMANCE...OF INTIMATE
SUPPERS,
DANCING CHEEK-TO-CHEEK AND DAZZLING ENTERTAINMENT.

その下に、このサーパークラブは由緒あるエディソン・ボール・ルームにあり、エレガントな 40 年代のナイトクラブで、五つ星レストランであるとの説明があり、更に道順があった。ここから徒歩で行ける所である。なんで、これをもっと前に見なかったのだ。金曜の晩なら行けたのに。

11時10分前、部屋に行き、スーツケースと機内持ち込み用鞄を二人分、持って降りてくるとホテルの前の路上に真っ赤なリンカーン・タウンカーを長くしたリムジンが停まっている。韓国人と思われる東洋人男性の運転手が降りて来「キュウトクさんですか?」と聞いてくる。これが頼んだリムジンだ。一度荷物を入れた後、頼んでもう一度トランクを開けてもらい、鞄からカメラを取り出す。車内で家内と私のスナップを一枚ずつ撮る。

ミッドタウン・トンネルを出るとルート495イーストはちょっと高い位置を走り、マンハッタンが見える。絵はがきの方がきれいなのはわかっているが、リムジンのトランクの上についてる水平尾翼のような飾りも入るので、二・三枚撮る。マンハッタンの見納めだ。二年か三年後、また来るまで、さらばじゃ。

空港への道は順調で、約40分でジョン・エフ・ケネディー空港のインターナショナル・ターミナルに着く。運転手に料金を聞くと、45ドル と言う。有料道路(と言ってもトンネルの通行料金)込みだと言う。私はてっきり一人 30ドルと思っていたので 60 ドルプラス 4 ドルかと予想していたので、何か儲かった気分である。 50ドル札を渡し「釣りはとっときな」と言う。タクシーなら 50ドル札は受け取って貰えないのに、何の抵抗もなく「有り難うございます」と受け取ってくれ、トランクからスーツケース2個と機内持ち込み用鞄2個を取り出してくれた。その間、リムジンをバックに家内の写真を一枚撮った。昔の人は「終わりよけれ
ば、すべて良し」と言ったものだが、楽しかったと前向きに考えることにした。

まだ12時ちょっと前である。3時発のJL1007便にチェックインするには早すぎたかな?昔は、日本航空は出発のかっきり2時前まではチェックインのカウンターに人が居なくて、来るのが早すぎると、カウンターの前にスーツケースを置いて列を作って待たされたものだ。今日は違う。既にチェックインをしていた。帰国便の予約がとれず、キャンセル待ちでやっととれた予約である。GWの最後の日に成田に着く便なので、満席は覚悟の上である。それでも、希望の喫煙席の一番後ろの席は取れた。

機内持ち込み用鞄一つと身軽になり、二階の出発ロビーに移動する。30回は来たことがある懐かしいところである。腹も減った。家内は、そこにあるコーヒーショップに入ろうと言ったが、もう少し先に多少マシなレストランがあったはずだからと、しばらく歩いてみることにした。

左手奥にカフェテリアがあったので、そこに入る。昔は空港には必ずマリオットが出してるレストランがあったが、今回はこのインターナショナル・ターミナルにも、アメリカンのターミナルにもマリオットは無かった。私は、ビーグルのツナ・サンドを頼んだが、これは食い難い。パンの部分が硬いいので、囓るとツナがはみ出しどうしようもない。やはり、ツナ・サンドのパンはソフトなやつにして欲しい。

家内はディユーティー・フリーで買物、私は Tie-Rack でアスコット・タイを買った。家内をそこに待たせて、外に出て食後のいっぷく。ビルの外には立っタバコを吸っている人が十人は居た。

出発ゲートに向かう。驚いたことに、人は普段の半分以下である。搭乗まで疑っていたが、席につくと、スチュワーデスが「今日は空席が沢山ありますから、空いてる席で横になって頂けます」と言う。早速、家内は私の席の一つ前の席に移動する。

やがて離陸、私の右後ろにスチュワーデスが座る。「今日本航空さんはどちらのホテルですか?」と聞くと彼女は「ちょっとお待ちください」と席を立ち、戻ってきて「ペンシルバニア・ホテルです」と言う。「今回ニューヨークは初めてなもんですから」先輩に泊まったホテルの名前を確かめに行ったらしい。「いつの便でおいでになったんですか?」と聞くと「昨日の便です」とのこと。あいにくの雨で、街には一歩も出てないらしい。普通二三日は現地で休養があると聞いていたが、日本航空も人づかいが荒くなったものだ。私は今度おいでになったら「サクラ商事」に行って地図を貰うと良いですよと教えた。あいにく、その地図はスーツケースに入れて手元に無かったので、ノートに控えてあった「サクラ商事」の住所と電話番号をメモして渡した。

成田に着く少し前に、そのスチュワーデスが来て「先ほどは地図のことなど、有り難うございました。これお邪魔でなければ是非お持ち帰りください」とJALの袋をくれた。開けて見ると、JALのトランプとボーイング747-200の模型が入っている。これはいい記念になる。模型はリビングに飾ることにする。マンハッタンの鳥瞰図の下にでも置けば良い思い出になる。

今回の旅行は、正味6日半のうち、2日半雨にたたられたこともあり、行きたかったころの半分は行けなかった。久しぶりのアメリカ東海岸の印象を語るにはデータ不足である。

限られた体験では、街を走っている車が比較的きれいになったこと、特にニューヨークからニュージャージーにかけて、リンカーン・タウンカーが圧倒的に増え、キャデラックやヨーロッパ車はたまにしか見かけなかったこと、空港のセキュリティー・チェックの器械の反応が高感度になったことくらいか。六年前までは、タウンカーはごく一部の人たちが乗る車で、ラクシャリー・カーはキャデラックが主流であったので、これを借りると駐車場などで、探すのが楽だったが、今回はやたらに目についた。

セキュリティー・チェックにはまいった。行く所々で、ポケットの中の金属をすべて出したにもかかわらず、ゲートをくぐると必ずひっかかった。考えられるのは、眼鏡か、ベルトのバックルか、入れ歯くらいしかない。その都度両手を水平にして金属探知器で体中こすられた。心配した、鞄の中のノート・ワープロは一度もひっからなかった。

順序は全く逆であるが、最後に、今後アメリカ旅行に行かれる人たちの参考までに、トラベラーズ・チェック (T/C) の手数料とレートに就いてひとこと付け加え、旅行記を終わることにする。

来年4月に外国為替管理法が改正・施行されるので、それまでしか使えない情報であるが、現在トラベラーズ・チェックの発行手数料は 1%、ミニマム 750円 である。従って、75,000円 が分岐点になる。 と言うことは、その日のレートで円換算金額が 75,000円以上のドル金額にしないと損である。いくら金額が小さくても 750円 の手数料は取られる。その代わり、レートは現金より 1ドル当たり 2円 安い。

ちなみに、私が換金したときのレートは、現金 128.80、T/C 126.80 であった。
700ドル 分の T/C は
126.80円 X 700ドル = 88,760円
88,760円 + 887円 (1%) = \89,647円
89,647円 ÷ 700ドル = 128.07円
となり、現金の 128.80 円より 0.73円 安いレートになる。

これが、300ドル の場合
  126.80円 X 300ドル = 38,040円
38,040円 + 700円 (ミニマム) = 38,740円
38,740円 ÷ 300ドル = 129.13円
と、現金の 128.80円 より 1.06円 高くなる。

1円 の差は、2,000ドル で 2,000円 なのでたいした金額ではないが、銀行に必要以上に儲けさせることは、富士山の山頂に土を運ぶようなもので、無駄である。

T/C を持っていった場合、絶対に残して持ち帰らないことが大切である。最後のホテルの精算のとき、T/C の残を全部使い、不足分を現金かクレジット・カードで払うのが一番簡単な方法である。

あとがき
====
毎回長文の旅行記、お読み頂いた方々、ありがとうございました。時差ボケの中で書いたもので、ちぐはぐな点や、誤字脱字など多々あるかと思いますが、ご容赦ください。どこかに、私の勘違いがあったのをお気付きの方はコメントを書き込んで頂けると有難いと思います。

何かご質問がありましたら、ご遠慮なく会議室でご発言をして頂くか、電子メールを頂戴すれば、分かる範囲でご回答させて頂きます。

               ― 終わり ―

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ENGLISH - Profile of Translator

January 10, 2007
PROFILE OF TRANSLATOR
=============================================================================
NAME: Shozo (Q-chan) Kyutoku (Mr.)
E-MAIL: (Primary) kyutoku@koalanet.ne.jp
PHONE & FAX: 81-47-342-9203
MAIL ADDRESS: 353-12 Negiuchi, Matsudo, Chiba 270-00ll, Japan
EDUCATION: Bachelor Degree (Jurisprudence) from Nihon University
OCCUPATION: Freelance translator, Chaiaman of Japan Translation Federation, Inc. CAT Committee, affiliated to MITI, Associate member of American Translators Association
Member of Japan Association of Translators, Senior Translator of National Institute of Professional Translators.
=============================================================================
TRANSLATION -
LANGUAGE: English > Japanese, Japanese > English
EXPERTISE: Technical Papers including FUEL CELL VEHICLE, Operators Manuals, Specifications, Procedures, Standards, Safety Codes, Sales Promotion Materials, etc. (Automotive, Machinery, Electric/electronic, Audio-visual,
Electro-mechanical Components, Computer Software, Export/import, Construction, Real Estate, Golf, Baseball, Sail Boat, etc.)
EXPERIENCE:
* Engaged in export/import business for 40 years handling Denon audio equipment, Elmwood thermostats, Toro lawn mowers, Toro sprinklers etc.
* Having experience in marketing audio equipment in the Unites States, in living in New Rochell, NY, for two years; traveling from Japan to United States more than 50 times.
* Translated hundreds of catalogs and instruction manuals of American products into Japanese.
* Translated engineering materials of American Electro/mechanical products such as Elmwood thermostats, Emerson thermostats, into Japanese.
* Translated operating manuals of various Toro irrigation equipment and Toro lawn mowers into Japanese.
AS FREELANCE TRANSLATOR
* Recent translation job as a freelance translator includes:
Japanese Cellphone Manufactuerer - Purchasing specifications J>E, Japanese Cellphone Manufactuerer - Purchasing contract J>E, Japanese Manufacturer of Cemiconductor Production Equipment - Specifications J>E, German Automobile Manufacturer - Instruction Manual for Audio System E>J, Japanese Electronic Component Manufacturer - Document submitted to Chinese Government J>E, Japanese Automobile Manufacturer - Technical Paper (regularly) J>E, Japanese Component Manufacturer - Specifications for quotation (regularly) J>E, Japanese Broadcasting Equipment Manufacturer - Catalogs (regularly)J>E etc.
=============================================================================
COMPUTER:
* Hardware - IBM Compatible Handmade with Pentium 4 3GHz, RAM; 2GB (Standby IBM Compatible Handmade with Pentium 4 1.6GHz, 753MB RAM and Panasonic CF-W2DC1AXS) Printer; Brother HL-2040 (LBP), Canon BJ5330 Scanner; CanoScan FB636U Cable TV Modem WebStar DPX2100 MO: Logitec LMO-640E CDRW, etc.
* Software - OS; Microsoft Windows XP Personal Edition.
Word Processor; Microsoft Word 2003, Spread St; Microsoft Excel 2003, Lotus 1-2-3, Browser; Microsoft Internet Explorer 7.01, Editor; EmEditor, Hidemaru, Compressor; WinZip 7.0, Translation Tool; TRADOS FR V6.5, PC-Transer 2008 (w/Translation Memory), Atlas 14, Super HT3 (glossary) etc.
HOBBIES: Golf, PC, Electric Vehicles (owner of ZAP electric bicycle), etc.
FREQUENTLY VISITING WEB SITE: New York Times, Nikkei Shimbun, JTF, MBL, PGF, NFL, etc.
MAILING LIST SUBSCRIBED: Assist, Tratool-jp, Honyaku Mailing List, Trauser, JAT, ML jtf-argo, etc.
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【翻訳支援ツール】 支援ツールの種類・効果

この記事は(社)日本翻訳連盟の機関誌「日本翻訳ジャーナル」2001年3/4月号5/6月号に連載したものです。その後 TransAssist、Tratoolなど、新しいツールが開発・発売されています。

翻訳支援ツール(1) 久徳省三
                 
 翻訳支援ツールは、広い意味ではCD辞書からパソコンまで含まれるが、ここでは最近急速に普及し、ユーザーの選択を迷わせている機械翻訳と翻訳メモリーと呼ばれているソフトウエアを取り上げる。いずれは、音声認識も重要な支援ツールになるであろう。
 ご承知の通り、ITの世界はドッグイヤーと言われるほど、新製品の開発速度は速く、これが最新情報と思っても油断はできない。このジャーナルが出版される日には状況が異なっていることも考えられる。
 2000年末現在、日本で市販されている翻訳支援ツールは100種類以上あると言われているが、それらは(1)機械翻訳 = TM、(2)翻訳メモリー(文例データベース検索機能) = TM、(3)その両者の機能を備えたもの = MT・TM に分けられる。

機械翻訳
 機械翻訳は初のコンピューターが登場する10年以上前の1933年、ロシアの技術者トロヤンスキーによって提案されたもので、歴史は古い。
アメリカでは1950頃から大学を中心に研究・開発が進められ、1954にジョージタウン大学とIBMが共同で露英翻訳システムを発表している。
 ヨーロッパ各国でも1959年頃から研究されてきた。日本では、1960年代中頃から研究を開始、九州大学の「KT-1」、通産省の電気試験所の「やまと」などが発表されている。1980年代には民間企業での研究開発が進められ、商品化されたきた。
 この数年、インターネットの普及の結果、ウエブページの英文を読みたいと言うニーズが急増した。
 従来企業内翻訳を含め、産業翻訳と言う限られた市場向けに商品を開発し販売してきた機械翻訳ソフトウエアメーカーの前に、にわかに潜在市場規模数千万ライセンスという巨大市場が現れた。
 この結果、現在各社の機械翻訳ソフトウエアが市販されているが、その訳質はかんばしくない。
 その主な原因は、外国語と日本語の構成が違うので、機械翻訳の設計思想が文法と構文解析であったが、実際に翻訳にかける原文は、文法通り正確な文章が少ないことにあるようだ。
 最近のソフトウエアは、従来の文法中心から、文例中心に設計思想を変えたのでかなり改善されている。また、パソコンの処理速度と記憶容量が向上したので、いままでは設計者が加えたい機能を入れられなかった制約も減ったので、今後のソフトウエアの訳質はかなり良くなることが考えられる。
 とは言え、意味の概略がつかめれば良いと言う個人ユーザーは別として、訳文一文字幾らと翻訳料金を貰う職業翻訳者にとっては、機械翻訳の成果物は商品にはならないであろう。
 翻訳会社の中に、受注競争に負けると、相手は機械翻訳だから安くできると誤解している会社があるようだが、果たしてそうであろうか。
 翻訳者にとって、現在の機械翻訳の利点はソフトウエアが訳語候補を自動的に表示、用語の統一、自動的に対訳集ができるといった程度の利用価値しか無い。
 ソフトウエアが提供してくれるのは、部品であり、それを翻訳者が組み立てると考えるべきであろう。成果物は、翻訳者の知識、経験、技能によって違ってくる。ソフトウエアへの投資、原稿を電子化する手間、推敲により時間がかかることなどを考えると、かならずしもコスト低減にはならない。

 翻訳メモリー
これは、以前に翻訳した類似訳文のデータベースを検索して、類似文は違う個所だけを訂正し、完全一致文はそのまま登録すればその文の翻訳ができるソフトウエアである。
 この考え方は、パソコンがマルチタスクになった Windows 95 以来、翻訳者が利用してきたエディタの grep 検索を使った過去の訳文を参照する方法と類似しているが、より効率が良い。
 1982年、Jochen Hummel と Iko Knyphausen が考案し、1984年に企業化した TRADOS が、世界の翻訳業界で最も普及しているようである。2000年末現在ライセンス数は 40,000と言う。
 主に翻訳会社が社内でグループ翻訳をするのに利用されており、会社によっては、フリーランス翻訳者にソフトウエアと翻訳メモリーを支給して、在宅で作業をさせているケースもある。
 翻訳メモリーに収録された訳文と合致している訳文は、合致率により翻訳料金を割り引く制度を採用しているので、クライアントと翻訳会社側には、時間短縮のほか経済的メリットがある。
 ITマニュアルのローカリゼーションには欠かせぬ支援ツールとなっている。
 主な類似ソフトウエアは Star 社のTRANSIT、SDL 社の SDLX などがある。
 これらには、辞書も機械翻訳機能も含まれていない。

 MT・TM
機械翻訳に翻訳メモリー機能を付加した支援ソフトウエアもあり、その主なものは、ノヴァ社の PC-Transer、富士通の ATLAS、ロゴヴィスタ社のLogoVista-X である。
 類似文が多用されるマニュアルなどの英文和訳の場合、威力を発揮する。
その詳細は次号に述べる。
出典:シャープ株式会社・TRADOS [完]

翻訳支援ツール(2) 久徳省三
 
■MT・TM は翻訳者の救世主                
 前号では、翻訳支援ツールには、(1)機械翻訳 = TM、(2)翻訳メモリ(文例データベース検索機能) = TM、(3)その両者の機能を備えたもの = MT・TM にがあることを概説した。
 ここでは、MT・TM の利用により、いかに作業効率が改善され、用語統一による成果物の品質が向上し、翻訳者のプレッシャーが軽減されるか、筆者の体験を公開する。
 一部の例外を除き、在宅翻訳者の大多数はトライアルに合格し、登録した翻訳会社から受注し、作業をしているので、翻訳作業は毎回受験のようなものである。いかにトライアルの結果が良くても、成果物の品質が悪ければ、その翻訳会社から次の仕事は受注できない。
 一方、ソースクライアント側の都合で、翻訳の仕事には納期があり、近年ますます納期は短くなっている。翻訳者は納期に間に合わせるために、睡眠時間を削って作業をしなければならない。連続1週間か2週間、平均睡眠時間が4時間で、作業中は受験のように集中することは人間工学的に無理がある。
 MT・TM を活用すれば、原稿の電子化が必要なので、その分作業時間が増えることになるが、集中しなければならない時間は推敲のときだけになるので、大幅に縮小する。
 個人差があるのは当然だが、パソコンの操作に抵抗を感じない筆者の場合、原稿の電子化のための OCR 操作や、TMのリライトは、テレビの野球中継をちらちら見ながらできる。

■MT・TM の機能
 TM には、機械翻訳機能も、辞書も付いていないので、それを利用する翻訳者はあくまで前例のデータベースを利用するだけである。これに比べて、MT・TM には機械翻訳機能も辞書も付いているので、前例を参照しながら機械が下訳をやってくれる。
 書類作成の際、既存の書類を参照するのは企業人の常識であるが、翻訳にもこれがあてはまるようである。だからこそ、TM がこれだけ普及したのであろう。

■MT・TM 活用のコツ
 慣れてくると、原稿を少し読めば、これが MT・TM に適しているか否かは分かるようになる。適していない原稿を、電子化するのは時間の無駄である。基本的には、英文和訳で、内容が取扱説明書や仕様書のように類似文が頻発する原稿が適していると言える。
 元原稿の量が、和文英訳で 3万字、英文和訳で1万語以上の長さであれば、作業日数は普通5日を超える。これが内容によっては、TM を使うと3日目から時間あたりの作業量は倍以上になる。
 次に、分野別の自分の辞書を作り、MT に利用できるようにしておくことが肝要である。翻訳者であれば、自分の辞書は作っているだろうから、それを支援ソフトの要求する型式にして「ユーザ辞書」として登録すれば良い。
 MT ソフトに組み込まれている辞書も含めて、市販の辞書は必ずしも現場
に適した訳語が収録されているとは言えない。辞書の編集者の大多数が実務の経験が無いアカデミック分野の先生たちであることが原因であろう。
ベテラン翻訳者の大多数は、MT の訳文を見て、これなら最初から自分で訳した方が良いと判断する。ほとんどの場合、原稿全文を一括して MT に訳させた結果である。確かにその通りで、現在の MT の訳文は読むに耐えないものである。ところが、これを一文ごと翻訳者がリライトして TM に登録すれば、その先は、類似文はその訳例が利用でき、読むに耐える直訳ができる。

■MT・TM 利用手順  
 筆者の場合、次の手順で利用している。
1.元原稿の電子化(スキャナとOCR使用)
2.一文翻訳 → リライト→ 翻訳メモリに登録(翻訳メモリ検索)(一文ずつMTにかけ、それをリライトすることにより、翻訳メモリをフルに活用)
3.対訳画面で推敲(訳ヌケをチェック)
4.訳文のみを出力し推敲 (訳文の不自然を改善する)
5.推敲後の訳文を原稿と対比して推敲
6.訳文を指定の形式ファイルに保存し納品
7.推敲後の訂正個所を翻訳メモリにも 反映(訂正)
8.対訳文をテキスト形式で出力・保存

マニュアルの場合は、目次の翻訳は全文翻訳後に [翻訳メモリ検索] をすれば自動的に転記される。全作業時間の約20%が原稿の電子化、60%が素訳、20%が推敲である。集中しなければならない時間は、全作業時間の20%である。                    [完]

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【翻訳支援ツール】 部分翻訳の傾向と対策

この記事は(社)日本翻訳連盟の機関誌「日本翻訳ジャーナル」2005年5/6月号に連載したものです。

部分翻訳の傾向と対策   
  
JTF 理事 久徳省三

 分野によって違いがありますが、工業分野の取扱説明書や仕様書などの文書の翻訳需要は、部分訳が主流になっています。
 つまり、旧製品の説明書や仕様書の訳文を活かし、新製品で変更された箇所だけを翻訳することです。
 これは我が国だけの現象ではなく、世界中で見られる現象です。
 本来なら書類は最初から最後まで同じ人が書くべきもので、それでも数日かけて書く場合、整合性を保つことは困難です。まして、部分訳の場合は何らかの対策を講じないかぎり整合性を保つことは不可能でしょう。
 一方、整合性に欠ける文書ほど見苦しいものはなく、企業の品位を傷つけます。特に取扱説明書の操作の表現が異なると故障の原因になることがあります。
 以下に、和文英訳を例に、翻訳者の立場からみた現状と考えられる対策を提案します。

■ 不整合の例
 たとえば、旧版の取扱説明書の箇条書きページに "Input xxx data" という英訳文があり、そのページに「yyy データを入手」と「zzz 規制面を入手」という新版の原稿が支給された場合です。
 旧版で「入手」を "input" と訳してあるのがわからないかぎり、翻訳者は「入手」を "input" とは訳すことはないでしょう。通常 "acquire, obtain, gain" などと訳すと思います。ところが、この2行だけ "Acquire" で他の数行が "Input" であれば、かりにそれが正しくても不自然な英文書類になります。「~以下」も "less than ~" と訳すか "~ or smaller" と訳すかは翻訳者によって異なります。

■ 現状
 翻訳会社によっては、発注原稿に前加工をして、翻訳不要箇所は前版の英訳文を記載し、翻訳必要箇所に和文を残した原稿を支給なさいます。全部和文で、翻訳必要箇所だけ色を変えた原稿を支給なさる会社もあります。
 いずれも膨大な時間と手間がかかる作業ですが、後者の場合は費用をかけて前加工をしたにもかかわらず、訳文の整合性を保つことはできません。

■ 部分翻訳の [先駆者]
 IT分野は、マニュアル類を得意とする米国で需要が発生したので、ソースクライアントは用語集やスタイルガイドとよばれる表記法を支給していました。
 当初から部分翻訳を念頭においていたので、TRADOS が実用化されたときは翻訳メモリーをフルに活用して訳文の整合性を保っています。

■ 対策
 本書をお読みの方はご存知と思いますが、TRADOS の WinAlign という機能を使うと、旧版の原稿と訳文があれば、ソフトウェアが自動的に対訳文例集を作成してくれます。
 その文例集は翻訳メモリーとして、新版の翻訳に使用することができます。時間がかかる前述の前加工をやる必要はありません。
 翻訳会社は、翻訳者に新版の原稿と翻訳メモリーを支給すれば、翻訳者は「入手」を "input" 以外の訳語に訳すことはなく、整合性は保たれます。

■ 問題点
 TRADOS は複雑なソフトウェアで簡単に操作ができないのと、高価なので翻訳者は敬遠しがちです。また、翻訳メモリーとの一致率によって翻訳料金が安くなるのに抵抗を感じている翻訳者が多いようです。
 数年前までは、翻訳会社が翻訳者に TRADOS を支給していました。最近は TRADOS 社の方針が変わったのでそれができません。

■ 解決策
 幸いに、いままで機械翻訳ソフトを開発していたソフトウェアメーカーが翻訳メモリー機能を加えた製品を販売するようになりました。また、TRADOS より操作が簡単な翻訳メモリー機能だけのソフトウェアも低廉な価格で販売されています。                   
 翻訳メモリーを作成する手間はたいへんですが、作成した翻訳メモリーをソースクライアントにチェックしていただくと、旧版の訳が不自然な箇所の訂正もできます。
 翻訳会社は、クライアントがチェックなさった翻訳メモリーと新版の原稿とを支給し、操作が簡単な翻訳メモリー機能だけのソフトウェアを翻訳者に貸与すれば、整合性は保てます。
 翻訳文の品質は、とかく言語学的品質にこだわる傾向にありますが、実務文書では用語の統一や表記の整合性の方が重要と思います。
 会社によって条件が違いますが、事情が許す範囲でご検討ください。 「完」

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【翻訳支援ツール委員会主催 支援ツール説明会】

過去の説明会の報告書は以下のサイトで閲覧できる
日本翻訳ジャーナルをご覧ください。

http://www.jtf.jp/jp/journal/journal_top.html
2009 5/6 241号 p12 東芝 The翻訳2009プレミアム (09/03/24開催)
2009 3/4 240号 p14 MemoQ (09/01/26開催)
2007 11-12 232号 p8 Logoport (07/09/28開催)
2007 9/10 231号 p10 AnalyzeAssist (07/06/21開催)
2007 3/4 228号 p9 Atlas V13 (07/11/28開催)
2007 1/2 227号 p13 「対訳君」 (06/10/6開催)
2006 7/8 224号 p13 The 翻訳プロフェッショナル V11 (06/4/21開催)
2006 3/4 222号 p13 翻訳スタジオII (05/11/22開催)
2006 1/2 221号 p13 翻訳メモリ TraTool (05/10/20開催)

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リンク

http://www.jtf.jp/

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リンク

http://www.translator.jp

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2009年度第2回翻訳支援ツール説明会のご案内

2009年度第 2回翻訳支援ツール説明会(SDLトラドスジャパン)
【個人ユーザー対象】「SDL Trados Studio 2009 Professional」の紹介

●対象: ○個人翻訳者の方 ※本説明会は個人ユーザー対象となります
●日時:2009年7月28日 (火 )14:00~16:00
●会場:「(株)知財翻訳研究所 分室(研修室)」 東京都新宿区新宿 1-1-7 御苑高木ビル 6階
● テーマ:【個人ユーザー対象】「 SDL Trados Studio 2009 Professional」の紹介
● プレゼンター:SDL トラドスジャパン
● 定員:35名 ※定員になり次第、締め切りとさせていただきます
● 参加料:無料
● 運営:(社)日本翻訳連盟 翻訳支援ツール委員会

世界中で最も多くのユーザーに利用されている翻訳支援ツールの最新バージョン SDL Trados Studio 2009 Professional(以下、Studio 2009)が、2009年 6月上旬にリリースされました。今回のセミナーは、個人ユーザーを対象としてこの最新版を中心にご説明します。

Studio 2009 は、従来の Trados を踏襲するリリースではなく、新プラットフォームとして誕生しました。その理由は、これまで製品のベースとしていたテクノロジーでは、製品の機能性の向上に限界があると判断したためです。そこで、翻訳メモリ(以下、TM)のエンジンもいちから開発して、XMLベースの TMとなっています。業界標準のテクノロジーを採用することにより、今後の製品開発や他社製品・ソリューションとの連携が、従来よりも容易に実現可能となっています。Studio 2009 に同梱されている用語管理ソリューション MultiTerm 2009 も、XML テクノロジーをベースに改良されました。

プラットフォームが一新されたため、ほぼすべての機能を1つのアプリケーションで操作できるようになりました。また、翻訳・編集環境も変わるので、慣れるまで少々時間を要すると思いますが、作業効率を向上するための新機能や機能改良が加えられているので、旧 Trados 環境での作業よりも短時間で業務をこなすことが可能です。
内容:

◎Studio 2009 での翻訳・編集作業

◎Studio 2009 での用語管理

SDL トラドス製品に関する詳細は、下記の Webサイトをご参照ください。
http://www.translationzone.com

●お申し込みは下記に必要事項を記入の上、このまま FAXください

参加者氏名 TEL ( ) -
会社名(役職) FAX ( ) -
連絡先 □会社 □ご自宅 E-mail 〒□□□-□□□□(必須)
( @ )
参加者区分 □日本翻訳連盟(JTF)会員 □非会員

社団法人 日本翻訳連盟 事務局 FAX: 03-3552-1784
●ご記入頂いた個人情報は、本研究会およびその他翻訳情報の提供目的のみ使用し、第 3者への提供・預託は行いません。本ファクスのご返信をもって、個人情報の提供に同意頂いたものとさせていただきます。なお、ご提供頂いた個人情報のお問い合わせまたは、開示・訂正・削除のご請求は上記事務局までご連絡をお願い致します。

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